北京の「中軸線」がユネスコの世界遺産に! ―北京外交の主軸はいずこに
- 2024年 7月 29日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」ユネスコ「世界遺産」田畑光永
日本では国連の教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会で、韓国の反対でのびのびとなってきた佐渡金山の遺跡がやっと「世界文化遺産」に登録されたことが喜ばれている。長くこのことを待ちわびておられた方々にはお祝いを申し上げたい。
ところでお隣りの中国では、首都北京の中心部を南北に貫く「中軸線」が同じく「世界文化遺産」に選ばれたそうである。
私はちょっと驚いた。一部の報道機関がふれているように、中心にある天安門広場が1989年に大規模な民主化運動が流血のうちに鎮圧された現場だからという理由ではなく(それなら私はここに中国国民の手で大きな記念碑が建てられて当然と思うが)、いくつかの歴史的建造物が全長7.8キロの中軸線の近くに点在するからだという。
あらためて北京の地図を眺めた。私も何年か北京で暮らしたが、市内を東西に貫く長安街大街は中心線と言ってもおかしくない。しかし、南北方向にはそれに相当するラインはない。天安門の南に有名な天壇公園があるが真南ではなく、位置は東へずれている。
北京は南北を貫く「中軸線」に沿って広がっている、というより、南に天壇公園と陶然亭公園、東に朝陽公園、北西に園明園、頤和園、西に玉淵譚公園と、周りを大きな公園に囲まれているといったほうが適切だと私は思う。
なんでそんな揚げ足を取るのかと言われそうだが、「立派な中軸線を持つ歴史的古都」という称号を世界公認にしたい、という妙な欲望から、この話は始まったのではないかと思えるからだ。しかし、漢民族にとっての歴史的な都といえば、普通はもっと南の各地である。今の北京はマルコ・ポーロが訪れた時はモンゴル人が都を開いていた。そこから始まった都である。
私が言いたいのは、中国の今の政権は、とにかく立派な指導者が立派な政治を行っているのだと国民の納得させるのを第一に掲げているから、それがこんなところにまで現れたのか!と感心しているということである。
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話はかわるが、このところ外交面での中国の動きは目覚ましい(ように見える)。事の起こりは2年半前、プーチンがウクライナに攻め込んだ時、事前にその計画を知らされていた(と私は信じているが)習近平はプーチン支持に回った。しかし、ことはプーチンが思い描き、習近平もそれを信じた、「短期間でウクライナが降伏、ロシアへの従属確認」は実現せず、先が見通せない状況が続いている。
この間、中國は独自の役割を探そうと特使を関係国に派遣したり、仏のマクロン大統領に習近平が膝詰めで「中仏共同の和平案」を打ち出そうともちかけたり、してはみたものの、プーチンからはなにも譲歩を引き出せなかったために、いずれも空振りに終わった。
そこで、もっと広い視野で「世界の調停役」を果たすべく、手をつけたのが昨年のイランとサウジアラビアの「歴史的和解」であり、今年は「パレスチナ各派の和解」であった。いずれも「中国外交の大きな成果」との宣伝材料とはなったが、その実はこれまでの対立の核心はそのまま脇へ置いて、双方の代表とされる人間を一堂に招いて、言葉の上だけでの和解と握手を演出したに過ぎず、実質的な効果はないというのが大方の見方である。
一方、中国に直接かかわる問題となると、中国の姿勢の本音が見えた場面があった。先週26日から、中國とASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国はラオスの首都、ビエンチャンで外相会議を開いた。
中比間の係争地である南沙諸島のアユンギン礁で座礁しているフィリピン海軍の軍艦上のフィリピン兵への補給を巡って、中比両国軍の間でさる6月17日、衝突が発生した。この件について、中國の王毅外相は外相会議で、フィリピン側が同環礁について中国の領有権を認め、中國側の許可を受けた上でなら補給を認めると主張し、その趣旨で暫定合意したとされる。
しかし、この環礁の領有権についてはすでにオランダの国際仲裁裁判所で数年前に「中国の領有主張には根拠がない」という判決がでている。しかし、中國はこれについて当時から「紙屑にすぎない」という態度で従う意思を見せずに現在に至っている。
そして、ビエンチャンの会議で中国の王毅外相は南シナ海問題について、「第三者が議論に加わるべきではない」とのべて、米国などの関与に釘を刺した、という。(『日経』7月27日)
中国は自分の関わるアジアでの問題では、よくこの「第三者が議論に加わるべきではない」という論法を持ち出して、議論の広がりを防ぐ。しかし、これは本来おかしい。争いについてであれなんであれ、正しい意見は正しいし、誤った議論は誤りである。それを第三者が口を出すなというのは、論理的結論と自分の結論が違っても自分の結論には異議を認めないという態度である。
南シナ海について国際仲裁裁判所の結論を認めないというのは、その範囲では自分の判断を押し通してもいいのだ、ということだ。つまり顔役の論理であり、暴君の倫理である。封建君主どうしの争いでは勝ったものがすべてを我が物にする。中國の南シナ海における態度は封建君主の態度である。
しかし、本来、中國はただ国が大きいというだけで、一国は一国にすぎない。現代の地球上の国際取り決めでは、特別の規定がある場合を除いて、特権はない。にもかかわらず、なぜこのような態度が国際社会に現れるのであろうか。
答えは簡単で、その国に民主主義がないから、そこに君臨する支配者は自分は何をしてもいいと錯覚するのだ。プーチンも習近平も、その他、類似の権力者はみなそうである。理不尽な国際紛争を防ぐには世界から無法な独裁者を追放し、直接選挙を徹底するしかない。
つまらない結論だが、結局、ここへしか行きつく先はない。昔、「改革開放の総設計師」と称された鄧小平はこう言った。
「私はある外国人に、中國では次の世紀(21世紀・訳者註)の後半には普通選挙の実施が可能だと言ったことがある。現在、われわれが行っているのは『県』以上は間接選挙で、『県』と『県以下』では直接選挙である。なぜなら我々の人口は10億人を数え、国民の文化的素質(教育程度・同)も直接選挙を広く実施するには条件が熟していないからである。」
21世紀の後半までにはまだ20年以上あるが、習近平政権はまるで鄧小平がやがては普通選挙を実施すると言ったことさえ、忘れたか、忘れたふりをしている。こういうのを中国共産党は『叛徒』(裏切り者・同)と言わないのだろうか。
初出:「リベラル21」2024.07.29より許可を得て転載
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