世界のノンフィクション秀作を読む(76) ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』――新大陸の住民はなぜ旧大陸の住民に征服されたのか(下)
- 2024年 6月 21日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド世界のノンフィクション横田 喬
🔷八種の「起原作物」(続)
肥沃三日月地帯で食料生産が早期に始まるのに好都合だったもう一つの点は、「狩猟採集生活」対「農耕生活」という生活様式の競合が、地中海西部や他の地域に比べて少なかったことだろう。狩猟採集生活において重要な水産資源で見た場合、アジア南西部は大きな川があまりない上、海岸線が短く、海や川で獲れる魚介類に比較的乏しい地域だった。
先住民たちの間では食料生産型の生活様式が急速に好まれるようになっていく。食糧生産が始まる前にも、集落を構え、野生の穀類を採集しながら生活していた定住式狩猟採集民が存在していたことも作用し、肥沃三日月地帯では狩猟採集生活から食料生産生活への移行が比較的迅速に進んだ。紀元前九千年頃、人々は農作物も家畜も持たず、野生の食物頼みの生活をしていた。が、紀元前六千年頃になると、食料を農作物と家畜だけに依存する社会も出現している。
肥沃三日月地帯と比較すると、中米の状況はかなり対照的だ。生息していた動物で家畜化が可能だったのは、七面鳥と犬の二種類だけ。食用に利用可能な肉の量ははるかに少ない。また、中米の主食であるトウモロコシは栽培化が難しく、食用に利用可能な品種ができるまでには相当な時間を要したと思われる。
🔷動植物に関する知識
私は過去33年間、ニューギニアで生物学の野外研究をしている。行動を共にすることが多いフォレ族の人たちは、未だに野生の動植物を多く利用している。
ある時、ジャングルの中で食料が尽き、フォレ族の一人がどこかへ出かけて行き、大きなリュックサック一杯のキノコを持ち帰った。食用としての適否をめぐり、一悶着が起きる。
彼が件のキノコを焼き始めた時、(もしや毒キノコだったらと)私は不安な気持ちをつい口にした。フォレ族の人たちはかんかんに怒りだし、彼らの説明をよく聞け、と告げた。彼らは29種の食用キノコと、その名前、森のどこにあるかを教えてくれた。狩猟採集生活をしていた時代の人々は、野生の動植物に関し、今よりずっと詳細な知識を持ち合わせていただろうと推測される。
🔷食料生産と狩猟採集の関係
肥沃三日月地帯の人々は、ニューギニアや合衆国東部の人々よりずっと早い時期に、土着の植物を栽培化している。より生産性の高い植物、より有用な植物を栽培化し、より多様な作物を作り出している。集約的な食料生産システムを発展させ、地域の人口密度をより早期に増加させている。その結果、肥沃三日月地帯の人々はニューギニアや合衆国東部の人々に比べ歴史上より早い時期に、より発展した科学技術、より複雑な社会構造、そして他民族に感染しやすい伝染病に対する免疫力を発展させた。
🔷食料生産の開始を遅らせたもの
あらゆる社会が、有用と思えるものは何でも即座に採り入れるなどというのは大きな誤解だ。現実には、新しいものの受容に対し寛大な社会と、それに抵抗を示す社会が混在している。前者の人々は実際に受容することで、より強力となる。採用に抵抗を示す人々を数で凌駕し、追放し、征服し、抹殺さえ可能となる。
アメリカ先住民がリンゴを栽培化できなかった原因は、北米原産のリンゴや人間にあるのではない。彼らが手に入れることのできた野生の動植物の種類が全体的に限られていたことにある。北米では、生物相全体において栽培化や家畜化が可能な動植物の種類が限られていたことが、食料生産の開始を歴史的に遅らせてしまったのだ。
🔷家畜化可能な哺乳類の地域差
ユーラシア大陸に比べ、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸、オーストラリア大陸では動物の家畜化が進まなかった。「家畜化可能な哺乳類」(平均体重百ポンド以上の草食性または雑食性の陸生哺乳類)のうち、実際に家畜化されたものの割合はユーラシア大陸が18㌫と最も高い。
アフリカ大陸のサハラ砂漠以南が最も低く、51種のうち1種も家畜化されていない。ユーラシア大陸では野生の馬が家畜化されたのに、アフリカ大陸ではシマウマが家畜化されていない。また、人間はペット好きで、野生の動物をペットとして飼い馴らすのは、動物の家畜化の初期段階だとも言える。イギリスの科学者F・ゴルトンは言った。「どの野生動物も家畜になるチャンスはあり、二、三のものが大昔に実際に家畜化された。残りの多くは、たまたま何らかの理由で家畜化されず、永遠に野生として運命づけられてしまった」。
🔷旧大陸からやってきた病原菌
アメリカ先住民の人口は欧州人による新世界の征服過程で激減した。これは、病原菌が人類の歴史にいかに恐ろしい影響を与えたかを如実に示す。1519年、コルテスは六百人のスペイン兵士と共にメキシコへ侵攻。結局、勝利を決定づけたのは軍事力ではなく、一人の奴隷がもたらした天然痘の大流行のお陰だった。
この流行により、アステカ帝国の人口の半分が死亡。犠牲者の中には皇帝クイトラワクもいた。アステカ人の命だけ奪い、スペイン人には何もしないという謎めいた病気は、生き残ったアステカ人にすれば、スペイン側の無敵さそのもの。士気は低下してゆき、二千万人だったメキシコの人口は天然痘の大流行で百年後には百六十万人にまで激減していた。
16世紀初め頃、北米にもアメリカ先住民たちが数多く住んでいた。今でも肥沃な農地が広がっているミシシッピ渓谷を中心に、人口の稠密な集団社会を形成していた。これらのアメリカ先住民たちは、欧州人征服者によって滅ぼされたわけではない。彼らの社会は、欧州人がやって来た時には、既にユーラシア大陸の病原菌によって壊滅状態に陥っていた。
北米に最初にやって来た欧州人征服者エルナンド・デ・ソトは1540年に合衆国南東部を行軍し、廃墟と化した先住民の村落を幾つも見かけている。それらは彼の行軍の二年前に大流行した疫病によって住民が死に絶え、遺棄されてしまった村落だった。彼が北米にやって来る以前に、海岸地域に上陸していたスペイン人の中に病原菌を持っている者がいて、彼らとの接触を通じて沿岸地域の北米先住民が先ず感染。そこから疫病が内陸部の先住民の間に広がり、スペイン人の病原菌が彼らの軍勢よりも先に北米内陸部を襲っていたのだ。
🔷中国はなぜ遅れをとったのか
中世の中国は技術の分野で世界をリードし、鋳鉄・磁針・火薬・製紙技術・印刷術などが誕生した。航海技術にも優れ、15世紀初めには大船団をアフリカ大陸東岸まで送り出している(鄭和の南海遠征)。なぜ中国は、自分たちよりも遅れていた欧州にリードを奪われてしまったのだろうか?
謎を解く鍵は、船団派遣の中止にある。七回に及ぶ派遣は宦官派が推進したが、宮廷内の権力闘争のあおりで取り止めに。造船所は解体され、外洋航海も禁止へ。中国は国全体が統一されていた(欧州は各国ばらばら)ため、唯一つの決定で海外進出から手を引いた。
中国の宮廷は様々なものを禁じた。水力紡績機の開発を禁じ、14世紀に始まりかけた産業革命を後退させ、世界の先端を行っていた時計技術を事実上葬り去っている。中国は15世紀末以降、あらゆる機械や技術から手を引いてしまっているのだ。
政治的な統一の悪しき影響は、1960年代から70年代にかけての文化大革命においても噴出している。現代中国においても、ほんの一握りの指導者の決定によって、国じゅうの学校が五年間も閉鎖されたのだ。
🔷中国とは好対照の近世欧州
大航海時代(15世紀末~17世紀中頃)が始まった頃の欧州は、中国とは対照的に政治的には統一されていなかった。新大陸を発見したコロンブスはイタリア生まれ。探検船団の派遣をフランスやポルトガルなど三国の君主に拒まれるが、四番目に仕えたスペインの君主により叶えられる。もし欧州全土が最初の三国の君主の中の一人によって統一支配されていたら、欧州人によるアメリカの植民地化はなかったかも。
アメリカを植民地化し始めたスペインに流れ込む富を見て、六つの国がアメリカを同じく植民地化し始める。この動きは、大砲の威力を知った欧州諸国が競って大砲を使い始めた事実を思い起こさせる。電灯や印刷技術、小火器を始めとする様々な新技術を欧州諸国が競って採り入れたことにも似ている。これらの新技術は当初は何らかの理由で受け容れられなかったが、一旦ある地域で使われ始めるや、たちまち欧州全土へと広がっていった。
▼筆者の一言
著者ダイアモンドは、ニューギニアで進化生物学のフィールドワークを行ううち、現地の人々と親しく交流。「なぜヨーロッパ人がニューギニア人を征服し、ニューギニア人がヨーロッパ人を征服することにならなかったのか?」と問われ、その一つの答えとして本書が書かれたという。ダイアモンドはこの質問に対し、単なる地理的要因(ユーラシア大陸が東西に広がっていたため)という仮説を提示。「ヨーロッパ人が優秀だったから」という根強い人種差別的な偏見に対して反論を投げかけ、大きな反響を呼んだ。ピューリッツァ賞(一般ノンフィクション部門)を受け、日本でも朝日新聞「ゼロ年代(2000~2009)の50冊」1位に選ばれるなどした。
初出:「リベラル21」2024.6.21より許可を得て転載
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記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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