侵略された国に世界大戦覚悟で武器を送りたがる「狂人達」はどちらに多くいるのか――北米西欧市民社会か露国権威主義社会か――
- 2024年 5月 26日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
前回の小文で、1999年3月24日から6月10日の新ユーゴスラヴィア(セルビア)へのNATO侵略に対する防衛戦争を終結させる外交におけるロシア元首相チェルノムイルジンの衝撃的パフォーマンスを紹介した。ここでは、ロシアから軍事的支援が全くなかった事に関する新ユーゴスラヴィア(セルビア)軍高級軍人の証言を見ておこう。
私の手元に分厚なキリル文字セルビア語の書物(全524ページ)がある。スパソイェ・スミリャニチ著『NATO侵略 祖国防衛戦争における空軍と防空軍――第2版』(2009年、ベオグラード)である。著者スミリャニチは、1947年3月生れ。1999年1月20日から2001年8月5日まで空軍防空軍の最高司令官であった。軍階級は大将。2001年10月30日に年金生活に入る。NATO大空爆を真正面から引き受けた人物の著作である。それなのに格付けの高い出版社から出版されていない。自費出版である。
2012年にセルビア民族主義系が政権を回復するまで、2001年以来親NATO系の政権が続いていた。NATO侵略という表現を使用しない政権である。そんな政治環境下では、対NATO防衛戦争を肯定する大著の出版を引き受ける出版社を見い出し難く、自費出版となったのではないか。私=岩田の推察である。
私=岩田は、本書第19章「同盟国なき戦争――ロシアへの期待」(pp.451-458)を要約紹介する。
エリツィン大統領周辺の政治家や顧問達は、セルビアにコソヴォをあきらめ降伏するように説く者もあり、「侵略は悪いことだ。しかし侵略を理由にロシアが西側との関係を劣化させるのはもっと悪い事だ。」と考える者もいた。
それにエリツィン大統領の状況判断も今ふりかえっても不可解だ。「空爆は無いだろう。そんなことはロシアが許さない。」と語るエリツィンの声明がセルビア・テレビで流された。1999年3月24日のことだ。すでにして、NATO軍の最初のミサイルが我国の諸目標と軍施設に命中していた時にだ。
空軍防空軍のセルビア軍人達は、新ユーゴスラヴィア(セルビア)への軍事援助に関して、ロシアの将軍達がエリツィン等を説得してくれる事に希望を託していた。外コーカサス、そしてロシアへ向かうアメリカのルート上にまさしくセルビアやコソヴォが位置しているからだ。
開戦三日目に、参謀本部は、防空軍の専門家チームをロシアに派遣した。防空軍の砲・ミサイル部隊司令官ムラデン・カラノヴィチ少将が団長であった。モスクワではロシア軍参謀本部員が出迎えてくれた。チームはS-300、Tor、Bukの提供を要請した。モスクワ近郊に要求された兵器の多くが貯蔵されている、新ユーゴへの提供に問題なし、より高性能の兵器も提供可能である。これがロシア軍参謀本部の最初の回答であった。
カラノヴィチ代表団は、モスクワ滞在四日目、ロシア議会の防衛安全保障委員会に招待され、そこで武器支援の必要を訴えて、熱い深い共感を示された。ところがその同じ四日目に、ロシア軍参謀本部から回答が来た、「武器の提供は出来ない。エリツィン大統領の承認があれば、その時のみ出来る。」
4月6日に、ロシア政府第一副首相ユリ―・マスリゥコフの声明があった。「新ユーゴスラヴィアへの軍事援助は不可能であり、不必要である。武器を送るように準備する狂人達がロシアに現れているのかも知れない。しかしながら、私はそんな事は不可能かつ不必要だと考える。」(強調は岩田)これがエリツィン大統領の決定であった。
そして、元ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフの声明「ユーゴスラヴィアに防衛用武器を送ったら、ロシアを実戦に巻き込むだろう。世界大戦はバルカンから始まったのだ。」を知って、防空兵器システムが入手できない事を完全に悟った。
ロシアからの対空防空兵器提供の可能性を信じて、セルビア軍はなけなしの防空要員を武器操作訓練のためにロシアへ送っていた。現地の対空戦斗が最も必要としている兵員達の時間を無駄使いしてしまった。
要約紹介は以上。最後にスミリャニチ大将の言をそのまま訳出する。「ユーゴスラヴィアへ武器提供を拒否するロシアの理由は、多分正当であろう。」「国の領土的一体性と人民の自由を守る為に戦争する事は憲法上の義務であり、全き正当性を有する。同盟国なしに数百倍強力な敵と戦争する事にいかなる正当性もなし。」(p.457)
私=岩田の観察によれば、今日のウクライナと1999年のセルビアを比較した場合、最後の引用文の前半に関しては完全に両者同一であるが、後半に関しては、180度正反対である。ウクライナは数百倍強力な実質的同盟国NATOから支援されている。
ロシアよりもNATO諸国のほうにより多くの狂人達がいるのであろう。
令和6年・2024年5月24日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13728:240526〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。