関東大震災時の朝鮮人虐殺とイスラエルの軍事作戦をめぐる「嘘とプロパガンダ」〜アーレントの全体主義批判からラッツァラートの革命論まで
- 2024年 9月 3日
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- アーレントイスラエルの軍事作戦ラッツァラート嘘とプロパガンダ土田修関東大震災時の朝鮮人虐殺
9月1日、関東大震災の発生から101年を迎えた。追悼文の送付を拒否し、「朝鮮人虐殺はなかった」と言わんばかりの態度を示す小池百合子都知事の対応には、旧統一教会問題にせよ、裏金問題にせよ、きちんと責任を取ろうとしないばかりか、反対に「何が悪い」と開き直る日本の政治家と、それを許容するメディアのメンタリティーに共通したものを感じる。「嘘とプロパガンダ」は何度もくり返すことで、相手を信じ込ませるというより、むしろ何が真実なのかわからなくさせる効果があると言ったのはドイツ哲学者ハンナ・アーレントだ。「判断力(=思考力)を失った国民(=民衆)」ほど支配しやすいものはない。アーレントは、主著『全体主義の起源』(みすず書房)の第3巻「全体主義」でナチズムとスターリニズムを比較研究し、こう書いている。
「ヒトラーは嘘というものは法外なものである場合にのみ効果を挙げ得ると数百万部も刷られた本の中で宣伝した。…事実全体を歪めてしまって、その結果、個々の虚偽の事実が矛盾を含まぬ一つの関連をなし、現実の世界の代わりに一つの虚構の世界を作り出すようにするということなのである」。全体主義体制のプロパガンダは、単に偽の情報を流布するだけでなく、現実と虚の境界を曖昧にすることで人々の認識を根本的に変えてしまう。その結果、人々は自らの判断に基づいて行動することができなくなり、権力者の操り人形のように手玉に取られてしまうのだ。
「プロパガンダは、どんなにありそうもないことでも軽々しく信じてしまう聴衆、たとえ騙されたと分かっても、初めからみんな嘘だと心得ていたとけろりとしている聴衆を相手として想定し、それによって異常な成功を収めた」。太平洋戦争中に大本営発表に踊らされ、「天皇万歳」を叫んで戦争遂行に邁進した日本国民の多くが、戦後になって「あんなの嘘だと分かっていた」とこともなげに言うのとよく似ている。関東大震災時に「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが流れ、竹槍や日本刀を手にした人々が朝鮮人に襲いかかり、多数を殺害した。震災当初から警察は朝鮮人に関する流言や誤認情報を積極的に流した。内務省警保局長の名義で「朝鮮人が暴動を起こした」という内容の電報が、海軍無線電信所船橋送信所から各地方長官(府県知事)あてに送られた。さらに政府は東京都とその周辺地域で戒厳令を施行し、結果的に民衆の警戒心や恐怖心を煽ることで朝鮮人虐殺に手を貸している。
だが、朝鮮人殺害の罪で裁かれたのは自警団と民衆だけだった。警察や軍隊が犯した殺人について起訴されることはなかった。朝鮮人殺害を実行した民衆の中には「朝鮮人が暴動を起こす」というのが薄々デマであることは感じていたが、「報復が怖かったので殺害に加わった」と証言した者もいる。いずれにせよデマや流言を積極的に流し煽った側の人間が罰せられることはなかった。東京外国語大学名誉教授の伊勢﨑賢治氏は「関東大震災時に朝鮮人を虐殺して以来、日本にはいわゆる『上官責任』を実行犯よりも厳しく追及し、それを重く裁く国内法〉が欠落している」と話す。
関東大震災時の朝鮮人虐殺に寄せて、9月1日付け東京新聞の一面コラム「筆洗」はこう書いた。「災害時、人の心は乱れやすく、デマや偽情報の『俘虜』になる危険にもまた備えるべきなのだろう。デマが混乱を生み、ときには野蛮な行為まで駆り立てる」。そして、「災害時に助け合い、励まし合う人の優しさとたくましさはよく知っている。その一方で、『首をひねらないわけにはいかない』ほどの弱さと愚かさを人間はあわせ持っている」と指摘する。「民衆の弱さと野蛮さ」をあげつらうこのコラムには、大事な「主語」が抜け落ちている。筆者は「民衆によるデマの拡散」と「民衆による虐殺」という側面に焦点を当てることで、「民衆を煽り、民衆を野蛮な行為に走らせた」側の責任(=権力犯罪)を不問に付している。
それは日本のマスメディアが太平洋戦争の際に「戦争遂行」と「国体護持」の先兵となりながら、戦後になっても戦時体制の恩恵(東條英機首相が新聞をプロパガンダ装置にするために実施した新聞統合と「一官庁・一記者クラブ制度」、大政翼賛会である日本新聞会の設立)を手放さなかったことと無縁ではない。ハーレントの言う通り、権力の嘘とプロパガンダに操られている日本のマスメディアはいつの時代になっても「事実全体を歪めてしまって、…現実の世界の代わりに一つの虚構の世界を作り出す」ことに貢献している。リーマンショック以降、新聞・テレビの凋落が際立っているが、SNSなどインターネットの情報ツールに押され、デジタル化への取り組みに遅れをとったのが理由ではない。「報道機関から儲かる新聞」へ変貌しつつある最近の朝日新聞社のように、マスメディアの多くがジャーナリズムを捨て商業化に突き進んできた結果なのだ。「身から出た錆」でしかない。
▪️国際的に孤立するG7
ところで、アーレントの「嘘とプロパガンダ」についての分析は、西側諸国が無条件に受け入れている「イスラエルの嘘」にも当てはまる。今年8月9日の「長崎原爆の日」に長崎市内で行われた平和祈念式典に、G7構成国の米国、英国、フランス、ドイツ、カナダ、イタリアの6カ国と欧州連合(EU)の駐日大使は不参加を表明した。長崎市がこの式典にイスラエルを招待しなかったことに対する対抗措置だ。「イスラエルは自衛権を行使しているだけだ。式典に招待しないのは、イスラエルをロシアやベラルーシと同列に扱うことだ」というのが不参加の理由だった。
長崎市の対応に最初に怒りをぶちまけたのは米国のエマニュエル駐日大使だ。彼の本名は「ラーム・イスラエル・エマニュエル」。「ラーム」は戦死したイスラエル解放戦士の名前から名付けられた。名前が示す通り、ユダヤ人の中でも右翼系シオニストの典型的血筋の人物だ。両親は東欧系のユダヤ人で、父親は英国統治下のパレスチナでイスラエル建国を目的にパレスチナ人住民の追放計画を担い、鉄道爆発や住民虐殺を繰り返した民兵組織イルグン(民族軍事組織)のメンバーだった。イルグンのリーダーだったメナヘム・ベギンはを右派政党リクードを創設し、1977年に初めてリクード出身の首相になった。
1948年にイルグンはエルサレム近郊のアラブ人の町デイル・ヤシーンを襲撃し、女性、子供、老人など非武装の住民100人~250人を殺害している。この事件の後、数十万人のアラブ系住民がパレスチナを脱出し、ヨルダンやエジプトに逃れ、パレスチナ難民になった。アーレントはアインシュタインとともにニューヨーク・タイムズ紙でベギンを糾弾したが、この男は恥も外聞もなく、「この大虐殺に恐れをなしたパレスチナ人がユダヤ軍を前に逃げ出したのは疑いない」と誇らしげに語っている。
エマニュエル大使は11月の米大統領選挙で民主党のカマラ・ハリス氏が勝利すれば、国家安全保障問題担当の大統領補佐官に起用されるとの観測もあるが、7月に自民党総裁選に出馬を表明した小泉進次郎氏に同行し、福島県南相馬市の海岸でサーフィンに興じ、浜辺で魚介類の料理を口にした。この二人は海に放出している「放射能汚染水」の安全性をアピールしたかったのだろう。どうやら小泉氏は米国にとって御し易い人物の一人のようだ。将来、小泉氏が首相になり、米国の手先となって「イスラエルの嘘」に利用されないように祈るしかない。
もちろん、「イスラエルの嘘」に抗する動きも出始めている。5月20日に国際刑事裁判所(ICC)のカリム・カーン主任検察官は「戦争犯罪と人道に対する罪」を理由に、ハマスの最高指導者イスマイル・ハニヤ氏らとともに、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とヨアフ・ガラント国防相の逮捕状を請求すると発表した。イスラエルと米国は「歴史的な道徳的暴挙だ」と激しく抗議しているが、カーン氏の逮捕状請求が世界中の多くの国々や民衆の共感を得たのは間違いない。「イスラエルの嘘」などG7構成国の指導者以外に誰も信じてはいない。その意味でG7は国際的に孤立している。
さらに7月19日には国際司法裁判所(ICJ)は「イスラエルによるパレスチナ占領政策は国際法に違反している」として、「ヨルダン川西岸と東エルサレムで続いているユダヤ人の入植活動を停止する」ことを求める勧告的意見を出した。ネタニヤフ首相は「嘘の判断だ」と猛反発しているが、7月30日にハニヤ氏が暗殺されたこともあり、スペインやノルウェーなど北大西洋条約機構(NATO)の加盟国の中からもイスラエル批判の声が上がっている。極め付けはトルコのエルドアン大統領だ。「イスラエルはテロ組織のように行動し、侵略、虐殺、領土の奪取を通じて自国の安全を求めている。無法国家イスラエルは人類、世界の脅威であり、ヒトラーを凌ぐ残虐行為を犯している」とまで言い切った。
▪️「マイノリティと諸階級が世界を変える」
フランスの月刊紙ル・モンド・ディプロマティーク7月号で、アンヌ=セシル・ロベール記者は「(ICCとICJの)訴訟手続きが世界中に衝撃を与えたのは、それが世界秩序の分裂と、そこで支配的な『ダブルスタンダード』を拡大鏡のように映し出したからだ」と書いている(生野雄一訳「ガザの惨事を裁く国際法廷」、日本語版8月号)。イスラエル支援をめぐって明確になっている西側諸国の「ダブルスタンダード」と「分裂」が、西側諸国の国内で宗教や人種をベースにした「新しい時代の階級闘争」の幕開けを告げる可能性を内包しているのではないか。
「新しい時代の階級闘争」とは社会学・哲学者マウリツィオ・ラッツァラートが提唱する「複数の階級闘争」のことだ。ラッツァラートは、アントニオ・ネグリらが主導したイタリアの新左翼運動アウトノミアの活動家で、80年代にフランスに亡命し、「非物質的労働、労働者の分裂、社会運動」の研究を行う一方、フェリックス・ガタリらと親交を結んだ。ラッツァラートは、現代資本主義社会における「階級闘争」が、単に「資本と労働」の関係を基軸とした「単一の階級闘争」に還元されるものではなく、労働者、女性、奴隷、植民地化された人々、マイノリティなど「諸階級」を基軸とした「複数の階級闘争」が複雑に絡み合っていると指摘する。そのうえで、さまざまな変革をめざす諸運動の相互関係を可視化し、中でも「マイノリティと諸階級」の運動に焦点を合わせて「革命論」を展開している。
「労働と権力の組織化はマルクスやマルクス主義者が過小評価する二重の条件を前提としている。すなわち、中心部の抽象的労働(賃金労働者)と植民地の非賃金労働との分裂、ならびに男性の有給労働と女性の無給労働との分裂である。レイシズムとセクシズムは二つの生産様式(奴隷制的ー隷属的生産様式と家父長主義的ー家政的ー異性愛的生産様式)の原動力であり、またこれを正当化する(女性と奴隷の)隷属の原動力である。レイシズムとセクシズムは資本主義的生産様式に還元されないまま資本主義の組織化に組み込まれている」(『耐え難き現在に革命を! マイノリティと諸階級が世界を変える』法政大学出版局、杉村昌昭訳)。
「嘘とプロパガンダ」に話を戻すと、ル・モンド・ディプロマティーク5月号で、アラン・グレシュ記者が、自国の利益を守るため旧約聖書の物語を押し付け、自らをアラブという敵国の被害者のように見せかけている「イスラエルの嘘」を暴いている(土田修訳「メディアを席巻する『ツァハル(イスラエル国防軍)』」、日本語版8月号)。イスラエルは「反ユダヤ主義」を糾弾し、シオニズムを正当化するためのプロパガンダ作戦を世界中で展開しており、時には暴力や脅しを使ってイスラエルを非難する者を黙らせてきた。
グレシュ記者は「西側の政府高官やメディアは『イスラエルが本当のことを言っている』と信じ込んでいる、というのがイスラエルの優越意識だ」「イスラエル社会は固い合意のもとに結束している。われわれは権利に守られており、われわれを皆殺しにしたがっている邪悪なアラブ人に抗して、ただ生き残りたいだけなのだ」と説明。フランスの哲学者ヴォルテールの「嘘は悪徳ではない。善行を施す場合には大きな美徳になる。人は遠慮がちにでも、大胆にでも、常に悪魔のように嘘をつく必要がある」という言葉を引用し、「(イスラエルは)民主国家の中で、あり得ないレベルでこの金言を実行している」と指摘している。
グレシュ記者は同紙9月号の「最も長い戦争」(未邦訳)では、昨年10月以来、イスラエルがガザ地区で行っている軍事作戦は道路、学校、病院、電力システムなどインフラを破壊し、パレスチナ人の新たな脱出を引き起こす「都市虐殺」が目的だと指摘している。だが、ハマスの24旅団のうち、完全に解体されたのは3旅団のみで、新たに数千人の戦闘員が加わっているという。同記者は米国の政治学者ロバート・ペイプ氏の「ハマスが勝利、敵を強力にしているイスラエルの戦略上の失敗」(6月21日付け国際政治誌フォーリン・アフェアーズ)という記事を引用し、ガザでの民間人の犠牲者や破壊の規模にもかかわらず、ハマスが大多数のパレスチナ人の支持を得ているのは、10月7日以降、「パレスチナ問題」が再び外交の中心課題として浮上したからだと解説している。
ペイプ氏によると、イスラエル軍はガザ地区に少なくとも7万トン以上の爆弾を投下し建物の半分以上を破壊した。住民は水や食料、電気へのアクセスを切断され、飢餓状態に陥っているが、「ハマスは弱体化するどころか、かえって支持は高まり力を増している」という。戦闘員の数は昨年10月に比べて10倍の1万5000人に増え、地下に張り巡らされたトンネルの大半はイスラエルの攻撃を逃れて健在であり、「ハマスは粘り強く難攻不落なゲリラ勢力へと進化」している。イスラエルは、ベトナム戦争で南ベトナムを荒廃させながらベトコンに敗北した米国のように、「勝ち目のない消耗戦」に陥っているというのだ。
国際社会でのG7の孤立、「自衛権」や「正当防衛」を理由にジェノサイドを続けるイスラエルの嘘、ゲリラ化し勢力を拡大しているハマスの現状といった、イスラエルとイスラエルを支援する米国にとって不都合な真実が日本のメディアによって報道されることはまずない。思考停止に陥っている日本のマスメディアが立ち直るには、アーレントにならって、日々垂れ流す「嘘とプロパガンダ」について批判的に反省することが必要だ。戦前の大政翼賛体制をそのまま温存し、植民地主義と天皇制、日米安保と地位協定、家父長制とジェンダー、ネオリベラリズムとグローバリゼーション、民主主義と主権者意識など多様な問題について目を閉ざし、ジャーナリズムにとって枢要な批判精神を置き去りにしてきた結果でもある。まずは、権力に自発的に隷属する自らの構造的あり方を脱構築することから始めるしかない。
2024年9月2日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5742:240903〕
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