知れば下がる幸福感はごめんだ
- 2024年 9月 4日
- 評論・紹介・意見
- ビジネス傭兵藤澤豊
幸福なんて一様にこれといえるものでもなし、いくら考えたところで答えなんかあるわけがない。考えあぐねて幸福の科学や新興宗教に駆け込んだところで、検証しようのないゴタクを聞かされて終りだろう。規定しようのないものの情報を漁っているほど暇じゃないが、ちょっと一休みでYouTubeを見ていたら、気になるものがでてきた。
「『幸せの国ブータン』が不幸になった理由がヤバすぎる」
https://www.youtube.com/watch?v=fhjYhZWJhlI
「ブータン『世界一幸せな国』の幸福度ランキング急落 背景に何が?」
http://www.japan-un-friendship-associations.org/bhutan/news/202110_4/index.html
ブータンのいう世界一幸せな国とはいかなるものなのか。原貫太さんのYouTubeなら、間違ってもそこらのマスコミが伝えて来る気の抜けたビールのようなことはないだろうと期待して観ていった。
ブータンが国をあげて、国民の幸福度を優先した社会を目指しているという話は聞いていたが、どこことなく胡散臭いと感じていた。それでももしそんなことができるものならと多少の期待はもっていただけに、がっかりした。YouTubeを観ていって、なんだそういうことだったのかと呆れて、腹が立ってきた。
人が幸福だと感じるための最大の要素は「足るを知ること」だと思っている。そしてその知るというのは足るを知るまでにしておいて、それ以上は知らないことを前提としている。
世界の辺境に位置するブータンだからこそ、足るを知る以上のことを知らずにこれたということで、テレビやスマホの普及で外の世界を知ったとたん、足るを越える情報にさらされて足るを知るまでではとどまらなってきた。
不敬罪で叱られそうだが、知らない=無知の幸せを国家として国民に奨励するなんてことは、あってはならないことだと思っている。現状でいい立場にいる社会層の人たちが、いい立場にいられる訳をいい立場にいない人たちに知ってもらおうとは思わないだろう。情報公開なんて言葉さえも知らずに、知らないがゆえの幸福なんてのは、人びとを無知蒙昧にしておく愚民政策以外のなにものでもないじゃないか。何が国民の幸福度を優先した社会だ。
ブータンの幸福度の低下の話しだと思ってみていたら、話がフィジーに飛んだ。フィジーと聞いてもラグビー(テレビでみた)とフィジーウォーター(どこかで実物を見た)ぐらいしか思い浮かばない。社畜もどきの生活をしてきたもので、南国の楽園なんかには縁がない。
原貫太さんのYouTubeにはずいぶんお世話になっている、今回も目を開かされた。YouTubeをいくつかあげておく。
「『天国に一番近い島』に来たら、人生観が変わりすぎた…」
https://www.youtube.com/watch?v=CzjJas9sHbo
「世界一幸せな国で見た『国際支援の闇』がヤバすぎた…」
https://www.youtube.com/watch?v=8xFdSe7_kUM
「【余命宣告】ガンと闘いながら、フィジーで『教育革命』を起こした日本人の物語」
https://www.youtube.com/watch?v=55bFcrgZ6QA
YouTubeとWebでちょっと調べただけだが、フィジーについてざっとまとめると下記になる。
1) 莫大な国際支援が人々から労働意欲を奪いとった。支援で食べられるから働く必要がない。
2) 恵まれた自然環境から豊かな食べ物を得られるが、自給できる食べ物まで輸入品に置き換えらえている。
3) 第一次産業が消滅して、労働機会がなくなった。
4) 土地はすべてフィジー人の村落共同体の所有で、村落共同体の構成員であるフィジー人は地主としての収入で生活できる。
5) 村にいれば食べ物はタダで手に入る。木を植えてなったモノをとってたべる。生きていくために必要なものは手に入る。買う必要はない。持っている人が持っていな い人に分け与えるのは当然の所作とされているコミュニュティ内で食うに困ることもなく、穏やかな生活を送れる。
6) 人口の六〇パーセントがフィジー人で、三五パーセントがイギリス植民地時代にサトウキビ農園の労働力として連れてこられたインド人の末裔。五パーセントが中華系などその他の人々。
7) (一九七〇年の独立以降、フィジー系住民を優遇する政権から経済を支配するインド系住民との融和を目指す政権に交代すると、それに反発するフィジー系の軍隊のクーデターが繰り返されている。天国に一番近い国はフィジー人や、そんなことに無頓着な観光で訪れる人たちにとってはという但し書きが必要なのかもしれない。)
8) 英語が共通語だから、海外の情報に接することができる。教育を受けて仕事をと思う若い人はオートラリアにでていってしまう。産業という産業がないから雇用の機会もない。覇気のある人材が海外に流出する。
総人口九〇万人の国から毎年一〇万人もの人がオーストラリアなどに移住している。
9) 豊かな社会を象徴するかのように帰る家もある職業乞食までいる。
YouTubeをみれば、誰もが憧れる天国にもっと近い地上の楽園フィジー。豊な自然に恵まれて、フィジー人ならろくに働かなくても生活していける。それなのに人口の一〇パーセントも人たちが毎年海外にでていってしまう。
要は人が生き生きと生きてゆくには、足るを知るだけでは足りないということだろう。希望や夢を追いかける自由がなければ、極端にいえば、屠殺される恐れがない家畜と似たような存在になってしまう。希望や夢といえば聞こえはいいが、俗なことばでいえば欲や野望、そこに羨望や嫉妬なんてものまでついてくる。でもその良俗合わせたものが人が生きて活きてゆく力を生み出すということだろう。
何がいいのか、何を望むのかは人それぞれ、生れも違えば育った環境も違う。ひとさまにどうこう言うことじゃない。ただ、自分としてはできるだけしがらみのない世界で自由に生きられたらと思っている。悲しいかな、もって生まれた貧乏性のせいで、ばたばたしてないと落ち着かない。穏やかすぎる海じゃ、船酔いしそうな気がする。そんな気持ちを十年以上前に「天国」と題して書いた。
「天国」
http://mycommonsense.ninja-web.net/story/story1.1.html
p.s.
<天国に一番近い国フィジー>
YouTubeでフィジーと入力すれば、多くの人たちが思い描いている天国に一番近い国フィジーを紹介する動画がこれでもかというほどでてくる。どんなに綺麗な世界にも裏はつきものと割り切って、いいところだけをみていたいというむきにはこちらからどうぞ。
2024/7/22 初版
2024/9/3 改版
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13869:240904〕
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