経産省前脱原発テント座り込み日誌3月14日版
- 2024年 3月 18日
- 時代をみる
- 木村 雅英
◎息苦しい雰囲気のます教育現場 3月8日(金)
今日は、昨日の春一番のおまけで午前中から、強い南風が吹き、バナーも幟旗も掲げるのに大変苦労をしてセッティングを進めた。目の前の欅や桜の樹は葉が散ってしまい。落ちてくる枯れ葉が1枚もない。しかし、ここのところ雀が沢山地面に降りてきて、賑やかにしている。経産省の雀は他と比べて栄養豊で肥太っている。どこにそんなに食べ物があるのだろうか。風が強いこと以外は暖かくて2月なのにもう春?と言う感じである。
3時を過ぎた頃からは風も穏やかになり始めた。ただ、さっきまで吹いていた南風と代わり北風になり寒くなってきた。座り込みをしながらYAさんと教員を目指していた青年期の様子について話をしていた。教育実習のころのこと、教員採用試験のころのこと、今の教育界と比べられない状況がそこにはあった。教員を目指すのには恵まれた時代であった。と言うのも、私の時代も教員の数が足りず、採用試験が年2回もあった。前年度は年3回もあったそうだ。そしてその当時は教員も子どもたちものびのびとしていた。職場に自由な雰囲気が満ち溢れていた気がする。
今、私は現場を離れて10年以上たつが、教員の数が足りないのは当時も今も変わらないのだが、採用試験の回数を増やすわけでもなく、学校現場はギスギスした状態であるようだ。それというのも現場は上位下達の構造が作られ自由な雰囲気がなくなっているようである。しかし、僕らが現役だった頃もそうであつたが、最近は特に職場では抵抗する勢力が弱くなっている。管理職の横暴に対して抗う教員が少なく、悪質な校長、教頭の思うがままの職場になっていることが多くなっているような気がする。息が詰まりそうな状況になっていることが多いのではないだろうか。そういった中で行われる教育は、大きな問題が残ったままの結果になるのではないだろうか?学校に自由が無くなると、教育が荒廃すると言われているが、東京都の教育が丁度、当てはまるのではないだろうか。そうならないように我々OBも頑張ろうと思う。(S・S)
◎経産省・資源エネルギー庁に請願申入と抗議 3月8日(金)
イロハネットの方が打合せに出た後、成木さんが到着、経産省への請願申入書を持ってきて、すぐそばのポストに投函。3月11日には到着するだろう。そういえば2月に石上さんが提出した請願申入書も資源エネルギー庁原子力政策課に問うても未だに受取を確認できない。経産省前をデモ隊が通ったり、外務省前を別のデモ隊が横切ったり、文科省前の抗議行動が聞こえたり、悪政を進める岸田政権への抗議が霞ヶ関に響き渡る中、経産省本館前抗議行動を開始。
脱原発、再稼働反対、運転延長反対、老朽原発うごかすな、能登半島地震を忘れるな、命を・地球を・未来を守れ、…コールで抗議行動を開始。 まずは、次週月曜日の3.11行動の発言予定者を紹介。
続いて、白倉さんが、3.11を経験しながらまだ脱原発に出来ない私たちが情けない、この13年間で368人が小児甲状腺がん、3.11子ども小児甲状腺裁判が行われている、低線量被ばくでも発がん、子ども小児甲状腺がんの手術と再発した人も、PTSDと加害者、精一杯この裁判に参加して支援しよう、加害がある社会を変えよう、原発を無くそう、金で動いていく政治を変えよう、声を上げられない福島の現状と社会の問題、東電と国に責任をとらせよう、原発が無くなるまで共に頑張ろう。
福島県伊達市から来た安藤さんが、経産省に強く訴える:今日は最高裁に抗議する為に来た、福島では原発事故による放射能は大、孫子への放射能の影響が大、経産省は即刻原発を中止しなさい、孫や子の為に。成木さんが、経産省への請願・申入書を提出した:能登半島地震では避難ができない、原発避難はどうにもならない、原発推進の政策をするなと。 経産省は直接受取を拒否するので、投函したあと到着を確認している。奥内さんが、2018年3月11日の青田恵子さんの詩「避難者にすらさせてくれない」を朗読、この国の難民にされたと。編集後記から安心できる地球をと添えて。
山本さんからこの日の東京新聞に報道された「国税庁は徴税を」との国税庁への訴えの報告。守屋さんが、米国での核兵器と山火事の問題、能登半島地震の隆起、危ない原発を動かすな、いい加減に目を覚ませと訴え「座り込め、ここへ」と「水に流すな」を歌う。私から、今週の月曜にALPS処理汚染水差止訴訟が4日に開始、また原発ゼロ・再エネ百の会でも汚染水処理で被ばく者を出した東電を追求の報。堀江さんが、先週土曜の衆議院予算案通過を認めた立憲民主党を糾弾、若狭の原発の使用済み核燃料の移送を批判、統一教会と癒着の文科相を批判。
私から2.21院内ヒアリング集会<能登半島地震が教える原発の危険性地震はどこでも起こる、退避も避難もできない>の結果を報告、原発を止めない原子力規制委員会を批判。
坂東さんが、3.11の原電抗議と東電抗議を案内し参加を呼びかけ、この日の最高裁への働きかけなど裁判への参加を呼びかけ、海岸線隆起写真の動画は無いか。
乱さんが、3.11集会と共に、NHKやTBSの報道の案内。そういえば3月2日にNHKETV特集で核燃料サイクル破綻の素晴らしい報道があった。白倉さんが、集会報告とともにパレスチナとウクライナの即時停戦と軍事大国アメリカからの決別を訴える羽場久美子さんの長周新聞記事紹介。最後に、経産省は嘘をつくな、原発安全でも安くもクリーンでもない、「気候変動」を口実に原発動かすな、…のコールで終わる。 (K.M)
◎冬景色の分からぬ人たちも永田町には多いが 3月9日(土)
◯冬景色
まだ寒かろうに、小さな、小さな羽虫が袖にとまり「春が近いぞ」と教えてくれた。永田町や霞が関には一年中春を謳歌する人達もいる。近年益々花咲き乱れている。私には季節以外に春が来たためしがない。
帰り道に東京新聞で開催中の写真展「未来への道~ウクライナと福島の記憶」だ。冬に撮影した写真ばかりではないだろうに全てが冬景色に見えた。「何々を忘れない」という言葉があるが私は冬景色しか思い出せない。 (O・O)
◎暖かくなってきた、座り込みの人も増えるだろう 3月11日(月)
きょうは2時半に太陽が金融庁ビルに隠れるまでは、「春が来た」と思われるような、風も無く暖かい天気であった。しかし太陽がビルに隠れたら途端に寒くなって来て、慌てて防寒着を着た。その後も寒く感じるばかりで震えて過ごすことになった。まだまだ冬対策が必要だ。3月一杯は。
1時過ぎに、午前中にあった「君が代裁判」を傍聴された方が寄って下さった。その方は昼食を取られた後、「この署名を集めているのでお願いします」と言って『定時制高校を廃止しないで下さい』と言う署名用紙を示された。全員が協力して署名した。 以前、新聞で夜間中学に日本へ移住して来た多くの人や色々な事情で義務教育を受けられなかった人々が学んでいるという記事を読んだ事がある。現在、「合理化」(金儲けの別称)という合言葉で色々な事が廃止される方向にあるが教育まで対象にされたら将来を担う人はいなくなってしまう。
ちょうど2時半にⅠ元教授が手押し車を使って来られた。早めに来られてよかった。4時までたっぷり時間があるので。「地球座」のことをネットで調べたがⅠ元教授のプロフィールは載っているが論文などは載っていなかったので尋ねたら「ひらがな表示で調べれば解るはず」ということだった。
きょうの参加者は7名。暖かくなってきたのでこれまで来られなかった人が来てくれるでしょう。(保)
◎3・11脱原発・経産省前大集会
経産省前で集会 福島は終わっていない!
3月11日(月)、福島は終わっていない! 能登半島の原発はもう終わり!! 汚染水を海に流すな!!! と経産省 本館 正面入り口前に200余名が参加して午後2時 から4時過ぎまで開催されました。 以下、その報告です。
事故から 13 年が経過した今年3月11日は月曜。 この日、午後2時前から経産省本館前の車道に宣伝 カーを停めて抗議集会が始まった。 オープニングでは、在日韓国人2世のロックボーカリ スト朴保さんがギターを弾きながら反戦、反核、反原 発をテーマとした数曲を披露。午後 2 時に主催者を 代表し三上治さんが開会挨拶、ゲスト落合恵子さん (クレヨンハウス主宰)、河合弘之弁護士(テント裁判 弁護団長)の発言を受けた。
その後、福島の黒田節子さん(郡山市在住)、吉沢 正巳さん(希望の牧場代表)から寄せられたメッセー ジが紹介され、能登半島大地震を現地から藤岡彰弘さんが挨拶で報告された。また、七尾市の志田弘子さんからも力強いメッセージが寄せられた。さらに、 請戸 テントひろばで共同代表を務める杉山氏からの報告、 経産省への請願・申入れ行動についての報告があった。
後半になって、参議院議員で社民党代表の福島 みずほさんや立憲民主党所属の衆議院議員菅直人さんも駆けつけてくれた。元東芝の原子力技術者・後藤政志さんが能登地震と原発について報告され、長年社会的不平等や差別と闘ってきた菅井益郎さんも 之と地震についてお話しされた。交代で座り込みに参加しているテントひろばメンバーの仲間たちも、日常的な反原発のたたかいの心意気を語った。奈良本英佑さんがガザ殺戮問題を報告し、4時過ぎて、エンディングの音楽を守屋真実さんが歌った。当日の 司会・進行は橋本ゆき、木村雅英の両氏。
(動画 UPLAN 3・11脱原発・経産省前大集会
https://duckduckgo.com/?q=UPLAN+ 3・11脱原発・経産省前大集会&atb=v395-1&pn=1&iax=videos&ia=videos&iai=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DgmoV-yjcoAI)
◎脱原発の聖地を聖地たらしめよう 3月12日(火)
3月12日(火)は雨、そして寒かった。
座り込みは6~7人、以前のように一人になるということはなくなった。
雨でも座り込みは傘をさせるのだが、旗、椅子等の座り込み道具の整理、たたみ、はそうもいかず、傘をさしながらやると、若干苦労する。
今日は2時半くらいから「日本祈祷団四十七士」が経産省前に十人くらい集結、旗を掲げ、楽器(ラッパ、ギター等)をならしながら、大声で脱原発の演説を続け、経産省前を圧倒していた。
「四七士」のチラシには「脱原発の聖地、経産省前ひろばにおいて……死者、神仏とともに祈念いたしましょう」とあるように、「経産省前テント」は信者の皆さんにも「聖地」の拠点となっていることがわかる。テント設営の二〇一一年から一三年、その時はこれほど長く續けるとは考えていなかった。設営のときは「七〇年闘争でやり残した霞が関占拠を今やるのだ」と覚悟した。国家権力による強制撤去への覚悟もあった。が、ちょうどそのころ自民党政権が崩壊し、民主党政権となり、先日(3.11)テント前で演説した管直人などが総理大臣となった。といった時代でもしかしたら強制撤去できないかもしれない、とも考えながらテント設営、座り込みを進めた。そのせいかー基本的には原発にたいする国民の危惧、批判のもとでー民主党政権はテント撤去できず、自民党政権に戻ってから二〇一六年撤去させられた。テントは撤去されても座り込みは続け、今日まで続いている。
こうして経産省前テントは祈禱団によれば「脱原発の聖地・経産省前ひろば」…といった位置となっている。
先日の3.11は一時期と比べれば(一時期は、渕上氏が生きているころは経産省を包囲した)やや減だが、二〇〇名が結集して、脱原発・経産省前集会を実現した。この一三年間一日も休むことなく続けている脱原発・経産省前テント村は、かってないほどの役割と責任を負わされている。
われわれはこの責任と役割をいつまでも続ける任務を負っている。最後までー脱原発までーこの任を共に負っていこう、と気を引き締めた次第だった。 (旭凡太郎)
◎今日も雲水が声をかけてくれた 3月13日(水)
雨の予報だったが、真っ青の青空の日になった。しかし、風がものすごく強い。バナーは下の方につけた。
今日は原発労働者の被曝労働と病気を問う「あらかぶ裁判」で、裁判前にOさん、田中さん、Wさんが寄ってくれた。Wさんは今川焼を差し入れてくれた。裁判が終ったあとAさんが寄ってくれ、その後、衆院第二議員会館での裁判報告会に行った。自転車の大口弁護士が挨拶して下さり、裁判所に行かれた。今日も雲水が通り「身体に気をつけてください」と声をかけてくださった。
風はビュービュー。歩いている鳩も飛ばされそうでよろけていた。座り込みの椅子の後ろにたくさんの雀が溜まっている。ヒヨドリも混じっていた。こんなに近くでヒヨドリをみるのははじめて。マリさんも初めてで、なんという名前か、どういう鳴き声なのかを聞いてきた。規制委員会闘争の後、木村ゲタさんとOkさんが来た。木村さんはアメリカ大使館のところで「普天間を直ちに返せ」「ガザ虐殺を止めろ、イスラエルに武器供与するな」などの抗議をしたそうだ。木村ゲタさんは3.11経産省前抗議集会が成功してほっとした様子だった。当日、香港フェニックステレビの取材もあり、そのことでそのTV局とやり取りをしていた。
◎毎日やっているんですかと驚く人もいるが 3月14日(木)
Yoさん、Okさんと3人で設営。快晴で暖かいが風が少しある中、悪戦苦闘しながら女の子バナーを2枚広げた。Okさんは家から持ってきた米粒を鳥たちに与え始める。するとツイキャスカメラを持った自称ジャーナリストの青年が「撮っていいですか?」と話しかけてきたのでOKした。
Yoさんがテントの説明を始めると「へー。毎日やってるんすか。」と感心していた。背中に竹籠を背負ったお坊さんが通り、Yoさんが「原発反対しています!」と声をかけると「ご苦労さん。体に気をつけてな」と言って行った。その後新しく届いた『季節』春号を広げながら3人で雑談する。私が昨年COP28で「気候変動対策のために原発を推進しよう」ということが世界的合意になったことを話したがお2人ともご存じなかった。メディアがほとんど報じないので無理もない。こんな重大な事実を報じないメディアの惨状が嘆かわしい。
14:20 Suさん登場。続いてOoさんが参加。私は反原発ソングをiPadで流す。今日は経産省内で表彰式でもあったのか、胸に花形のリボンをつけた人たち次々と出て来ては石のプレートの前で記念写真を撮って行く。私はIさんにお借りした『聞いてください』を読んでいたが、日が陰って寒くなってきたのでいつものスタイルで経産省の周りを2周した。時間になりSuさんと3人で撤収作業し、4569日目の抗議行動を終えた。 (M.U)
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◆3月20日(水・祝) さよなら原発全国集会
会場:代々木公園 13時より 集会後デモ
◆3月22日(金) 経産省前抗議集会(毎週)
17時~18時 経産省前ひろば
◆3月23日(土) 14時~ STOP!女川原発再稼働 さよなら原発全国集会 in 宮城
◆3月27日 (水) 原子力規制委員会毎水曜昼休み抗議行動 12時~13時、六本木ファーストビル前
◆3月31日 (日) 12時半~ 老朽原発廃炉!美浜全国集会(福井・美浜町)
◆4月3日(水)
第69回日本原電本店抗議行動 東海第二原発動かすな
17時~18時 日本原電本店前
第127回東電本店合同抗議 東電は原発事故の責任を取れ
18時45分~19時45分 東電本店前
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5216:240318〕
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