「汚染」を「除染」と言い包めて汚染を放置する原発関係者(政府、東電)
- 2024年 3月 4日
- 時代をみる
- 「安全」「安心」の帰還政策の欺瞞「除染」は「移染」合澤清青木美希鵜沼久江
参考資料:青木美希著『地図から消される街』(講談社現代新書)
A. 3.2シンポジウムの意義
3月2日、文京区民センターで、ジャーナリスト・作家の青木美希さんの福島原発事故と能登半島地震の報告と鵜沼久江(福島県双葉町からの避難者) さんの実体験に基づく話を聞く機会を持った。
その前に、急いで青木美希著『地図から消される街』(講談社現代新書)を読み終えていたので、多少の前知識はもっていたのだが…。
しかし、それでもパネルに映し出される映像(福島だけでなく、能登半島の被害状況も)には圧倒されるものがあった。さらに、被災者(地震ばかりか、原発事故の被災者である)鵜沼久江さんの話、彼女の訥々とした語り口や明るさには、ある種の感動を覚えた。
彼女の連れ合いは、がんが内臓のほとんどすべてに転移して亡くなったそうで、亡くなる前に「原発に殺られた」と遺言していたので、献体して遺体解剖を申し出たそうであるが、その結果はいまだに知らせてこないという。
避難生活の大変さはいまさら言うまでもない。居住空間の狭さ。40畳に40人が押し込まれ、寝返りもままならなかったこと、トイレの不自由、等々。
だが、こんなことはまだ序の口で、汚染地域の自分たちの住居に帰れない、畑も荒れ放題、農作物を作っても、放射能汚染が強く残っているため、売れないし、食料にもならない。
しかも、政府や東電は、すでに除染されているのだからと帰還を強要してくる。それに従わなければ、補償の打ち切りが追い打ちをかけてくる。
帰還したところで、町や村には医者も、スーパーも商店もないし、消防署も警察もない。どうやって生活すればよいのやら見当もつかない。
避難先では、子供たちがいじめや差別に会う。家族・夫婦別居生活から離婚する人、将来への絶望から自殺する人、老人や弱者の衰弱死、医者通いや家族に会うために遠距離を往復せざるを得ない時間と交通費の嵩み…。
しかも「キリがないから」という理由で除染作業を打ち切りながら、「汚染」を「除染」と言い包めて、帰還を促し、何とか原発事故問題を打ち止めにし、補償をゼロにもっていこうとする魂胆だ。帰還政策とは「棄民政策」ではないだろうか。
これが「日本という国、政府」だったんだ、というなんとも悲痛な思いを打ち明けられた。
それにしても、彼女の話ぶりのなんとも陽気な(といえば言い過ぎになるのであろうか?)口調に、逆に彼女の心底からの怒りを感じた。
「私はこう言ってやったんだ、除染をお願いします、などとんでもない。『除染しろ』と言ったんだ」。福島原発のおかげで東京の人たちは電気が供給されてよかったかもしれないが、こちらはすべてを失ってしまったのだから、と。
「深刻なのは住宅の問題だった。避難指示が解除されても帰還しなければ自主避難者と呼ばれ、住宅の無償提供が打ち切られる。2014年に解除された田村市と川内村の一部は17年3月末で住宅供給が打ち切られ、15年に解除された楢葉町は18年3月末に打ち切りとなる。戻れば公営住宅や補助金がある一方、戻らない選択をした場合には家賃補助が月2万~3万円などとか細く、それもまた2年で打ち切られる。生活の基盤を奪われ避難生活を続けてきた人々に経済的負担がのしかかることになる。」(青木美希著『地図から消される街』p.112)
B. 「除染」は「移染」だ、「汚染の拡散」だ!
青木のこの本には次のような小見出しが付いた個所がある。
「除染の欺瞞」―「作業員たちの証言」―「川に流された汚染物質」―「除染ならぬ移染」―「多重下請け構造の深き闇」…
この本の狙いの一つが、この「汚染」を「除染」と言い包めるカラクリと、その結果「安全」「安心」な元の場所への帰還促し政策の欺瞞性を暴くことにある。関連する証言をいくつか引用してみたい。まず、現場作業員の話。
『屋根を拭き取ったって線量は下がらないし、まともにやっていたら家一軒に3日はかかる。工期が3倍あっても終わらない。放射性物質が瓦にこびりついてしまって、拭いたぐらいじゃとれないんだ。だから、夕方になって住民もいなくなったときに、水(高圧洗浄)でバーッと流しちゃうの。そうじゃないと線量下がらないから。作業おわらないっぺ。』(同書p.70)
『もともと落ちている葉や茎は集めなくていいという指示だった。除染範囲(道路や家から20メートル)外に投げるように言われているんだ』(同書p.71)
木の葉や汚染土などは、収集された後に、近くを流れる川などに蹴落とすよう現場の親方から指示されていたという証言もある。
これを「拡散(移染)」と言わずに、どう呼ベばよいのか。この理不尽さを確かめるために彼女はただちに役所に駆け付けたそうだ、そして次のことが判った。
「この間の環境省の対応について、福島環境再生事務所(現・福島地方環境事務所)や本省に通った。原因の一つが環境省の人手不足、ノウハウ不足であることが浮かび上がってきた。ゼネコンを頂点にした多重下請け構造で、違法派遣も常態化している。」(同書p.81)
ゼネコンとは、鹿島建設や大成建設という巨大企業である。そしてその下請け企業は、親会社の(あるいは政府や東電の)無責任を全て押し付けられている怪しげな業者である。
その見返りとして巨額な金銭が動く。そして現場労働者の悲劇が始まる。
「2018年1月23日には、FNNが除染の下請け企業について「除染と関連事業を請け負うことで、2016年の1年間で105億円を売り上げたが、このうち、利益が56億円に上ったうえ、代表ら役員が43億円もの役員報酬を得ていた」と報じ、除染事業のカネの不透明さに疑問を投げかけた。」(同書p.104)
現場作業員は、危険手当が支払われなかったり、賃金未払いになったり、「防染」のマスクや衣類が正規な形で支給されなかったり(普通の市販マスクでの作業さえあったという)、労働条件や労働内容に不満を言えば、解雇か恫喝にあうことになり、そして粗末な「タコ部屋」生活を強いられる。急ごしらえの寄せ場なため、労働組合もない。保障もない。「除染作業」に従事しているという使命感も誇りもたちまち消失してしまう。
C. 「安全」「安心」の帰還政策の欺瞞
先程から見てきたように、何が何でも帰還を急ぎたいという政府と東電の思惑が、原発事故は終焉しているとの対外的な見せかけをつくることと、巨額な補償の打ち切りにあることは以下に引用するものの中でさらにはっきりしてくる。そして、行き場に惑う大勢の棄民が露頭をさまようか、「汚染地区」に仕方なしに戻るかの道を選択させられる。
「自主避難者に追い打ちをかけたのが、2017年3月末の住宅提供の終了だった。」(同書p.251)
「2016年12月9日の衆議院原子力問題調査特別委員会で、堀内詔子厚生労働大臣政務官は「現在、雇用促進住宅に入居されている自主避難者の方々については、(2017年)4月以降も引き続き有償で入居することを可能とさせていただいております」質問した菅直人はこの答弁を肯定的に受け止め、「他の役所も当然そうするべきだ」と訴えた。だが、入居のためには、「申請者の収入が家賃・共益費の3倍以上あること」という避難者にとって厳しい条件が付けられた。雇用促進住宅は働く人のための公営住宅で、「3倍」という収入基準は平常時の入居条件と同じだった。」(同書pp.252-3)
「どうして福島県と政府は、住宅提供を打ち切るのか。…福島県職員の回答はこうだ。「国と協議したところ、除染が終われば延長する理由がない、という判断です」情報公開で取った文書では、打ち切りについては知事と安倍首相が協議し、首相の同意のもとで打ち切りが決まっている。確かに除染は終わろうとしているが、放射線量は元通りではない。…除染すると土や葉、木など大量の廃棄物が生じる。置くところがない、ということだった。要するに、「きりがない」という判断だ。」(同書p.264)
「年間1.54ミリシーベルトと推定されている放射線の影響をどう見積もるかは個々人に委ねられる。避難指示解除されたのちに「戻る」も「戻らない」も自分で判断するものだ。ただし、福島第一原発事故の損害賠償の指針を決める政府の原子力損害賠償紛争審査会は、解除後1年を目安に一人10万円の精神的賠償を打ち切る方針を定めている。」(同書p.111)
除染の結果、放射線量は低下しているのだから、それほど騒ぐことはないのではないか、という人がいる。しかし、以下の証言を聴けば、そのような甘い考えもたちまち吹っ飛ぶ。
「福島第一原発で技術系の仕事をしている男性(50代)…原発で働いている自分たちにとって現場で危険とされていたもの、持ち出してはならないとされていた以上の汚染が、原発周辺の住民には「日常」「安全」にされている。」(同書p.148)
こういう場所が、すでに除染を済ませた場所として封鎖解除されているのだ。低線量被曝の影響も明らかになっていないのである。そして原子力のある専門家(この本の中では名前は明かされていない。原子力規制委員会初代委員長・田中俊一の先輩格の人で、著名な学者であり、広島出身の被曝者と紹介されている)は、彼女が「廃炉までの道筋も見えていない。公表されている「廃炉まで30~40年」という見通しについても意見を求めた」際にこう言っている。
「福島原発の燃料の映像を見て驚きました。もう少し形を保っていると思っていましたが、ここまで崩壊しているとは。われわれは地獄に行かざるを得ないと思いました。30~40年というのは、『ここまでの地域はもう住めませんよ』と言えるようになる期間に過ぎない。コンクリートで覆っても、熱をもって爆発してしまう。今の僕たちには対処は無理です。何か新しい技術が開発されない限りは対処できません」(同書p.141)
また曰く、「低線量であろうとも、必ず人体に何らかの影響はある。ゼロに近ければ近いほど良い」と。
学者グループも、この事態を静観していたわけではない。しかし、彼らのデータはほとんど取り上げられていないという。
「(2013年、がれき撤去でコメ汚染か―追いつめられる農家―)この2013年夏の異変を、京都大学(小泉昭夫教授・環境衛生)や東京大学(中島映至教授)の研究グループが捉えていた。中島教授は取材に対し、「通常のがれき撤去でも広範囲に影響があることが分かった。東電は費用をかけてでも飛散防止に万全の策をとるべきだ」」(同書p.154)
「飛ばないように対策を強化するのであれば、全体をコンテナで囲う方法がある。巨大なシェルターで覆ったチェルノブイリ原発4号機のようにするイメージだ。東京大学の児玉龍彦教授は、筆者の取材に対し、「政府の責任で排出しない体制を作らなければならない。早くドームで覆うべきだ」と主張したが、東電は「かつて検討しましたが、コストがかかるうえ、全体の作業が5年以上遅れる」などとして、こうした案は実現しなかった。」(同書p.161)
D. どうしてこういう危険な原発が必要なのか?
繰り返すようだが、何事も曖昧に済ませるという日本の官公庁の狙いは、次のことにあるようだ。「…「曖昧にする。賠償を打ち切る。”彼ら”の筋書き通りです」経緯に深くかかわった官僚が、そっと告げてきた。」(同書p.169)
さて、そろそろこの小論を締めくくりたいと思う。
電力は日本ではすでに余り気味だといわれている。しかも、元京都大学の小出裕章が繰り返し指摘しているように、原発に使うコストは毎年、その前の予想をはるかに上回る高額になり、しかも工期も大幅に引き延ばされている。こうした原発にこだわる理由とは何なのか?
「なぜ日本は「原発は重要なベースロード電源なのか」」色々な意見や考え方があるようだ。中でも「核抑止力」のために必要という考え方がかなり有力だ。
「政治家が電力株を持っているから、電力会社を維持するため、電力総連が原発賛成だから、「日本経済が破綻しないため」—廃炉にすると、各電力会社が保有する原発がプラスからマイナスの資産になり、何十年もかけて廃炉にしなければならないばかりか、経済そのものが破綻する恐れがある。「核抑止力」のために必要…。」(同書pp.119-20)
「電力会社を維持するため」ということは翻って考えれば、「原子力損害賠償法」の免責を東電などに主張されたとき、経産省にすべての責任がかかってくることを恐れたための自己保身だという。
「 (元経産省官僚の)古賀茂明によれば、「免責を使われると安全対策を怠りながらも原発を推進してきた経産省の責任が問われ、賠償問題が国にふりかかる。経産省が東電会長に『経産省が東電を守るので、免責事項にあたるといわないように』と約束したと聞いた」東電を守るための密約…。」(同書p.186)
「電力総連が原発賛成だから」という見方は、「雇用を守るのが組合の仕事だ」という彼らの発想を根拠にしている。
「廃炉にすると、各電力会社が保有する原発がプラスからマイナスの資産になり、何十年もかけて廃炉にしなければならないばかりか、経済そのものが破綻する恐れがある」という見方もある。しかし、毎年巨額な税金をつぎ込み、しかも被害者への補償も満足にできずに、延命策をいつまでも続けることは不可能ではないだろうか。
実は、この問題はわれわれにとって笑い事では済まされない重要な意味を持っている。
「東電の賠償金の一部は、全国(沖縄を除く)の電気料金に上乗せして賄われてきた。さらに2016年に経産省は、賠償金想定額を従来の5.4兆円から7.9兆円に増やした。増加分は、新たに電気代に上乗せされる国民負担2.4兆円を含む。新たな負担は原発と関係のない「新電力」まで含めて送電線の使用料(託送料金)に転化し、20年度から約40年間、毎年600億円ずつ集める。しわ寄せはいつも国民に来る。」(同書p.187)
因みに、脱原発に舵を切ったドイツの電気料金と日本のそれとを較べてみればよい。日本の料金がいかに高いかがわかる。
それでは「核抑止力」利用とはどういうことなのか、以下、青木のこの本からご紹介させていただいて小論のまとめとする。再軍備=防衛費増大に連なるかもしれない重大な問題がここにある点にも留目願いたい。
「日本のプルトニウム保有量は、2016年末時点で約47トン、原爆約6000発分に相当する。」(同書p.120)
「2014年2月ごろ、「核セキュリティー」を重視するオバマ米政権が日本に対し、プルトニウムと高濃縮ウランの引き渡しを要求するという情報を奥山俊宏編集委員から聞いた。「テロ対策」の一環としてのことだった。引き渡し対象は茨城県東海村の高速炉臨界実験装置(FCA)にある核物質だった。同施設にはプルトニウム約300キロと高濃縮ウラン約200キロがあるという。プルトニウムの8割は核爆弾に転用しやすい純度92%だ。」(同書p.133)
「六ヶ所村の再処理工場が今後稼働すれば、毎年最大8トンのプルトニウムが生まれることになる。」(同書p.138)
オバマ以後も、こういう要求が繰り返されているという。最近では、アメリカさえも、日本が保有するプルトニウムの量に危機感を覚えているかに思える。もちろん、日本政治の右傾化(安倍晋三内閣ではそれが顕著だったが)もそこに絡んでいるであろうが。そして忘れてならないのは、石破茂(次期総理大臣候補の筆頭にあげられている)こそが、「核抑止力」=原発推進派の旗頭であるということだ。
政府は絶えず国民を見殺しにしてきた。満州開拓団も、先の戦争に駆り出された兵士たちもそうだった。漁業者の反対を無視しての、汚染水海水放出も決して許すべきではないし、政府、東電を信用すべきではないことがわかる。(このトリチウム問題は青木の新著『なぜ日本は原発を止められないのか?』文春新書、で触れられている)
青木がこの記事を書いた動機は、以下の事情にある。身につまされる。
「東京では、今や事故のことが口に出されることが少なくなり、いつも通りの生活が営まれている。…けれど福島第一原発から約30キロの南相馬市に行くと、僧侶や市議、会社員たちから口々に、「現状を伝えてほしい」と求められる。「政府はすべて収束したとしている。とんでもない」「解除されても70歳以下は誰も戻ってない」—その訴えは切実なものばかりだ。急速に忘れ去る世間の無関心をいいことに、支援は打ち切られていく。特に避難指示区域外から避難してきた人たちは「自主避難者」と呼ばれ、本人たちは支援を必要としているのに、福島県や神奈川県などは避難者数から除外してきた。避難者がいるのに、いなかったことになっていく。それが帰還政策の現実だ。」(同書p.19)
2024.3.4記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔eye5207:240304〕
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