ていこう原理29 子どもの権利条例がある自治体の学校
- 2024年 5月 17日
- 時代をみる
- 長谷川孝
◆「条例あり」との認識はある?
子どもの権利条例(子ども条例も含む)を制定している自治体は、現在、全国で七〇近くになります。日本が国連の子どもの権利条約を批准して7年後の2001年に、川崎市が全国に先駆けて制定、子どもを甘やかすな、家庭や学校の教育を守れなどといった超保守派の激しい妨害の動きがあったものの、権利条例の必要性が広がったと言えます。
こうした自治体の職員など約200人が参加した《「地方自治と子ども施策」全国自治体シンポジウム2023》が、2月に東京都小金井市で開かれました。子どもの参加、子ども会議、居場所、権利救済とオンブズパーソン制度、条例の検証のモニター制度など、多くの課題で論議が交わされました。
その中に、「子どもの権利条例を持つ自治体の公立学校での取り組み」という報告がありました。〈権利条例がある自治体の学校》という認識に初めて出会い、こういう認識の必要性に気付かされるとともに、この認識を持つ学校や教員はいるだろうか、いや身近には皆無に近いと、考えさせられました。
◆学校は子どもに最も密接な〈社会》
考えてみると公立学校は、条例を執行する行政組織の一部であり、かかわりのある条例の執行に役割と責任があると言えるはずです。しかし、実情を見れば学校は、子どもたちに権利について〈教える〉機関であって、権利を実際に体験して〈学ぶ〉場になっていると考えることは、まるで不可能な現実だと思います。
大体、人権に関する条例などでは、人権について行政が「市民を啓発、教育する」と定めているのが多いようですが、この考え方は「人権にそぐわない」と言ううべきです。人権は、憲法第97条の規定のように、「人類の多年年にわたる自由獲得の努力の成果」であって、国や行政から与えられたり教えられたりするものでは決してないからです。
権利条例では、地域社会などにおける権利として、参加、意見表明、情報へのアクセスなどが定められています。学校における権利という規定の仕方はないようですが、学校は子どもたちにとって最も密接で切実な社会だと捉えるべきです。学校という社会が、権利の行使を体験し、権利主体としての自己を形成し、権利社会の主人公として育つことのできる《権利社会》なることが求められます。
◆子どもを「対象」と見る学校制度の眼
「子どもの権利条例を持つ自治体の公立学校での取り組み」の報告に次のような記述がありました。学校を子どもが安心できる居場所に変えようと取り組む際にぶつかる、大きな課題だと思います。
「教職員の子どもの権利に対する理解に難しさを感じている。教職員にとって子どもは、共に学校生活をおくる対象であると同時に、指導の対象でもある。意見表明と指導の狭間で『子どもがわがままを言っている』と教職員が思う場面もあるため、その見極めが難しい。まずは、子どもの意見をしっかり聞いて、子どもにとって最善は何かを考えて、方向性を決めること。できないことに対してはきちんと説明することで子どもたちの理解を得ることを、教職員の共通認識としていきたい。」
子どもを、教育・指導、育成、そして管理の「対象」としている学校制度の中での難しい課題です。でも、対象であるなら居場所にはなり得ません。学校の制度こそ変えねば、と思います。(読者)
初出:「郷土教育777号」2024年4月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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