――八ヶ岳山麓から(474)――「一強政治」はこうして生まれ、こう存在している
- 2024年 7月 1日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」阿部治平
今年も、1989年6月4日天安門事件(六四学運)の記念日を迎えた。この日はわたしの凡庸な人生にとっても、忘れがたいものである。事件当時、わたしは北京の隣の天津にいて大学生から中高生までのデモを見たし、それに市民が共鳴し運動に参加してゆく姿も見た。
学生は「打倒官倒爺」を叫んだ。「倒爺」は悪質ブローカーのことで、学生は官僚による公共財産の私物化やその転売による金もうけを非難した。彼らは「民主」を要求してはいたが、それは言論の規制緩和程度のことで、中国共産党退陣までは要求しなかった。市民は「民主」よりも激しい物価高に抗議していた。
だが支配者は、自然発生的な学生と市民の運動に支配体制の危機を直感した。そして血の弾圧を加え、未来永劫の一党支配維持を宣言したのである。
この6月7日、信濃毎日新聞には「中国 個人スマホ検査へ――スパイの摘発強化で新規定、当局者に権限」という記事が載った。「(習近平政権は)施政方針で『国家安全』の防衛を重視する。習近平指導部は昨年7月の改正反スパイ法に続き、今年5月に改正国家秘密保護法を施行。統制強化に向け法規則の整備を加速させている」
国家安全部の現場担当者に電子メールやメッセージ、決済記録、写真や動画を含むデータを調べ、個人の精神生活の領域にまで手をつっこむ権限を与えたのである。すでに空港などの入国管理所ではスマホが調べられているという。なぜこんな強権的な統治が可能なのだろう?
共同通信記者の大熊雄一郎氏の著書『独裁が生まれた日――習近平と虚構の時代』(白水社 2024・06)には、毛沢東の皇帝統治から習近平の「一強政治」が実現するまでの一党支配の歴史とそれが知識人や庶民に与えた影響がリアルに描かれている。
大熊氏は序章で「権威主義が先端技術と結び付き、民主主義の衰退と新たな形の独裁体制の台頭への危機感が強まる中、権力が何気ない日常を侵していくプロセスを読者が追体験し、その意味を考えるきっかけを提供できれば幸いである」という。
いままさに、大熊氏のいう「権力が何気ない日常を侵していくプロセス」が拡大し、進行している。わたしも大熊氏に促され、自分なりにこれまでをふりかえってみたい。
習近平政権の統治は、過去の鄧小平・江沢民・胡錦涛政権とは明らかに異なる。そこには「一党支配」という言葉では表わしきれない強権政治が展開している。そのきっかけのひとつは、胡錦涛から習近平への政権の移行過程において、習近平が一挙に党・国家・軍支配の3権を握ることができたことだと思う。
中国では、中共が政治・経済・司法など国家のすべてを指導することになっている。だが、ある人物が党総書記と国家主席の地位についただけでは、国家の全権を掌握したことにはならない。決定的なのは人民解放軍を指揮する、党と国家の中央軍事委員会主席の地位すなわち軍の最高指揮権である。
鄧小平は、党・国家の役職を退いてからも、この地位は手放さなかった。天安門事件当時、軍を動員したのは彼であった。1989年11月、江沢民は上海における民主運動弾圧の功績により、実力者鄧小平の推挙を得て党総書記の地位に登った。だが鄧小平は翌年まで、中央軍事委員会主席の地位を維持した。
2002年11月、胡錦涛はチベット民族運動を武力で鎮圧した功により、やはり鄧小平のお墨付きで党総書記に選ばれた。だが、江沢民も軍事委員会主席の地位をすぐには手放さず、胡錦涛が軍の指揮権を確保したのは2004年のことである。
ところが、2012年11月、胡錦涛・温家宝が政権の座から降りたとき、習近平は、幸運にも、党・国家とともに中央軍事委員会主席の地位を掌握することができた。胡錦涛が軍の指揮権にこだわらなかったからだと思う。
こうして習近平は、反腐敗キャンペーンを展開することができた。「虎も蠅も叩く」として盟友王岐山を使い、政敵となりうる最高幹部クラスの贈収賄や異性関係を追求し、堕落した地方幹部の汚職を摘発して国民の喝采を浴びた。2014年6月には中央軍事委員会元副主席の徐才厚を粛清し、15年4月には当時の副主席・制服組トップだった郭伯雄も汚職の疑いで失脚させた。
これによって胡錦涛政権時代からの主な幹部は一掃され、習近平に逆らうものはいなくなった。のちに国務院、その他の既成の行政機関を差し置いて、軍事・内政・外交など重要分野に新設の「小組(作業グループ)」をおき、その責任者になることによって自分一人に権力を集中した。
2017年10月、中共第19回大会では党規約にマルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平の改革開放、江沢民の三つの代表、胡錦涛の科学的発展観と並んで、習近平の「中国の夢」が書きこまれた。つまり鄧小平以来の「改革開放」から、新たな毛沢東路線=習近平時代への出発である。大熊氏は、これまでの経過をこう総括している。
「(習近平は)『反腐敗』の名目で政敵を追い落とし、政治資源の多くを自身への権力集中に費やした。(毛沢東の)個人独裁が(大量餓死や文化大革命の)大混乱を招いた反省から鄧小平時代に導入された国家主席の任期制限も撤廃し、2022年には(中国共産党としては)異例の三期目の総書記に続投。長期支配者として君臨している」
この政治状況をあからさまに示した異様な事件があった。2022年10月16日、中共第20回大会で、こともあろうに党大会幹部席の最前列に座った前総書記胡錦涛を2人がかりでむりやり退場させたのである。本ブログでは、当時田畑光永氏が2回にわたってその場面を詳しく記しておられるのでご承知の方も多いと思う。
大熊氏は、これについて党大会に参加した胡錦涛の子息胡海峰と話した人の話を著書の終わり近くに記している。
――海峰はその席で、(公式には胡錦涛はパーキンソン病とされているが)父親の体調に問題はないと語り、騒動の一端を明らかにしたという。
胡錦涛は退場時に、習近平の左肩をポンと叩いて、こう言った。
「好自為之」
好自為之――直訳すれば『自らしっかり対処する』……『自分でやったことの尻ぬぐいはきちんとしなさい』というニュアンスが込められている――
大熊氏は、「胡錦涛の声色までが妙に現実味をもって響くような気がして、(伝聞であるが)個人の責任において書き残す」としている。
毛沢東時代は革命に成功したことが中共支配の正統性を担保した。鄧小平時代は「富裕」つまり経済成長がそれであった。高度成長が終わった今、何が中共支配の正統性を担保するのか。それは、まちがいなく「中国の夢」である。
習近平は使命感をもって「中華民族の偉大な復興」を語る。国内では全民族の漢人化、国際的には欧米による既存の国際秩序の破壊と中国中心の新秩序の確立である。それゆえ、習近平政権は2期、3期で終わるのでなく、長生きしなければならない。
かくして、官僚・知識人から庶民にいたるまで「習近平思想」を学ばせ、政権に対する不満はわずかなものでも見逃さないために、防衛予算より治安維持費の方が多額という今日の中国が存在するのである。 (2024・06・24)
初出:「リベラル21」2024.07.01
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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