習一強体制の苦境(5) 習一強体制の苦境(5)―「反腐」が「恐怖」に
- 2024年 1月 26日
- スタディルーム
- 中国田畑光永習近平
習近平は2012年11月の中国共産党第18回大会で中央政治局常務委員会の序列1位に選ばれ、党総書記、つまり中国のトップの座についた。その時の選考経過などは勿論、明らかにされていない。ただ何となく世情に伝えられているのは、当時、最終的には首相候補としてナンバー2の順位に選ばれた李克強も、当初は習と並んで1位候補に上がっていたのだが、高度経済成長がもたらした全国的な不正・腐敗、とくに高級幹部の腐敗に対してより強硬な対処を主張した側についたのが習近平で、それがトップへの道を開いたという説である。
その真偽は私には判定できないが、総書記に就任した後、翌13年1月に習近平は「トラもハエも同時に叩く」、つまり大物も小物も汚職犯を取り締まるという方針を打ち出した。当時、「不反腐亡党、反腐亡国」、「腐敗を退治しなければ、共産党は亡びる。しかし退治すれば、国が亡びる(役人がいなくなるから)」という言葉が流行るほどに、腐敗は社会にはびこっていたから、「トラもハエも」は国民にうけた。
そして「掛け声倒れではないぞ」とばかりに、トップに座った習近平は、取り締まりも「そこまでは無理」が常識だった大物、前期の中央政治局常務委員、つまり直前までトップ・グループの一員で、しかも政法(司法・検察)担当だった周永康という大物をあえて反腐敗のやり玉に上げた。これは「刑不上大夫」(お偉いさんは罪に問われない)という庶民の常識を覆した。習はさらに軍の最高幹部2人、前の共産党中央事務局のトップ、そして大行政区のトップと、それまで取り締まりの及ばないところに安住していると思われていた「大トラ」に続々、反腐敗の法網をかぶせて、獄に送り込んでいった。
それは確かに快挙であった。勿論、反腐敗の矛先は中・下層幹部にも及んだ。習近平治世の最初の2期、10年(2013~2022)の間に反腐敗で起訴された件数、人数は483万件、471万人に及ぶ。単純に日割り計算すれば、1日当たり全国で1320件余、人数にして1280人余の腐敗案件が法廷に持ち込まれたわけである。いくら中國は広いといっても、この数字には驚かされる。
同時にこの習近平の腐敗狩りは新しい矛盾を生んだ。先に「不反腐亡党、反腐亡国」という言葉を紹介したが、これはまさに言いえて妙で、中国の腐敗は「反腐亡国」の域にまで達していた。つまり反腐を徹底すれば、まさに国が危うくなるところにまで深刻化していたのである。
習近平が反腐の第一矢を前執行部の司法・検察担当の周永康に放ったのが暗示するように、腐敗といっても中国の場合、ある企業が仕事を有利に運ぶために関係する官僚や政治家に賄賂を渡すといった事例はほとんど報道されない。勿論、そういう事例もないはずはないのだが、多いのは公的機関の日常業務の中で授受される、言うなれば半ば公然たる「ヤミ手数料」のごときものである。
私が直接、中國人の知人から聞いたほんのささやかな事例だが、たとえば庶民の会社や商店が地元政府から補助金などがもらえるとなると、まずもらう前に係の役人がなにがしかの「手数料」のごとき額を当然のように天引きしてしまう。それに異を唱えれば支給そのものがご破算になる、腹立たしい限り、という。
それから、軍人志望を途中でやめて民間で働いている人物だが、軍をやめた理由は、とにかく階級を上げてもらうために、せっせと上官に賄賂を貢がなければならないことだった。上官はその上の上官に同じことをして、それがずっと上まで続いている、それがいやになった、と。それを聞いて、なんで軍の最高幹部が2人も捕まったのか、理由が分かった。
これらの例がわれわれに教えてくれるのは、贈収賄が工事の受注争いといった特別の利益確保のためばかりではなく(それはそれで存在するであろうが)、妙な言い方だが、補助金を受けたり、普通に昇進するために、義務のように広く行われていることだ。軍人や司法関係の大物が収賄で捕まるのは、なにも個別の利権などではなく、そういう慣例のようなものの結果らしい。でなければ、日本流では長官だの次官だのという大物がぞろぞろ巨額の収賄で捕まることの説明がつかない。
それで分かったのは、習近平が最初に人気を上げた大物摘発にしても、ほかの多くの事例にしても、収賄で大物の名前は出るが、まず贈賄側の名前は出ないことだ。贈賄側はむしろ被害者にさえ見える。
それがじつは大問題だと私は思う。中國のあまたの役所で広く、なかば公認で贈収賄が行われていれば、まさに「反腐亡国」だ。国がなくなってしまう。理屈はそうだが、実際には習政権が大勢の収賄官僚を摘発したとしても、すべて摘発しきれるわけがない。すると、結果は不公平にならざるをえない。これが当然ながら、次の大問題である。
習近平が国家主席は2期10年までという憲法の規定をあえて廃止してまで長期政権を目指し、それを実現したのは、習自身の引退するべき日が近づくにつれて、彼の時代に罪に落とした人間の数に思い至り、その人間たち、およびその家族が自らの不運を嘆くとともに、習に対する恨みを決して忘れないだろうことの重みを痛切に感じ取ったからだと私は推測している。ひょっとすると、一介の隠居老人として余命を全うできないのでは、という恐怖に捉われたのではないか。若いころ、父親の習仲勲が失脚していた時期の苦難を知っている習近平が、引退が近づくとともに自分の行為がどれほどの恨みを自らに向けさせたかに気付いて、愕然としただろうことは想像にあまりある。
国家主席の任期廃止を決めたのは2018年春の全人代(全国人民代表大会)であるが、憲法改正についての全人代常務委副委員長の報告では、ほかの改正点とならべて、たった一行「国家主席の任期について新たな規定を設けることに一致して賛成した」とあるだけである。しかし「新たな規定を設けた」というのは嘘で「任期の廃止」という重要な決定であるにもかかわらず、その後もこの改正の理由については公的には一言も説明がない。都合の悪いことは言わない、の典型的な一例である。
習政権の初期に腐敗分子摘発に活躍した王岐山を2017年の任期切れの際、68歳という事実上の役職定年を無視して国家副主席につけて、公職に留めたのもおそらく同じ理由のはずだ。ボディガードなしに巷に置くことは出来なかったのだ。習の恐怖は王岐山より強かっただろう。なにしろ「反腐敗」の最高責任者だったのだから。
ここから彼の延命工作、できれば2035年まで、可能なら生ある限り現職のままで、という執念が彼をとらえて離さないと私は見ている。それにはどうしたらいいか。誰にも文句を言わせない大きな勲章を身につければいい。その勲章は台湾統一しかない。プーチンのウクライナへの特別軍事作戦は習近平を大いに勇気づけたに違いない。もっとも、その後の経過はプーチン、習近平が描いた通りには進んでいないようであるが。 (続)
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