経産省前脱原発テント座り込み日誌9月12日版
- 2024年 9月 16日
- 時代をみる
- 木村 雅英
◎メディアジャック糾弾、敦賀2号「不合格」パブコメ、生きるにふさわしい地球に! 9月6日(金)
座り込んで、資源エネルギー庁原子力政策課に電話して、一週間前に投函した抗議・申入書(請願)<経産省は国民に「原発活用」の為の金を払わさせるな、電力自由化を尊重せよ~原子力小委員会は核発電の為の「大政翼賛会」か? RABモデルは「打ち出の小槌」か?>の受取りを確認。
17時に経産省抗議行動開始。来週の水曜9月11日にテント13周年大集会予定を確認。<経産省は嘘をつくな、…>コール。
杉山さんが自民党総裁選をめぐるメディアジャックを糾弾、声明<自民党総裁選を「軍拡・改憲キャンペーン」にさせるな-自民党総裁選の「メディアジャック」に抗議し、メディアと国民に訴える>への賛同署名を呼びかける。
K.Mが歌集「ふるさとは赤」(三原由起子)から、「やまなみの青、海の青、空の青、何もなかったように親しい」、「わが店に売られしおもちゃのショベルカー大きくなりてわが店壊す」を詠む。
平岡さんが、日本の政治が原発問題について非常に遠慮していることを憂い、原発を動かせば必ずゴミが出る、プルトニウムを確保したいのか。一方、マスコミを見て戦争準備・新しい戦争を心配。
江田さんが、毎週火曜に座込みに参加している、集まることですべてが回転する、経産省前での、この運動が長い歴史を築いてきた、運動とは持続である。
白倉さんが、水俣病の有機水銀による被害の公式認定は1956年であるが、今から100年前から海の汚染が始まっていたことを確認。9月4日の鴨下さんの裁判を報告。人が人間として生きていくにふさわしい社会にするために、今日も明日も頑張りたい。K.Mから敦賀2号「不合格」の規制委パブコメを紹介し提出を要請。守屋さんが、米の国で主食の米不足を憂い、「座込め、ここへ」と「水に流すな」を歌う。
三上さんが、自民党の次の切り札が憲法改正問題。脱原発・憲法擁護・反戦非戦を訴える。奥内さんが、大きなマグロを見せて汚染水海洋投棄を批判し、青田恵子さんの詩を詠み汚染水を処理水と言い換え大海原に毒を撒くことを糾弾。
漆原さんが、311子ども甲状腺がん裁判(9月11日13時半、地裁前)を案内。若木さんが9月2日の大間裁判報告集会の報告。
最後に短くコールして抗議行動終了。(K.M)
◎ スタートでつまずいたデブリ採取 いつものことだ 9月7日(土)
・スタート地点の手前で転けたデブリ採取
パイプの接続順を点検項目に入れていなかったため、チェックしなかった。日焼けはしても被曝はしない火力発電所では下請けさんの作業に社員が立ち会うことがよくある。原発では被曝が怖くて東京電力の社員は現場にほとんど現れないようだ。東京電力自らが、原発事故は続いていること、壊れた原発の廃炉は不可能であることを明らかにしたことになる。それにしても、被曝の恐れのない別の場所で本番同様の作業演習をしなかったのだろうか?まさか、ぶっつけ本番?下請けさんの被曝は気にしない?
・斎藤元彦兵庫県知事
斎藤元兵庫県知事と、いつも読み間違えてしまう。法の解釈は自分がする、自分こそが法だとばかりに保護すべき人に危害を加える。自民・維新が推薦したのも頷ける。
・たろ
原発推進を明らかにし、その次は原潜配備。総裁になるためなら、何でも口走る。
・うみを出しきる
え??・・・はあ?? 政権交代?
大きな風呂敷だね。めったにないチャンスを潰したのは誰?
どぜうも出てきて、こんにちわ、立民一緒に沈みましょ♪ (O・O)
◎ 避難住宅追い出し訴訟を支援しよう 9月9日(月)
きょうも相変わらず空は晴天で、おまけに蒸し暑い。家を出てから事務所に着くまで、汗かきの私は汗の拭きどうしである。エアコンの風で一息つく。 何時ものように氷水を飲みながらノボリを組み立ててセット。次にバナーを樹木と園芸用ポールを利用してセットして完了。 早速、反原発ソングを流して道行く人々にアピール。私は樹木の下で休息。
きょうは午後2時から東海第二原発差し止め訴訟の控訴審が東京高裁で開かれる日だ。午後1時過ぎに三軒茶屋のナベさんがお菓子を持って来られた(いつも気を使ってもらってお世話になるばかりだ)。東海第二原発裁判を傍聴する前に寄ってくれたとのこと。時間まで相棒のSaさんと話し込んで行かれた。 ナベさんが傍聴に行かれたすぐ後に御大のSiさんがアイスの差入れを持って来られた。久し振りにお会いしたが元気そうで安心した。
そのあと鹿児島で頑張っている野村さんがお土産を持って来られた。1年ぶりである。「きょうAさんは?Ⅰnさんは?」と尋ねられた。「曜日が違うので、11日の大集会にはみんな来ますのでお会いできるでしょう」と答えたら、安心して自家用車で帰って行かれた。フェリーで来られたにしても、たいしたものだと感心しました。久し振りに多くの方とお会いできそうで楽しみです。
午後2時過ぎに傍聴の時間に間に合わなかった方が来られて時間まで座り込みに参加してくれた。3時過ぎに報告会に参加される方々が来られ挨拶した。その中に避難住宅追い出し訴訟を闘っておられる鴨下さんのお連れ合いさんがおられ、ビラを渡されました。私も時間が許す限り参加したいと思います。大法廷を埋め尽くしましょう。 避難住宅追い出し訴訟・判決:10月7日(月)14:00~東京地裁103号法廷(1時半頃、傍聴券配布予定)
報告集会:参議院議員会館B109会議室 (保)
◎ 汚染水放出から1年が経つ、僕らは長い射程で対峙 9月10日(火)
14時に着く。先番はOogさん、Yamさん、OgwさんEdさん。すぐにAsaさん到着。相変わらず暑い。温度は32℃だが、湿度が高いらしい。先番4名は14時30分前に帰路へ。特別なことはなく、16時終了。Asaさんと片づけて事務所へ。
先8月24日で、福島第1原発で、汚染水を海に放出し始めてから1年になった。
『この大海原に』
だまされるな 汚染水を処理水と言いかえてこの海原に毒を撒く
1キロばかりの沖合に
ホースの先から毒を撒く 笑わせるんじゃない 安くて簡単だから海に捨てる
ふざけるんじゃない 煮ても焼いても 薄めても
取り除けない毒は毒 うそぶくなかれ IAEA 最後の1滴まで 責任持つと
その最後とはいかなる日なのか
百年先か千年先か それとも半永久的か 8月24日 フクシマの
罪なき浜から 大海原に 毒は撒かれた
その昔 ふる里で聴いた海鳴りが離れない あっ 私は故郷に
どう詫びればよいのだ どう仇敵をとればよいのだ
‐ 詩布絵 「風に とむらはれて」 (青田恵子、2024年3月 社会福祉法人ミッションからしがね) より。
また、7月9日の座り込み日誌に、三上智恵さんの 『風(かじ)かたか「標的の島」撮影記』 から、《海の息吹きが聞こえますか》
と題された詩を転載した。
6月28日に辺野古に埋め立て用の土砂を運ぶダンプカーがふたりを死傷させ、作業を一時中止していた折、7月8日、後に引き抜くので護岸工事ではなく、事前協議の対象外として、軟弱地盤改良のための杭打ちのテストが為されたことを、そして8月1日に工事再開を予告したと書いた。以下はその続き。
玉城知事の協議継続要求、住民等の移設反対運動、台風の接近等で8月1日の工事開始は延期されたが、8月20日、国は議論は十分に行われたとして協議を打ち切り、大浦湾での工事に着手した。7万1千本の杭打ちを含み、普天間基地の移設が可能になるまで12年かかるとされている。土砂運搬作業も22日に再開された。
同じ8月22日は対馬丸撃沈80年の慰霊祭があった。1944年8月22日、沖縄から九州へ向かっていた学童疎開船「対馬丸」がアメリカ軍の魚雷を受け1484人が犠牲となった事件だ。そのうち784人が子供だった。慰霊祭の後の集まりで歌われた「啓子ちゃん 生きた」を取りあげる。歌ったのは石坂美砂(みさご)さん。作者は美砂さんの母上、石坂眞砂(まさご)さん。眞砂さんは、疎開のため「対馬丸」に乗るはずだったが、急遽別の船に乗り、難を逃れた。当時、小学校6年生だった。戦争が終ってから、東京でシャンソン歌手になった。後に、「対馬丸」の悲劇を知り、生き残った人たちや遺族のもとに向かった。そのなかのひとりが、当時9歳で、海上で6日間生き抜いた平良啓子さんだった。
平良啓子さん;
「私の目の前にいるおばあちゃんが目を見開いたまま、ズルズルと落ちるんです。私は一生懸命あげました。うしろのおばさんたちが『わらべ、子どもさん、あのおばあちゃんはね、もう死んでいるんだよ。だからもう手放して流しなさい』って言うんです。本当に苦しい思いで手放しました。おばあちゃんがくるくるーと沈んでいく、くるくるーとあがって、遠くのほうへ、遠くのほうへ、波に、大波に乗っていきました」
石坂美砂さん;
「対馬丸に母が乗って、もしも亡くなっていたら私の存在もありません。やっぱり母が生きてくれたから私があって。そういう意味では生かされている。母がやってきたものを消してはいけないのかな。灯火は消してはいけないのかなって。あの歌をいま、合唱団の子どもたちが歌ってくれたり、ちゃんと受け継がれていることがうれしいです。母もたぶん、喜んでいるんじゃないかな」「戦争というのは決して美化してはいけません。そして、風化もさせてはいけません。もう一度、足元をみつめて、平和って何だろう、そして戦争は絶対にだめだということを、私は音楽を通じてこれからも伝えていきたいなって思っています」
『啓子ちゃん生きた』
暗い海は荒れて 深いうねりを立て
屍体の山は 私をとりまく
フカの群れがきて 屍体にかみつき
イカダめがけて 突き進んでくる
両手合せて 母ちゃん母ちゃん助けて
神さま 神さま 助けて!
襟首の手を 泣きながらはなす
生きてるように 眼を開けてにらんだ
波にのまれて おばあが消えた
許して! 許して!
ねえねえ ねえねえ 名前は?
「初等科4年生 宮城啓子です!」
「・・・・ときちゃん* 死にました!」
*ときちゃんは宮城時子ちゃん。啓子ちゃんが親しくしていた従妹。疎開船に乗ることを告げると、じゃ私もと、すぐにランドセルをいっぱいにしてついてきた。
(歌詞から抜粋)
2024年9月8日、松川正則前市長の死による、宜野湾市長選は、元市長佐喜真淳氏が当選した。普天間飛行場の名護市辺野古移設容認の立場を継承した。6月の沖縄県議選では、移設に反対する「オール沖縄」勢力が議席を減らし、保守系勢力が過半数を挽回しており、玉城知事は基盤がさらに揺らぐ状況になっている。そして、知事は、この先に控えている自民党の総裁選挙とアメリカ大統領選挙に関し、「どなたが総理になっても大統領になっても、対話による解決を求めていく姿勢は堅持していきたい」
と述べた。知事は同8日、ワシントンに向け出発した。普天間基地の移設問題のほかアメリカ兵による性的暴行事件、有機フッ素化合物PFASなど基地から派生する様々な問題についてアメリカ政府や連邦議会の関係者に直接訴えることにしている。15日、帰国予定。 (石上健二)
◎ テントひろば13周年記念集会が開かれた 9月11日 (水)
今日は9月11日でテントを立てた時から丸13年。2011年の9月、個人的には6月に乳がんの手術をして、抗がん剤治療をしていたときだった。そのあと、テントでの福島の女たちの上京闘争にあわせてテント行動に恒常的に参加した。福島はまったく終ってない。朝から30℃で猛烈暑い。
藤原さんが13周年大集会のイベントひろば(経産省前歩道)の飾りつけ・横断幕の配置などのコーディネートをやってくれることになって、水曜日・早番当番のIとTは藤原さんをサポートした。藤原さんは、いろいろの小道具持参でスイスイと幟旗などを立てていった。12時過ぎに地下鉄から中学生の10人くらいが現れたので「修学旅行ですか。どちらからですか」と聞くと「福島県白河市の方からだ」と先生が答えてくれた。手短かに「3.11原発事故に抗議して座り込みをして今日で13年になる」と言った。聞けば、少年たちは2009年生まれで、その時は何もわからない歳だったと言っていた。少年たちは去り際に、「頑張ってください」と言ってくれた。お互いに気持が通じたと思った。
今日は9.11集会のほかに、サンケンの尾沢控訴審裁判の判決と3.11子ども甲状腺ガン裁判が開かれ、そちらに行く人も多かった。集会は午後2時からだったが、その前からみなさん集り始めた。街宣車も到着して、山本さん先頭に、車のボディーに「9.11経産省前 13周年大集会」の題字を掲げたり、スローガンの横断幕を巻きつけたりの準備が行なわれた。そして午後2時に司会・木村ゲタさん、はしゆきさんで集会がはじまった。裁判に参加していた人たちも裁判が終わってから集会に参加してくれた。尾沢裁判は不当判決で、かつひどい法廷だったそうだ。100人近くの人が集った集会の様子は、すぐ、早川由美子さん(映像作家)が「YouTubeにアップしました」と配信してくれた。
https://youtu.be/eTlTw5azcBg?si=5P7XEgqqZX64NwlR
そして、大賀さんが「テントニュース」記事にしてくれた。次のとおり。
9・11 経産省前テントひろば 13周年大集会が成功
2024年9・11集会が開催されました
2011年9月11日、それは同年3月11日の福島第一原子力発電所事故から半年後、「9条改憲阻止の会」を中心に経済産業省にテントひろばは設立された。13年を経たいま、私たちは13周年大集会を開催し、多くの闘う仲間が結集した。
経産省前本館前には13周年大集会の看板を付けた新社会党宣伝カーが横付けされ、2時過ぎにはしゆきさんの司会で大集会は始まった。宣伝カーの演台では平岡忠臣氏が開会あいさつで、現・自民党政府の原発政策を糾弾し、継続して脱原発運動を進める決意を述べた(前号ニュース参照)。乱鬼龍さんが茣蓙の幟旗を掲げて歩道を歩くなかを、開幕音楽はギターを抱えた朴保さん。その音楽が終わって冒頭、弁護士河合弘之さんのゲスト発言は、地震に弱い日本での原発運転が如何に危ういのかを丁寧に説く。次に演台にたった、社民党参院議員の大椿ゆうこさんは、3・11の原発事故が収束していないいまこそ、脱原発だと運動の正当性を語ってくれた。
元・原発技術者の後藤正志さんは、今の政権の原発推進政策の問題点を明らかにした。集会が始まって一時間が経過したところで、2017年夏のテントが撤去された後、連日の座込みに参加している仲間たちが月曜担当者から次々とマイクを握って一分間スピーチを行う。一分間スピーチは予定の七分が3倍の二十分が経過したところで終わり、福島現地で闘っている郡山の黒田節子さんと、請戸テントひろばの仲間からの発言に引き継がれる。
集会参加を予定していた3人のゲストからのメッセージが司会の木村雅英さんによって紹介、その後にテント弁護団として継続して運動に関わってこられた一瀬敬一郎弁護士の挨拶を受けた。
集会エンディング音楽は、再度、朴保さんの演奏。予定の2時間を過ぎたところで、テント弁護団弁護士の大口昭彦さんから挨拶。大口さんは山本義隆著『核燃料サイクルという迷宮』で指摘された原発=核発電、核戦争への道の危うさを述べ、これを受けて三上治さんからの閉会挨拶では、反戦運動と脱原発運動との繋がりを明確にしながら、今後の闘いの決意を述べた。
現在も全国各地で反原発の闘いが粘り強く続けられている。私たちテントひろばは経産省前でその一翼を担い、原子力発電(核発電)の廃止を求めて闘い続けることを明言した。 (T・I)
◎ 残暑というには厳しすぎる暑さの中で 9月12日(木)
Inさん、Yoさんと3人で設営。正門前の工事は終わっているが、まだまだ厳しい残暑の日差しを感じ、木陰を求めていつもの交差点沿いに陣取った。昨日の13周年集会の感想などを話し合っているとSuさん、Hiさんが現れ、参加してくれた。iPadで反原発ソングを流し、雑誌を読みながら暑さに耐えていると「毎日やられているんですか?」と声をかけられた。顔を上げると20歳前後と思しき男子が立っている。「原発問題に関心ありますか?」と言いながらチラシセットを渡すと「自分は福井出身なので、福井で反原発運動をしている人とも交流があります。」と言う。「これから裁判所に行くので失礼します、がんばってください」と爽やかな笑顔を残して去って行った。
13:45 Okさん参加。先週の金曜集会で披露したマグロ型の浮き輪を持参したが、どこかに穴があいているらしく空気を入れてもピンとしない。それでも何とかふくらませてパラソルにつり下げ、「汚染水流すな」をアピールした。14:25 Suさんと福島のKuさんが連れ立って現れた。Kuさんが持参したカラフルな汚染水放出反対のバナーを囲んでみんなで写真を撮る。やがて後半担当のTaさんが到着したのでバトンタッチした。 (M.U)
=====添付資料=====
・原発週報2024.9.4~9.310 編集:漆原牧久
・テントニュース296号
・テントニュース297号
=========デモ、集会==========
◆9月16日(月) 「9.16さようなら原発全国集会」
11:00 ブース出店
12:00 ミニステージ「気候危機と原発」
13:00 オープニングライブ片平里菜(シンガーソングライター)
13:30 トークライブ
・呼びかけ人 落合恵子さん 鎌田慧さん 佐高信さん 澤地久枝さん
・福島から
・各地から(女川、東海第二、青森・むつ、柏崎刈羽)
・環境団体から
15:00 パレード(渋谷方面・原宿方面)
◆9月18日(水) 12時~原子力規制委員会毎水曜昼休み抗議行動
◆9月20日(金) 17時~18時
経産省前抗議集会(毎週)経産省前テントひろば経産省正門
◎経産省前の座り込み行動は、平日:12~16 時(月 ~木)、13~17時(金) 土・日・休日:12~15時
◆9月20日(金)原発いらない金曜行動 18時30分~
◆9月27日(金) 月例祈祷会「死者の裁き」 14時30分~
◆9月29日(日) 脱原発青空川柳句会 12時~
経産省前テントひろば 選者;乱鬼龍
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5757:240916〕
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