来年の歌会始の選者が決った~やっぱり栗木京子も
- 2024年 7月 3日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子歌会始
2022年12月に亡くなった篠弘の後任は栗木京子だろうとブログなどで予想していたのだが、みごとに外れて2024年から大辻隆弘になった。*ところが、来年の選者になったのである。きのう、宮内庁から7月1日付で発表になった2025年の歌会始の選者五人は、以下の通りである。肩書は産経新聞に拠る。
三枝昂之(80)=山梨県立文学館館長、永田和宏(77)=歌誌「塔」選者、京都大名誉教授、今野寿美(72)=歌誌「りとむ」同人、現代歌人協会会員、栗木京子(69)=現代歌人協会理事長、歌誌「塔」選者、大辻隆弘(63)=現代歌人協会会員、現代歌人集会理事
*来年の「歌会始」はどうなるのだろう(2023年3月 9日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/03/post-74140a.html
2012年から務めてきた内藤明に替わって栗木京子が入ったことになる。誰が選者になったって、コップの中のこと、世の中に関係ないよ、と言われそうだが、やはり、ここで確認しておきたい。
これまでも、幾度となく、書いてきたことなのだが、歌会始の選者になることが、歌人にとって、一つのステイタスになっていながら、歌壇ではなんとなく無関心を装ったり、無視したりする風潮がある。また、歌会始は、数ある短歌コンクールの一つに過ぎないという軽くいなす人たちもいる。果たしてそうだろうか。
歌会始は、天皇と国民をつなぐ伝統ある貴重な文化的な行事であると喧伝されているが、毎年、あのNHKの中継を見ていると、文化的というより、異様な雰囲気にしか思えな。伝統といっても、たかだか明治以降、いや戦後から今のような形になったといってよい。国民から募った入選作、皇族・召人・選者の短歌は天皇に捧げる次第となっている。その一部が独特の朗誦で披講され、披講される間、作者は立ち上がる。天皇だけは、終始座って、それを聴き、いちばん最後に天皇の一首が披講されて終了する。選者の一人は、「御用掛」となって、年間を通して皇族方の短歌の指導にあたるのである。
選ばれる歌も、普通に短歌雑誌や新聞歌壇、ネット上に行き交っている短歌が登場するだろうか。たとえば、政権批判や脱原発、基地反対、日本の戦争責任を読むことができるだろうか。誰もが傷つかない、平和への希求、暮らしの中の機微などが選ばれるだろう。
それに選者の顔ぶれを見てみると、永田と栗木は、アララギ系の結社「塔」の選者、幹部である。三枝・今野は、夫婦で「りとむ」という結社を運営している。大辻は、「未来」の理事長、選者である。現代にあっては、「短歌結社」の独自性などはすっかり弱まってはいるものの、歌壇的に見ればかなり偏っていて、選者の私物化にも思えてくる。
昨年、若い研究者と「短歌と天皇制」について話しあったことが活字になった。その時の参考資料として作成した表の一つを参考までに下記に示した。国家的褒章制度の中での「歌会始選者」の位置づけを見て欲しい。
「近年の歌会始選者たちの国家的褒章受賞歴」
座談会「臣下」の文学――「勲章」としての短歌 内野光子・位田将司・立尾真士・宮澤隆義 『G・W・G(ミーヌス)』8号 (2024年5月)所収
初出:「内野光子のブログ」2024.7.2より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/07/post-b0fbd5.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13785:240703〕
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