習一強体制の苦境(4) ―カネが渦巻く社会の出現
- 2024年 1月 25日
- スタディルーム
- 中国田畑光永習近平
前3回は4分の3世紀の歴史を歩んだ中華人民共和国のこれまでの最高指導者のうち、毛沢東、鄧小平の治世の骨格を現在の視点からふり返った。
まず建国初代の最高指導者、毛沢東は大衆に階級闘争の理念を説いて、そこから戦闘力を引き出し、「持たざる者」の革命闘争で国民党政権を倒し、中華人民共和国を建国することに成功した。しかし、毛の政権が引き継いだ國土は長年の戦火で荒れ果て、民衆に革命の果実を与えるにしても、引き続き階級理念を説くことによるエネルギーに頼らざるを得なかった。「階級闘争は要(かなめ)」であり続けたのである。
そして、この路線は最終的に「文化大革命」の混乱と悲劇を生む結果に終わり、国を豊かにすることはできないまま1976年の毛の死で幕を閉じた。
次の鄧小平(そして江沢民、胡錦涛)時代は「改革・開放路線」という名の30年強であった。鄧は徹底した現実主義者で、イデオロギーに捉われずに思い切った外資導入で、とにかく生産を増やし、国民の生活を豊かにすることに力を注いだ。
その結果、2010年にはGDP総額で日本を抜いて、中國は世界第2のGDP大国の地位を占めて、世界から一目置かれる存在となった。とはいえ、中國の人口は日本の10倍以上であったから、1人あたりにすれば、まだ日本の10分の1というところであった。
この後がいよいよ習近平時代であるが、その前にそこまでの歴史に対する中国自身の自己評価を見ておきたい。とは言っても、それは結構ややこしい。時代とともに為替レートも物価も変わるから、およそのイメージとして受け取ってほしい。政府の公式見解を参考に、その数字を並べてみる。
まず中国の検索サイト「百度」の記述―
「新中国成立以来、中国共産党の指導下にわが国経済は急速に発展した。特に改革・開放以来の40年に経済発展は快速レーンに入った。GDPを例にとれば、国家統計局に統計のある最初の1952年のわが国のGDPは679.1億元であった。『一窮二白』(空白に近い、の意)の境地と言っていい。
そして、改革初期の1978年でもGDPは3678.7億元であった。それが2020年には100兆元を突破し、101兆5986億元、40余年で275倍に成長したのである」
確かに改革・開放を境いとして、その前後の成長率を機械的に算出すると、1952~1978年の26年間ではGDPは5.4倍に増えただけだったが、1978年から2020年までの42年間ではなんと276倍である。期間の長さ、その間の様々の要素の変化を考えねばならないにしても、その差はケタ違いである。ここに現代中国の一つの大きな問題点がある。
それにしても、42年というのは一つ区切りとしてはいささか長い。じつは特筆したいのは、この間の1991年から2010年までの最後20年間である。添付のグラフはその間のGDP成長率の推移を年表に重ねたものである。1990年の大きな落ち込みは89年の天安門事件で西側から経済制裁を受けた傷跡だが、それから回復しての20年ほど、下って上る経過を辿るが、全体の水準が高い。つまり成長率が高い。それが1920年直前まで続く。
この間には14.2%の2007年を筆頭に2けたの成長率を遂げた年が11年、9%台の成長が5年ある。低い方では1999年の7.6%が最低で、それより成長率が低い年はない。2011年以降も成長は続くが、以前ほどの勢いはなくなり、徐々に減速する。表の右端の変動はコロナ禍の反映である。
その間の1人当たり所得の増え方はどうか。1991年の人口は11.58億人、GDPは2億1781.5万元、1人当たりでは1,881元である。それが2010年では人口が13.4億人、GDPは40億1512.8万元、1人当たりでは29,964元。20年で1人あたり15.9倍となった。
習近平政権が発足するのは2012年秋であるが、この年はGDPが51億9322万元、人口が13.54億人で1人当たりGDPは38,355元に増えている。このあたりの中国経済の成長ぶりは目を見張らせる。
しかし、これほどの成長はいくらなんでも自己増殖だけでは不可能である。その間、莫大な外部からの資金投入が続いたからこそ実現した成長である。外国資本の投資はもとより多額に上ったが、そのほか在外華僑からの投資や送金、日本のODAのような外国からの公的資金などが成長する中國に殺到した。
その根源はといえば、鄧小平が残した対外開放政策にほかならない。中國の地代や労働コストの相対的安さに加えて、税制上の優遇、さらに中国市場それ自体の圧倒的大きさ、これらすべてが外資を引き付け、中國経済を膨張させた。
それでは、当時、前代未聞(おそらく)の投資戦争、儲け戦争の現場はどういう状況であったのか。外からは容易にうかがい知ることは出来ないが、ここである書物の一部を引用させてもらう。
「そのころの中国は混乱の時代で、政府機関同士が、土地や、資源、免許などを巡って争っていた。異常な経済成長のために、あらゆることに大きく金が絡んでいたのだ。競合する国有電話会社同士が、理屈の上では同じ国有企業だというのに、互いに相手の電話線を引き抜く。不動産開発の権利を巡って、官僚がごろつきを雇って相手方のごろつきに対抗する。ライバルのバス製造会社が、省を越えて暴力団を送り込み、相手を拉致する。そういうことがまかり通っていた。」
これは2000年代の初め、有力政治家の家族に取り入ったある夫婦が、いったんは資本を手に入れ、事業で成功するが、結局、夫人はどこかへ拉致されて行方不明、本人は息子と英国へ逃亡という結末を迎えたその体験を書いた回想録の一部である。(デズモンド・シヤム『レッド・ルーレット』草思社145頁)
中國経済に外資というエネルギーが大規模に注がれたことで、生産、流通、金融それぞれ動きが急速に活発化し、肥大し、ぶつかり合い、各所に傷跡が残ったさまが理解できる。一党独裁の中国では自由世界の国々の経済活動と違って、生産、流通、金融を担う各企業、各機関が根っこでは中国共産党の組織につながっている。逆に言えばなかなか他人同士のすっきりした対立にならず、党内の序列、関係に利害が絡んだ葛藤が生まれ、党内の力関係が経済でもものを言うことになる。
第二次大戦後の日本も激しいインフレとモノ不足の中、食うや食わずの庶民と闇成金が共存するという時期を経験したが、中国のそれはおそらく日本より桁違いの狂乱ぶりであったろう。
さて、いよいよ習近平政権の登場である。上の暦年成長率表の線が右へ向かって下がって行く2012年がスタートで現在まで政権は続いている。それは引用した文章が示す巨額の外貨の流入で、国中がいわば狂乱状態に湧いて一息ついたところとでもいうべき段階であったろう。
毛沢東、鄧小平という、現代中国の双親(ふたおや)とでもいうべき人物が去って、新しい時代がその後継者につきつけたのは、降り注ぐ外資に上下を問わず人々が狂乱した後始末であり、その大役がなぜか習近平に回ったのであった。(続)
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