ミャンマー、迫真のルポルタージュ!
- 2024年 1月 24日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
―以下の文章は、「日刊べリタ」に連載中のものを、編集部に許可をいただき転載させていただいたものである。日本人(匿名)が戦場に近い現地に入って取材を行なったのは初めてであろう。政治情勢の分析も確度の高さを感じることができる。ぜひご一読あれ!
ミャンマー国軍の崩壊が始まった 現地最前線からのレポート(1) DM生
筆者はこの程ミャンマーの西部山岳地帯を中心に延べ二千数百キロを移動し、各地で国軍が前線から敗退、戦線離脱、反軍勢力側に保護を求め、なかには国軍攻撃の戦闘員となっている兵士の存在も確認した。2021年2月1日にクーデターで権力の座に就いた国軍は、それから3年目にして崩壊しはじめている。
▽チン州の反国軍武装組織キャンプ
インド国境に接するチン州では、国軍のクーデター後いち早く武装闘争を開始したCDF Mindat (Chinland Defense Forces, Mindat)の司令官と会見した。34歳の司令官は「決起したときは戦闘員60名だけだった」と言いその決起場所に案内してくれた。深いジャングルに造られた軍事キャンプには現在二十数名の兵士(内三名は女性)がいるだけで多くは前線に派遣されているとのことだった。
そのキャンプには意外なことにガンジー、アインシュタインの肖像画、言葉が掲げられていた。ガンジー「他人がいやがることをすべきではない。自分がいやなことを他人にはさせないでいたい」、アインシュタイン「自分と異なるひとたちには感謝すべきだ。それゆえに自己が存在できる」
キャンプ内の戦闘員らはみな若く、初めての外国からの訪問客に緊張しはにかんでいた。若竹のような率直さがあった。チン族というと、文献資料からは「狩猟民」だが「クリスチャン」でもあるといったイメージがまず浮かぶ。その程度だ。我々の浅薄な知識を恥じ、現に目前にいるチン族の老若男女の精神の成り立ちと構造をなぞってみたいという欲求にかられる思いだった。
一般に日本人のビルマ観、ミャンマー観はまるっきしズレているのではないか。そのズレはどこからきているのだろうか。「日本人に似ていて親しみがもてる。敬虔な仏教徒でコメに生きている穏やかな国民。親日国」といった受け止め方が大半だろう。筆者はそれに全く同調できない。むしろアジア諸国のなかでも最も理解しにくい国であり国民であるとつねづね思っている。
ミャンマーは大小135の民族から成る多民族国家であり、1948年の建国以来76年間内戦状態が絶えたことがない。国土の四割以上、人口の3分の一を少数民族が占め、英国の植民地支配を124年間受け、軍事独裁政治が半世紀以上にわたる(1962─2011、2021─2024)。 憲法がなかった時期が32年間(1962─74, 1988─ 2008)、全国の大学閉鎖が10年以上ある国。
この歴史の重荷のなかで暮らしてきた民衆の精神、心情がどのようなものであるか、そして国のあり方や権力、政治への姿勢がどのようなものであるか。我々は自分たちの尺度は全く通用しないことを出発点としなければならない。
今回の旅でこういう質問を受けた。親日家を自負する三十代の女性である。
「私たちがやむを得ず、当然の権利として武装闘争を始めたら、日本からの支援の声がピタっと止んでしまった。私たちにはどうしても理解できません。国軍は本来外国から攻めてきたときに国を守る役割があった筈です。それが国軍と警察が無防備な我々を情け容赦なしに殺してくる。
私たちはもはやこれは人間の尊厳、生命保持の権利として武器を取ったのです。もしも、日本の軍隊と警察が圧政に反対する国民に空爆、砲撃、狙い撃ち、無差別殺戮をやってきたら日本の皆さんはどうするのでしょうか」
▽国民防衛隊の自主管理下の村
国軍クーデターから三年という節目がやってくるが、最初に武装決起をしたミンダット地区のCDFがどうなっているのか。そして「苦戦」が伝えられている国軍の現状はどうなのか。反軍民主勢力にとって今後の展望は開けるのか。そこを知りたいと思い難行ともいえる旅にいどんだのだった。
中国製の古い125 cc のバイクの後ろに跨りカメラと寝袋をもち、険しいでこぼこ道を五日間移動の強行軍もあった。「安全には最大限気を付けますが、空襲や砲撃があればその保障はできません」とも言われていた。
マグウエイ管区に入ったときは、民主勢力のPDF(国民防衛隊)がダムと水力発電所の国軍駐屯地を攻略し自主管理を開始していた。周辺の村々は真夜中でも電気がいきわたり、最大都市ヤンゴンの停電事情とは打って変わった光景を見た。
その周辺で一泊したとき同行のミャンマー人スタッフ(元政治囚)は、密かに己にこう言い聞かせていたという。「国軍が報復作戦をしかけてくるだろう。そのときは武器をもって戦う覚悟をしていた」。「彼(筆者のこと)は日本人だから捕まったとしても殺されることはないだろうが、自分は政治囚だったから殺される。それならまだ戦って死ぬ方がいい」
その地域のPDF戦闘員らは国軍の空爆を警戒しながら深夜も大勢集結して血気盛んにお互い檄を掛け合っていた。
だが国軍兵士はやってこなかった。ここだけでなく二千数百キロ移動して国軍は一人も見なかった。戦闘地域の駐屯地、キャンプ、詰所、検問所から敗走し、拠点基地に集結しそこに立て籠っている。かつて50万余の兵力(警察軍含め)をもつ一大勢力でどこにいても眼を光らせていた暴力装置はウソのように消えていた。
マグウエイのPDFのたまり場ともなっている食堂では村人らがミャンマー将棋の賭けに興じている。村のおばあちゃんは「軍隊がいなくなって安らいでいるよ」と言い、ヤンゴンの日本語学校通っている青年は「久しぶりにバスを乗り継いで帰ってきたけど村はやっぱりいい。まだ危険はあるけどね」と語った。
少数民族武装勢力内部の紛争、抗争、自発的に各地で武装闘争を開始した平野部のPDFの軍警関係者への「制裁処刑行為」はどうなっているのか。これを現地で確かめたいということも取材の重要な目的であった。
(つづく)
以下の地図はルポルタージュにはなく、イラワジ紙から野上が借用したものである。
水滴印は、抵抗勢力が制圧した箇所 赤色部分は、抵抗勢力が攻勢にある地域
独裁者は孤立し疑心暗鬼に ミャンマー最前線からのレポート(2) DM生
1/17のチン州からの現地報告につづき、反国軍勢力内部の矛盾、対立が現在どうなっているかを書き進めようとした。だがその前に、より重大な国軍内部の亀裂と対立の動きが表面化しつつあるのでそれをお伝えしたい。独裁者ミンアウンフライン総司令官は疑心暗鬼となり孤立してきた。
▽将軍たちの家族を「人質」に
このところ将軍クラスの「刷新」「左遷」「逮捕投獄」が目立つ。作戦敗退の責任を取らせ、あるいは「汚職罪」で逮捕などである。その補填のため「子飼い」の忠誠を誓う幹部を抜擢しようとする。だがその人材が既に枯渇してきたのだ。
現在約40名の現役将軍(准将から上級大将まで)がいるが、その一人ひとりに「誓約書」を提出させている。そのなかに家族構成、連絡先、身分証も書き込ませる。つまり独裁者を裏切れば家族にまで危害が及ぶぞという脅迫である。さらに幹部のなかに不審に思うものがいれば、その家族(妻のケースが多いが)をミンアウンフラインの地方出張のさいにわざわざ同行させる。いずれも家族を人質にするやり方である。
「誓約書」「家族人質」に応じなければ即クビ、下手すれば逮捕となるのでみな従うしかない。だが当然不満、不信、そして絶望的な声が周囲につたわる。「ミンアウンフラインはもはや常軌を逸している」「誰もついていかない」「末期症状だ」「かれは白旗をあげるしかない」。そういう声を、筆者はミンアウンフラインの側近の家族親族から聞くようになっている。
この孤立してきた独裁者は珍しくシャン州南部のチェントンにでかけたが、拳銃を肌身離さず携行している姿を地元紙は掲載写真でニュースにした。
ミャンマー問題へのアセアン(東南アジア諸国連合)の対応がなかなか実効力を発揮しないことを何とももどかしく思ったりもするが、一方でミンアウンフライン自身はもっと苛立っているようだ。
今年からアセアン議長国がラオスになったが、その駐ラオスミャンマー大使を召還、逮捕し10年刑を言い渡してしまった。そしてアセアン各国に派遣した大使を全員召喚、国軍への忠誠度を確かめようとしている。
大使不在で先行きが危ぶまれるので、タイのミャンマー大使館はビザ、広報業務を当分停止するという。大使が収監されてしまうかもしれず、別の大使が派遣されてきても本国のアセアン関係の方針が明示されなければ大使館としても動きようがない。また大使が誰になってもその家族の任地同伴同居が認められるのかが大使館関係者らの関心事となっている。その許可が出れば、よほど独裁者の信任厚いつまり「警戒すべき人物」とみなされるが、まず単身でしか赴任できないだろうというのが常識となっている。
こうした独裁者による「家族人質作戦」は国軍の末端にまでひろまっている。重要な軍事施設には警察官、消防団員、自警団等から人員不足を補う方針がとられているのだが、その際家族ごとの「着任」が望ましいとされる。ここでも家族を人質として戦力の流出を防ごうとする作戦がとられる。
クーデター直後までは兵士を金で縛る方策がとられた。下級兵士の給料を上げ(それでも百数十米ド程度だが)、その一部を国軍経営企業に積立てさせ「軍を許可なく離脱したら積立金は没収する」という方法である。だが、欧米の経済制裁強化もじわじわと効き国軍企業の資金運用が厳しくなった。そうなれば兵士も軍に帰属し依存する意味が薄れる。おまけに戦況が悪くなれば当然金よりもまず命が大事だとなる。だから現在どこの軍事施設でも家族の外出は極めて厳重な監視のもとにある。
▽国軍脱走兵が国軍拠点攻略の先頭に
では国軍内部の動きから、筆者が取材を続けているチン州の状況に戻ろう。
警察官モーモールインさん(シャン州出身)は、まず故郷から遠く離れたバゴーや首都ネピドー、次いでチン州のタイゲーンの軍事基地に送られ毎日塹壕掘りばかりやらされた。「近く犬ころ(国軍兵士は反軍勢力をそう呼ぶ)が攻撃してくる」と長時間背丈よりも深く掘る作業にかりだされた。
彼は人間扱いされないことに我慢ならず脱出した。家族の住む村はあまりに遠く呼び寄せることが出来なかったのが幸いした。バイクが故障し乗り捨てて徒歩で逃げた。
一方、住民に根をおろした活動をするシーイン族の民兵組織がその脱出の知らせを掴んで身柄の確保に動いた。モーモールインさんは民兵らの空にむけて撃った銃声を聞き、「殺されると観念した」という。「犬ころに捕まったら必ず殺される」と国軍幹部から言われていたからだ。
だが民兵組織は「逃げてきたのなら安全を保証する」と約束し身柄を保護した。逃走するとき同僚の警備員にみつかり誰何され、大声で「逃げるなら撃つぞ」という叫びが聞こえた。しかしその警備員は、「わざと当たらないように撃っているのが判った」という。
元国軍の脱走兵にも会った。軍のクーデターのときはカレーミョウ(ザカイン管区)の軍事基地勤務だった。上司もチン族で通信担当をやっていた。クーデターの知らせは暗号で送られてきたが、上司からただちに聞いた。しばらくして脱走を決意させたのは母からの電話だった。
「わたしはこのクーデターに絶対反対だ。不服従運動のデモに参加するからね。あんたはまだ軍にとどまっているの? 国軍はデモに発砲しはじめたのよ。あんたはわたしに銃を向けることになるのね」
彼は仲間と計四人で脱走を試み、いったん国境を越えインドのミゾラム州に逃げる。内二人は一般市民にまぎれこみ、残る二人は反軍武装勢力に参加する。国軍との戦闘で脱走仲間を失い、いまは一人残された。だが今ではシーインの民兵組織のなかで最も果敢で頼られる戦闘員となっている。
国軍は兵員不足が深刻になり、警察官、消防団、自警団らから補充するだけではとても足りない。失業者、出所した元犯罪者などからリクルートしようとする。当然だれでも構わないとなる。そこで反軍勢力は一定期間を決めて「スパイ」を国軍に送り込む。こうして国軍の作戦計画も筒抜けになったりする。
いまでは国軍部隊の前線で使用するウォ―キートーキーも傍受され、待ち伏せ攻撃を受けるようになってきた。
シーイン族の民兵組織から1/16に、タイゲーンの国軍キャンプを陥落させたとの知らせが入った、次の目標はザカイン省のカレーミョウだとも言った。モーモールインさんが毎日塹壕掘りをやらされていた軍事基地は民主側武装勢力の手に落ちた。
筆者がインタビューした元国軍兵士は、そのつぎの攻略目標攻撃の先頭に立っている。カレーミョウは空港もあり国軍の西部戦略の拠点である。既にCDF、CNA、YDF、KIA、AA (順にチン防衛軍、チン民族軍、ヨ―防衛軍、カチン独立軍、アラカン軍)が共同作戦で包囲網を狭めており、今月中に陥落させるとの見方がひろがっている。 (つづく)
スーチー氏復権の可能性も ミャンマー最前線からのレポート(3) DM生
このところ建国記念日の恩赦で一万人余の囚人が社会に戻った。また民主化運動指導者アウンサンスーチー国家顧問を刑務所独房から政府関連施設の「住宅軟禁」に移したりもしている(2023.7)。軍政はこうして小出しに反国軍勢力の反応をうかがってきたのだが、ミンアウンフライン総司令官の強気の発言や希望的観測に反して、国軍は坂を転げ落ちるように窮地に陥っており、軍幹部の間にも「ここまで来たら、スーチー女史の復権しか打開の道はないのではないか」という声さえ出てきている。
▽カギを握る中国の出方
実はこれは全く不可能なこととは言えなくなっていると筆者はみている。ミャンマー国内の政治、軍事、経済の環境は、その道をさぐっていくしか国の将来はおぼつかない段階にきていると思える。それを可能にするかどうかの大きなカギを握っているのは国内的には各反国軍勢力の相互理解、自制、共闘体制が進むかどうかであり、国際的には一番に中国の出方であろう。日本政府には遺憾ながらその役割はほとんど期待できない。国軍クーデターは日本外交の決定的失敗を明るみにしてしまったのだ。
結論から先に言えば、中国にとって2016─2021 年のスーチー政権時が最も良好な環境であった。中国の基本姿勢は台湾問題を除けば、経済第一、経済最優先である。そのためには国民の圧倒的支持をうけたスーチー安定政権と良好な関係を築きながら、その一方で国軍との太いパイプを握る。これが中国のもっとも望ましい姿である。
民政移管で経済開放を進めたテインセン大統領 (2011─2016年) は、自国の利益を損ないかねないとの理由で中国プロジェクトの巨大ダム・ミッソンダムの建設を中止させた。また石油港とパイプラインの稼働を大幅に制限した。国産の天然ガス輸送は許可しても、中東アフリカ産の石油に関しては「手数料」しか入らないからと中国の要求に応じなかった。中国の「一帯一路」戦略を受け入れ、「中国との歴史的協力関係を重視」する方針に転換したのはスーチー政権であった。
国軍クーデター前の王毅外交部長とミンアウンフライン国軍司令官との会談 (2021.1.12)について興味深い証言をきいた。
首都ネピドーでおこなわれたこの会談で、軍司令官はNLDが圧勝した選挙結果について「不正があった」と強調した。だが王毅部長は黙って聴くだけで同意しなかった。会談が終わり部長一行が引き揚げていくと、司令官は単独で後を追い「もうちょっと話させてくれ」と引き止めた。そのあと非公式の二人だけの話し合いがあり、そこで司令官は「この選挙不正は受け容れがたいのだ」と何度も言った。その必死の様子から中国側は「クーデターありうる」と判断した。(警備にあたった軍幹部の証言)
筆者はラカイン州の中国石油タンカー港と石油・天然ガスパイプライン(雲南省までミャンマー国内793km)を調査したことがある。その石油タンカー入港記録、石油積載量などのデータを分析していくと興味深い事実が浮かび上がってくる。
中国はミャンマー総選挙の結果発表後50日間(2020.11.17―21.1.6)、 石油タンカーの入港を止め、王毅部長訪問に合わせ2隻だけ(計60万トン)入港させ、司令官との会談後再度30日間寄港させなかった。ここから言えるのは、中国はいかに政情安定を期待しているかである。
▽中国がミンアウンフラインを見限る日
「一帯一路」の重要な柱でもあり習近平の威信にかかわるこの石油パイプラインプロジェクトを進めるには、少数民族地帯の軍事的、政治的安定が不可欠である。アラカン族のラカイン州から始まりシャン州から雲南省に抜けるからだ。クーデター後ややあって国軍は石油港とパイプラインの警備強化を中国に約束した。だが現在の国軍にその力はもはや無い。国軍が担保できなくなれば中国が軸足を少数民族武装勢力側に移しても不思議はない。
2023.10.27の少数民族武装勢力による国軍拠点攻略は中国国境沿いと北部ミャンマーの力関係に大きな転換をもたらした。これは中国が軸足を換えたことの実例であるが、それ以上に深い要因がありそうだ。
これも軍中枢のミンアウンフラインに批判的な幹部たちからの情報である。
中国・ミャンマー国境に沿う地域には麻薬(ヘロイン)と薬物(覚せい剤)製造拠点があり、オンライン詐欺、不法なインターネットギャンブルの国際センターがある。その収益は膨大な額になるが中国人の被害者も数十万に及んでいるとみられている。習近平政権にとっても取締りの対象となった。しかもその不法地帯をミャンマー国軍が支えている。財政難に陥った国軍はその不法巨大ビジネスに深入りする。
中国の監視の目が厳しくなるにつれ国軍はロシア接近をつよめ、戦闘機や石油などの支払いに不法ビジネスからの収益を当てている。そのように見た中国はミンアウンフラインを見限るに違いないというのだ。
またEVや携帯電話の電池に必要なレアアースは中国が世界一の生産量を誇るが、それでも足りない。数年前に発見されたミャンマー内のレアアース鉱物資源はカチン州に集中している。
政治的安定には程遠く、中国の権益、国益保証もおぼつかないとなったら中国はミンアウンフラインを見放すだろうという見方は、いま軍幹部のあいだでさえひろがりつつある。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13510:240124〕
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