世界のノンフィクション秀作を読む(68) 三上智恵の『戦雲――要塞化する沖縄、島々の記録』(下)
- 2024年 5月 14日
- カルチャー
- 『戦雲――要塞化する沖縄、島々の記録』ノンフィクション三上智恵横田 喬
三上智恵(ジャーナリスト、映画監督)の『戦雲――要塞化する沖縄、島々の記録』
(集英社新書)――沖縄から日本全土に広がる危険な予兆に警鐘(下)
2021年11月14日、遂に宮古島にミサイル搬入。元ゴルフ場だった千代田地区で宮古島駐屯地が二年前に動き出し、島の南東端に造られた大規模な弾薬庫を擁する「保良訓練場」がほぼ完成。住宅地から二百m余りという距離に大量の弾薬が置かれる保良や七又という集落は、一貫して(搬入を)拒否してきた。島の活性化や安全などの理由で賛成する人たちが人口の密集する中心部に多く居ようとも「島の人は賛成している」と言うのは暴論だ。
この日早朝、未だ暗いうちにミサイルを積んだ戦車揚陸艦「しもきた」が、平良港の沖合に出現。港のゲートではミサイル積載車を市街地に入れまいと抗議する市民たちが既に集まっている。警察車両も待機している。
突堤の先では、いつも石垣島で自衛隊基地を監視している男性が、黒く巨大な自衛艦が迫って来る様子を撮影していた。近寄っていくと、眼に涙を滲ませていたので、しばし言葉を失う。「覚悟して来たけど、悔しい。私たちの暮らしは、何故こんなにないがしろにされるのか?」。絞り出すような声で言った。
宮古島でも石垣島でも、この六年、必死に反対して来た人々の存在がある。踏ん張っている石垣島が最も工事を遅らせているが、石垣駐屯地の造成工事もかなり進んできた。基地が完成し、弾薬が運び込まれる今日の宮古島の姿は、明日の石垣島なのだ。
9時前、接岸した「しもきた」から火薬類搭載を示す「火」のマークを付けたトレーラーが姿を現す。ミサイル積載車15台と、前後の自衛隊車両併せて凡そ40台の車列が整い、港のゲートが開く。自衛隊の車列の先頭は桜のマークを付けたジープで、中に居る若い隊員がマイクを握り、のっぺりとした声で警告した。「通行の妨げになっています。危ないので、道を空けて下さーい」。
これには既視感がある。辺野古で、高江で、抵抗する県民に向かって防衛省の役人がメガホンで、「道路に座り込む行為は、大変危険でーす」と壊れたレコーダーのように繰り返す光景。実際に人々を排除するのは機動隊だ。しかし、一瞬見慣れた構図のようだが、これは全然違う局面を迎えたのだと気付いた。
警察でもなく防衛局員でもなく、迷彩服を着てミサイルを携えた軍人が、直接島の人たちに「そこをどけ」と言っているのだ。かつて国防の名の下に島々に有無を言わせず乗り込んできた日本の軍隊が、島民の生活を破壊し、命の危機に陥れた。それと同じ構図が今、再現されているのだ。
今回、座り込む人々に直接手をかけて排除したのは沖縄県警だが、今後自衛隊員はミサイルを発射するキャニスターを備えた車両で島内を走り回り、撃っては移動するという形の訓練を繰り返すことになる。そんな島の道路の先々に、もし抵抗する住民がいたら、毎回毎回警察に頼んで排除してもらう訳にはいかないだろう。その次は、自衛隊員が抵抗する住民を引きずって道を空けさせるしかない。有事には、作戦を優先する自衛隊員と足手まといになる住民という、沖縄戦と何ら変わらない構図になってしまう。
――せめてどれだけの火薬を持ち込むのか説明して下さい。お願いしているんです!
――警察の皆さん、私たちは島の平和を守りたいだけ。暮らしを守りたいだけ!
港に身を投げ出した人々は口々に訴えるが、機動隊が1人ずつ排除していく。そこには、お母さん(楚南有香子さん)と小学生の娘さんの姿もあった。ゲートが開き、排除が始まると、余りの怖さにこの少女が泣き出す場面もあった。
それを見ていた、見物人の男性がヤジを飛ばした。「こんな処に子供を連れて来て、泣かして。子供を泣かせるな!」。すると、泣いていた女の子がキッとなり、彼に向かって堂々と言った。「お母さんが私を泣かしたんじゃない! あれが泣かしたんだ!」。そう言って、その子は自衛隊の車列を指さした。
子供を政治的な場に連れて来るなという、一見正当に聞こえる批判が沖縄の抵抗の場に何度も投げかけられてきた。批判の主は、立ち上がらねばならない状況に置かれたことも、また人のために切羽詰まった気持ちになったこともない、多数派に抗うことを避けてきた人に違いない。そもそも政治的な場に行かないということ自体が政治的である。
親はいつも判断能力のない子供を連れて社会を歩いているし、子供は親の背中を見て育つ。親のすることを理解しようとして社会を学ぶ。この娘さんは私の知る限り、かなりの時間、島の平和や子供たちの未来を守るために、と街で訴え、ビラを配り、寝る時間を削って資料を作る自分の母の姿を見てきている。だからこそ、街頭での行動は怖くても、お母さんの側に居てあげようとしたのだ、と思う。それが虐待だろうか?
デモには知らん振り、困っている人たちのSOSにも無関心な親は、「社会に関わらない」という姿勢を子供に植え付けていることになる。いつか守りたいものが出来た時、状況に怯まず闘う大人の姿を知っているか否かが、その若者の未来を左右するだろう。沖縄の子供たちは周りで頑張る大人たちを沢山見てきているという点で、どの地域よりも沢山の財産を既にもらっている。
岸田政権になり、この国はいきなり「台湾有事ありき」「敵基地攻撃能力保持は急務」の路線を爆走し始めた。故・安倍元総理は「台湾有事は日本有事」と言ったが、「台湾有事」とは一義的に中国と台湾の問題である。即座に日本がアメリカ軍と共に武力で呼応するのが当然であると国民に刷り込むのは止めてもらいたい。それは、現在の日米の作戦上、必ず日本国土を戦場にすることになる。(日本を焦土にするなどとは)とんでもない。
今、沖縄にいる米軍海兵隊は、22年度までにEABO(遠征前方基地作戦)に対応するMLR(海兵沿岸連隊)に再編され、「島々に分散型の拠点を配置して中国のミサイル影響下で機動性に富んだ作戦を展開するという方向」にシフトする。つまり、いま南西諸島にある、固定された大型の基地は中国のミサイルによってハチの巣にされかねないので、そこは自衛隊に任せ。米軍は臨機応変に太平洋の島々を拠点に戦うということだ。
自衛隊が沖縄を拠点化する動きは加速している。沖縄本島東側の勝連半島にある米軍のホワイトビーチには、このところ自衛艦が頻繁に出現。近くにある陸自勝連分屯地には南西諸島の4つ目のミサイル部隊が来ることが明らかになり、しかも石垣・宮古・奄美のミサイル部隊を統括する役目を負う。併せて先島有事の際に物資を送り込む兵站拠点として整備される。近くにあるキャンプハンセンや、辺野古のキャンプ・シュワブと軍港と滑走路を備えた新基地と共に、沖縄本島東海岸が自衛隊の一大拠点化することも見えてきた。
この数年で、沖縄を二度と戦場にしないという当たり前の誓いが、崩されようとしている。少なくとも米軍基地問題と自衛隊問題を分けて考えているようでは、私たちは負ける。
今、問題なのは「自衛隊の是非」ではなく、「自衛隊が私たちの住む島々をどう使おうとしているか」の問題。「島々を二度と戦場にしない」ために「今のように自衛隊に、私たちの生活の場である山も、空港も、港も訓練に提供し、やがて拠点に変えていかれたらどうなるのか」という切迫した問題にどう向き合うか、ということなのだ。
21年12月24日の県内の新聞の見出しは「南西諸島に攻撃拠点」「沖縄また戦場に」「米軍、台湾有事で展開」「住民巻き添えの可能性」だった。米軍は、機動力を持った小規模な部隊を駆使し、島々を縦横無尽に拠点としながらEABOという新たな戦略で中国を抑え込む態勢を構築する。日本もそれを了承した。沖縄はまた、戦場にされるのか?
▽筆者の一言 本土のマスコミは沖縄で進行している切迫した事態をちゃんと伝えていない。沖縄のテレビ局出身のこの人は、そんな現況を黙視できず、映像作家として迫力あるドキュメンタリー映画を次々制作し、波紋を広げてきた。私は彼女が撮った『標的の島
風かたか』を17年春に都内の映画館で見て感銘を受け、新宿で会い、取材させてもらった。<テレビ局勤務の1995年に女児暴行(米兵三人による)事件が起き、「普天間返還」が(代償の如く)口実に使われた。当時その欺瞞を見抜けず、騙され誤った報道をしてしまった自分が腹立たしく、悔しさゆえに頑張っている。> そんな趣旨の話を聞き、なるほどと納得した。
沖縄の問題は「あっちの方の話」と他人事のように受け取る人々が、本土側には少なくない。私の沖縄行きは「本土返還」がかなった1972(昭和47)年5月15日の前々日が最初。取材応援のために(朝日新聞)記者として派遣され、「基地の中のオキナワ」を肌で体感し、沖縄の人々が抑圧される現実に心が痛んだ。私はチャンプルーの炒め物や三線の島唄にテンポの速いカチャーシーの踊り、そして何より結縄の人々の明るい気質が大好きだ。沖縄が置かれている危険な状況に、本土の人間はもっと親身になり、しっかり眼と耳を敏感にしてほしい。
三上さんが監督した最新作の映画『戦雲(いくさふむ)』は今、全国で公開中。
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