21世紀ノーベル文学賞作品を読む(2―上) V.S.ナイポール(英国、2001年度受賞)の『ミゲル・ストリート』(岩波文庫、小沢自然・小野正嗣:訳) ――苦い現実を直視する真摯な姿勢
- 2024年 9月 21日
- カルチャー
- 「リベラル21」横田 喬
イギリス領トリニダード・トバゴ生まれのインド移民三世V.S.ナイポール(1932~2018)は2001年度のノーベル文学賞を受けた。受賞理由は「知覚的な文体と永続的な調査により仕上げられた作品によって抑圧的な歴史の存在を直視させたこと」。その代表作の一つ『ミゲル・ストリート』の一節を紹介しよう。
(「第8章「花火技術者」から抜粋)
土地勘のない人は、ミゲル・ストリートを見ても、「スラムだ!」と思うだけかも知れない。その人には、それ以上のことは見えないのだから。でも、そこに住んでいる僕たちにとっては、ストリートは一つの世界であり、一人一人が他の誰とも全く違っていた。マン・マンはイカれていて、ジョージは愚かだった。ビッグ・フットは暴れん坊、ハットは山師、ポポは哲学者だった。そして、モーガンは僕たちのおどけ者だった。
というか、僕たちがモーガンのことをそう見ていたのだった。でも、何年も経った今振り返ってみると、彼はもっと尊敬されても良かったと思う。もちろん、そうならなかったのはモーガン自身のせいだった。わざとおどけて見せ、人々に笑い物にされるまで満足しない。彼はそういうタイプの人だった。それに、僕たちを笑わせようと、新奇で突拍子もないことは何かないかと何時でも探していた。口にマッチをくわえてタバコで火を付けようとして笑いをとろうものなら、何度も同じことをしてみせる。彼はそういう人だった。
「えらく気に障るんだ、いつもおどけようとしてるのかよ。あいつはそれほど幸せじゃないって、俺たちみんな知ってるからな」とハットは言ったものだ。時々、モーガンは、自分の冗談が受けないことに気付くようだった。そして、そのことでひどく落ち込むので、僕たちはみんな、冷たくて意地悪いのは自分たちの方ではないかと思ってしまうのだった。
モーガンは、僕が生まれて初めて出会った芸術家だった。彼はほとんどいつでも、おどけている時でさえも、美というものについて考えていた。モーガンは花火を作っていた。花火を愛しており、宇宙的な舞いだとか生命の舞踏だなどと、花火論には事欠かなかった。けれどミゲル・ストリートでは、そんな話は僕たちの頭を素通りするだけだった。そしてモーガンはそれに気づくと、更に大げさな言葉を使い始める――それで笑いを取ろうとして。この章のタイトルも、僕がモーガンから学んだ大げさな言葉の一つだ。
けれど、モーガンの花火を使う人はトリニダードにはほとんど居なかった。競馬、カーニバル、トリニダード発見記念日、インド人上陸百周年など、島の主要な祭りが次々に行われ、人々が海辺で、ラム酒や音楽や美女に浮かれ狂っている時に、モーガンはひたすら怒り狂っていた。
モーガンはサバンナ公園に行ってはライバルたちの花火を眺め、空にきらびやかに飛び散る花火に人々が歓声を上げるのを聞いた。彼は物凄い剣幕で戻ってくると、子供たち全員を殴った。彼には十人の子供がいた。奥さんは大柄過ぎて殴れなかった。「消防隊を呼んできた方がいいぜ」とハットは言ったものだ。
それから二、三時間の間、モーガンはどことなく間の抜けた様子で裏庭をうろつき回った。余りにも狂ったように花火を飛ばすので、「モーガン、馬鹿なことをするのは止めておくれよ。あんたには十人の子供と妻がいるのよ、今死なれたらたまんないわよ」と奥さんが叫ぶのがよく聞こえてきたものだ。
モーガンは雄牛のような唸り声をあげて、トタン板の塀を叩くのだった。「どいつもこいつも俺のことをコケにしてぇんだ。どいつもこいつもよ」とモーガンは大声をあげた。
「今聞こえてんのが本物のモーガンってもんだぜ」とハットは言った。
この狂ったような癇癪が起こると、モーガンは全く手に負えなかった。そんな時の彼は、僕のおじさんで機械いじりの天才のバクーが自分をコケにしようとしていると思い込んでしまうのだ。どうやら、夜の十一時頃になると、その考えが頭の中で爆発するようだった。
彼は塀を激しく叩きながら叫んだ。「バクー、この太鼓っ腹のろくでなし、出てきて男らしく闘え!ってんだ」。バクーはベッドに腹ばいになって、気の滅入るような声で『ラーマーヤナ』(注:古代インドの一大長編叙事詩。ヒンドゥー教の聖典の一つ)を朗誦し続けた。
バクーは大男で、モーガンはとても小柄だった。ミゲル・ストリートでは手が一番小さく、腕も一番細かった。
「モーガン、黙って寝たらどうなのよ?」とバクー夫人は言った。
すると、「ちょっと、この細足おんな。うちの亭主につべこべ言うんじゃないよ! 自分の亭主の面倒でも見てたらどうなのさ」とモーガン夫人が言い返すのだった。
すると、「言葉に気をつけなさい。さもないと、そっちへ行って首が曲がる位、引っぱたくわよ! 聞こえたわね」とバクー夫人は言うのだった。
バクー夫人は身長四フィートで、胴回りは幅も厚みも三フィートはあった。モーガン夫人は身長六フィートちょっとで、重量挙げ選手みたいな体つきをしていた。
「あんたの太鼓っ腹の亭主に車の修理でもさせて、いつも歌ってるそのアホな歌を止めさせたらどうなのさ」とモーガン夫人は言った。
この頃までには、モーガンは表に出て僕たちに合流しており、「あの女どもの言ってることを聞いてみろよ」と言いながら、奇妙な笑い方をするのだった。ポケットの小瓶からラム酒を飲むと言った。「まあ見てろよ。こんなカリプソ、知ってるか?
♪連中に酷くされればされるほど/トリニダードでの暮らしは良くなるど……
俺も同じだぜ。来年の今頃は、イギリス国王とアメリカ国王が花火を作ってくれって、何百万も払ってくるぜ。誰も見たことのねえような綺麗な花火を作ってくれってな」
すると、「連中のために花火を作るってのか?」とハットか誰かが訊くのだ。
モーガンは言うのだった。「何を作るって? 何も作りゃしねえよ。来年の今頃までにはよ、イギリス国王とアメリカ国王が花火を作ってくれって何百万も払ってくるぜ。誰も見たことのねえような綺麗な花火を作ってくれってな」
一方、裏庭では、「確かに彼は太鼓っ腹よ。でも、あなたの亭主には何があるのよ。来年の今頃はどこに居ることかしら?」とバクー夫人が言っていた。
翌朝になると、モーガンはいつも通りしらふでしゃきっとしており、自分の実験について話していた。
こういう時のモーガンは、人間と言うより鳥みたいだった。彼がマッチ棒みたいに痩せていたからというだけではない。彼の首は長く、鳥のようにしきりに動いた。目は爛々と輝き、落ち着きがなかった。それに、くちばしで突っつくような喋り方をした。まるで言葉を発しているのではなく、玉蜀黍の実をついばんでいるかのようだった。弾むように速足で歩きながら、誰も後など付けていないのに、何度も振り返るのだった。
「どうしてあいつがああなったか知ってるか? 女房のせいだぜ。あいつは女房のことを怖がり過ぎてる。なんせ、スペイン系の女だからな。炎と血が溢れてんだ」とハットは言った。
「それで、あんなに花火を作りたがってるってのか?」とボイーが言った。
「人間ってのは、とにかく変わってるからな。判んないもんだぜ」とハットは言った。
けれどモーガンは、人に見られていると判ると、わざと大げさに手足を振り動かし、自分の容姿さえも冗談にしてしまうのだった。
モーガンは自分の奥さんと十人の子供まで冗談にした。「全く奇跡だぜ」と彼は言った。「俺みたいな男に子供が十人もいるなんてよ。どうやってこんなに作れたのか、見当も付かないぜ」
「本当にお前の子か?」とエドワードが言った。
「俺も疑ってんだよ」とモーガンは笑って言った。
初出:「リベラル21」2024.09.21より許可を得て転載
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