海外との契約書はなんで英語なの?
- 2024年 6月 13日
- 評論・紹介・意見
- ビジネス傭兵藤澤豊
いくつも渡り歩いてきたなかで日本の会社も数社でお世話になった。年もいってそれなりの立場になっても、契約書を取り交わすようなことはなかった。機器や装置の単体販売では見積(書)と注文(書)の間に納期と価格交渉があれば十分ということなのだろう。現地での設置や調整が必要なターンキーシステムの提供でもなければ、契約書を交わして決めることもない。見積書も注文書も書いてあるのは仕様と価格だけだから、英語でも理解に困るようなことはない。
ところがアメリカの会社の日本支社に転職してシステムビジネスを展開する立場になったら、日本の客に提出する見積書も契約書もニューヨーク州の法律に基づいた英語になった。客の担当者との間でいいように決めてしまいたかったが、契約金額の大きさから、本社のLegal Departmentがしゃしゃり出てくることがあった。こっちのLegalが出てくれば客先も法務部を呼ばざるをえない。Legalと法務がでてくれば、お互いにちょっとしたことでも自社に都合のいい文言を入れこもうとする。細かにかけば書くほど、書かれた特定の状況や条件の範囲内しかカバーできない。そこから外れる多くのことが契約外になってしまう。いく度もそりゃないだろうというトラブルに遭遇してきた経験からだが、トラブルの多くが契約書に書かれていなかったところで起きる。担当者同士で必要以上に詳細に規定するのは、お互いに得策じゃないとLegalと法務を説き伏せて何とか契約に持ち込むのが一仕事になってしまう。客の担当者を味方につけても、日米の文化や商習慣や法律の違いに法務が拒否反応を起こすこともある。言語の違いが事を面倒にする。英語から日本語へ、そして日本語から英語への翻訳まで背負いこめばメッセンジャーボーイになってしまう。字面で翻訳したら意図が通じないから意訳するが、堅物の法務が翻訳が間違っていると言い出す。学校英語じゃあるまいし、まさか形ながらに翻訳して仕事になると思ってるわけじゃないだとうと蹴とばしたくなることもあった。そこでなんで英語なんだ?なんで日本語じゃないんだと、考えてもしょうがないことを思いだした。英語がどうの、日本語がどうのという話でもないし、ましてや好き嫌いの話しでもない。ただ現実の問題として言語の障壁をかいくぐるには英語を共通語とするしかない。日本でのビジネスなのに、なんで英語で契約しなければならないのか?あまりに不平等じゃないかと思いながらも、その障壁を乗り越える術で禄を食んでいる外資の立場としてはなんとも心苦しい。英文での契約書は日本が軽く見られていることの証しだと思っている。
ヨーロッパ支社の設立に動きまわっていたとき、ベルギーで驚く経験をした。
アメリカの画像処理メーカ(仮にC社としておく)の日本支社でマーケティングとして支社長を支える立場にいた。半導体業界が沸騰していたときで、七人しかいない部に年一億六千万円プラスもの予算があった。展示会でもセミナーでも業界誌や新聞の広告でもやりたい放題、出張も宴席も制限という制限がない。税金で持っていかれるなら、使って経費で落とした方がという考えだったのだろう。使いきれない予算の消化もかねて新規市場開拓に走り回っていた。
そんなところに日本のベンチャー(A社としておく)のオーナー社長からアメリカ支社の立て直しをしてもらえないかと頼まれた。世界の画像処理業界の覇者(C社)から、なんで日本のちっちゃな会社に転職するか?普通に考えて、あり得ない。債務超過で実質倒産している支社の立て直し。そんな危ない橋を誰が渡るかね?よっぽどのお人好しか、業界知らずしかいないだろうと無視していた。ところがなんど断っても事務所に相談にくる。こっちも相手をしているほど暇じゃない。いい加減にしてくれないかと思っていたのに、つい悪い癖が顔をだしてきた。いくら考えても、誰がやってもなんとかなるとは思えない。三年じゃかたづかないだろう。五年でもなんとかなるか分からない。でも五年なんて悠長なことを言っている余裕があるとも思えない。自信はない。多分駄目だろう。でも俺にできないことを出来るヤツがいるとも思えない。進学を控えた子供もいる。アメリカで失敗すると転職活動もできない。いくら考えても答えは止しておけだった。転職では何度も痛い目にあってきた。招聘する相手は都合のいいことしか言わない。聞くと見るでは大違いで、騙されたと思ったのも一度や二度じゃない。このまま行けば三ヵ月もしないうちに、追い込まれて自殺も考えだしたこともある。自分が壊れるのが目に見えていた。最後は出社もせずに逃げだした。パッと切ったはいいが明日からの食い扶持を稼ぐあてがない。ハローワークのお世話になるなんて考えたこともなかったが、背に腹は代えられない。失業保険で糊口をしのいだ。そんな危ない橋を渡りつづけて感覚が鈍っていたのだろう、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなっていた。
どうせノンキャリアのつまらない人生なんだから、とんでもないことも経験できるうちが華と思ってという気持が頭をもたげてきて、「いいでしょう。収入は一円たりとも上げない、下げないという条件で受けましょう」と言ってしまった。日本支社の社長やエライさんや同僚から何をバカなことやってるんだと呆れられ、叱られた。
アメリカ支社に赴任して半年、現地で出来ることはやり尽くしたがどうにもならない。毎月赤字が積み上がっていく。どう考えても現地の問題じゃない。現象としてアメリカ支社の赤字が現れているが、その現象を引き起こしているのは本社の営業政策でしかないと結論づけるのに半年以上かかった。支社の問題を本社に擦り付けるようなことはしたくないが、いくら考えても結論は変らなかった。
考え抜いた手を打つためにどうしてもニ千万円かかる。本社に営業政策の変更を要求するとともに二千万円の融資を求めた。三ヵ月言い合った末にやっと合意にこぎつけた。驚くことに、手を打って一ヵ月後には成果が見え始めた。ソリューションビジネスでリードタイムは長い。それがたった一月で、正直半信半疑だった。三ヵ月もたったころには週の売り上げが毎週記録を更新し始めた。三年、あるいは五年はかかるかと踏んでいた立て直しが、三年を待たずに目途がたってしまった。
急増する売り上げに喜んでいたら、C社のアメリカ本社から苦情半分の要求がでてきた。「アメリカはもういいからヨーロッパに支社を出してアメリカと同じ体制を敷いてくれ。お前(A社)のヨーロッパの代理店(B社)は俺たちの競合で、そこに案件をもちこむわけにはいないから……」
言っていることはよくわかる。ただ、俺はアメリカ支社の責任者で、ヨーロッパはオレの管理下じゃない。オーナー社長に事情を説明した。「オレをリクルートした目的――立て直しの任務は完了しましたよ。ヨーロッパ支社の立ち上げお願いします。どうします?オレがヨーロッパにでていくのもいいですけど、延長戦になっちゃいます。いいんですか?」
ヨーロッパも代理店まかせにしていられない状況であることを役員連中にも訴えたが動こうとしない。というより、ヨーロッパに支社を立ち上げる腕力のあるヤツなんかいやしない。全体図を描いて要所ごとに分割して、ここまでならコイツに、こっちはアイツに任せればという算段を立てられる人もいない。自然の流れ?でヨーロッパ支社立ち上げ作業に取り掛かることになった。
最大の市場はドイツ、それもミュンヘンとその周辺だった。ただ、ミュンヘンに支店を構えれば、地場のB社とアメリカの画像処理メーカ(C社)の対立に巻き込まれる。パリにおけばドイツとうまくいかない。デュッセルドルフやシュツットガルトも考えたが、機械の機械すぎて半導体や新しい産業を追いかけるには遠すぎる。あちこち回って考えた末にブラッセルに決めた。ブラッセルならアメリカの競合メーカ(D社)のヨーロッパ支社の従業員を引っこ抜ける。こいつさえ捕まえれば勝ったようなもの。こっちにこいと誘った。最後は殺し文句「アメリカの状況は知って通りだ。ヨーロッパで競合すれば、お前を潰すしかなくなるけど、どうする?」で終わった。
決まったと思っていたら、後出しジャンケンのように「アメリカの会社(D社)に同業他社には転職しないと誓約書を取られてる」と言いだした。
そんなことならもっと早く言え。今さら人材探しったって、早々見つかるわけじゃない。引っこ抜けなかったら、支社の設立を根本からやり直さなければならない。日本の本社はすべて人任せで吉報だけを待っている。
誓約書にはまいったねーと思いながら二人で弁護士に相談にいったら、弁護士が薄ら笑いを浮かべながら、
1) 誓約書はすでに従業員として働いていた後で取られたもので、会社と従業員が対等の立場ではないから無効。
2) 誓約書は英語で書かれているからベルギーでは一切の法的効力がない。ベルギーでは北部のフランデレン地域のオランダ語(ドイツ語に近い)と南部のワロン地域のフランス語の二つで、それ以外の言語で書かれたものはなんの拘束力もない。
ただ、アメリカに出張にいったら、アメリカの法律にもとづいて逮捕されるかもしれないぞって笑い話で終わった。
言語は文化そのもので、生活も含めて民族の根幹といっても過言ではない。江戸時代まで中国文化を受け入れ続けてきて、明治維新になったら先進ヨーロッパの文化を漢文の素養をもとに日本語?にして、戦後はアメリカ文化の取り込みに奔走してきた。先進科学技術や金融からなにからなにまでアメリカからの導入で、最近は日本語に置き換える間もなく、カタカナや頭文字を、しばしその意味するところをろくに考えもせずに使っている。外国語をそのまま使っている日本とはいったいなんのか?そんなことを考えることもなく、アメリカ英語の奔流にながされているだけのような気さえする。
日本の日本なんて言う気はさらさらないが、もう契約書どころか文化までが日本の日本ですまなくなっている。この先どうするんだろう。
p.s.
<エストニアはエストニア語>
エストニアではエストニア語のみが国家語とされているが、ロシア帝国支配やソビエト連邦による占領からエストニア国内にはエストニア語を解さないロシア語話者が一定数存在する。エストニア政府(エストニア語版)は度重なる「言語法」の改訂によってロシア語話者の排除、あるいは社会統合を企図し若年層のロシア人はエストニア語能力が向上した。しかし、エストニア語能力を有さない住民は北東部イダ=ヴィル県を中心に未だ多く存在し、その社会統合は課題として残されている。また、近年では第三の言語として英語が急速に浸透しつつある。
2024/4/24 初稿
2024/6/12 改版
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion13755:240613〕
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