世界一の人口大国・インドの総選挙に思う ―インドには負けたくなかったのは何処の国?
- 2024年 4月 22日
- 評論・紹介・意見
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インドで総選挙の投票が始まった。「始まった」というのは妙な言い方だが、国土が広く、人口も多い(世界最多、有権者約9億7000万人とか)ためだろうか、インドの総選挙は州や地域を7つに分けて、およそ1か月半かけて順次投票が行われ、6月4日に開票するのだそうである。
議員の任期は5年、今回の選挙では、すでに2期政権を握ってきたモディ首相率いるインド人民党が引き続き政権を維持するかどうかが注目点だが、今のところ情勢は与党優勢と伝えられているから、モディ体制が続くのであろう。
このニュースを見ていると、今から半世紀以上も前の、1950~60年代のことを思い出した。当時は中国に毛沢東・周恩来、インドにはガンジーという、高名な政治家がいて、「第三世界(東西両勢力に属しない)の指導者」と言われ、広く尊敬を集めていた。
その頃、インド南部のケララ州というところで社会主義政党が選挙で勝利し、地方とはいえ政権を握るという事態が発生し、選挙で社会主義が実現出来るのか、という論争も起こった。
そこからさらに中国やインドのような人口の多い、発展途上国で果たして選挙という形で政権選択が可能か否かということも論議の対象となった。
別に結論が出るという問題ではなかったが、人口超大国では全国的選挙を実施すること自体が難しいが、中國とインドを比べると、中国よりインドのほうがさらに難しいという議論のほうが優勢だったように記憶する。その理由は人口が多く(当時は人口1位が中国、2位がインドで、今は逆)、国土が広い点は共通だが、インド国内での民族、言語の違いが大きいこと、身分格差が残っていることが弱点として指摘された。
以上はそんなこともあったというだけの話だが、今度の総選挙でモディ首相が勝利して政権3期目に入るとなれば、それはそれで中国にもロシアにも相当の影響を及ぼすのではないかと私は期待している。
モディ首相は自国を「世界最大の民主主義国」と自賛するそうだが、一方では彼自身の強権的姿勢も指摘される。しかし、選挙で当選したのなら、その任期中、法律さえ守れば、多少強権的であるくらい、国民は抗議の声を上げながら次の選挙を待てばいいのだ。大事なのは、国民が声をあげて抗議することが可能で、次回、投票によって政権を交替させる可能性があることだ。権力者のほうも事前の評判は悪くても、選挙で勝てば権力の椅子に座り続けられるという細いながらもなお道はある。
一方、選挙のない独裁制が最悪なのは、妙な話だが、評判が悪くなったり、失態を犯したり、あるいは単に飽きられたりした権力者が、「合法的に」権力の座に居座る手段がないことである。となると、そういう権力者はなるべく多くの国民が喜ぶことをして見せなければならない。しかし、国内問題は往々にしてあちら立てればこちらが立たずで、国民の大多数を喜ばせる手段などそうあるものではない。
そこで外で国民が喜ぶようなことをしでかす。見渡せば、今、世界で起こっている国際紛争の多くは、ほぼその類ではないか。いや、プーチンは選挙で勝った、とも言えるが、彼の場合は外でウクライナを攻撃すると同時に国内でも選挙にあらゆる奸計を施して、危険を取り除いたという特異な事例である。
中国の習近平がそのプーチンを見習い、後に続こうとしたことは確かであると私は思っている。それはプーチンがウクライナ侵攻を始める直前、2022年2月に訪中した際の習近平との首脳会談を「中ロ関係に上限はない」と興奮した口調で叫んだ中國側の外務次官の態度に現れていた。しかも、その外務次官がその直後に更迭されたのは、習近平がウクライナ侵攻を支持したと世界に思わせてしまったことに対するペナルティであったろう。
習近平が当時、プーチンのウクライナ侵攻が成功した場合、その波に乗じて台湾統一を現実のものとしようと考えたことは間違いないだろう。その夏、米下院のペロシ議長が訪台した際に、中国軍が狂ったように台湾周辺にミサイルを撃ち込んだのはそれと関係があると私は睨んでいる。
プーチンのウクライナ侵攻に便乗して台湾統一を、という習近平の目算は崩れた。今、中國は南沙群島でフィリピンの巡視船に水大砲を浴びせたり、ソロモン群島を手なずけたりと、ふり上げた拳の落としどころを探しているが、台湾の次期総統も民進党であるから統一への手がかりは今のところ見当たらない。
そもそもアジアの傑出した超大国として中国は建国以来、一貫して名言はしないまでもインドをライバル視してきた。とくに改革開放政策で中国の経済が大きく飛躍し始めて以降はインドには大差をつけたという自信を持っていたはずだ。
そのインドが選挙を重ねて政権交代を実現し、選ばれた指導者が世界の首脳の1人として活躍するのを見るのは面白くないことは間違いない。
改革開放路線の開祖として、中国経済発展の旗振り役を務めた鄧小平は政治の民主化、選挙の実施について、こんなふうに言っていた。
「私は外国からの客人にこう言ったことがある。次の世紀が半ばを過ぎたころに普通選挙が実施出来るだろうと。現在、我々は県のクラス以上は間接選挙、県以下の末端では直接選挙である。その理由は、我々は10億人の人口を抱え、人民の教育程度もはなはだ不十分である。普通選挙を広く実行する条件が熟していない。」(鄧小平『香港特別行政区基本法起草委員会委員と会見した際の談話』1987年4月。『鄧小平文選』第三巻)
改革開放の総設計師の設計図では国民に国家の指導者を直接選ばせるのは今世紀の半ば過ぎとなっていた。以降の権力者たちは、それをいいことに選挙をないがしろにしてきたのではないか、という気がする。
そればかりか、習政権はあきれたことに先ごろ開かれた全国人民代表大会では、恒例となっていた国務院総理(首相)の記者会見さえも、今後は開かないと決めた。選挙の洗礼を受けるのを恐れるばかりか、国民の疑問にも政府の責任者が答えないというのは、いったいどういう神経だろう。
インドは長く続いた国民会議派に選挙で勝利したインド人民党が政権を奪ってすでに2期10年が経過し、その間、国際的地位を高め、経済も発展させた。中國は人口10分の1以下の日本をGDP総額で抜いて、米に次ぐ経済大国となったことを誇っているようだが、インドも来年には日本を抜くという。
何事もインドには負けたくなかったのでは? 習主席のご見解をうかがいたいものである。
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