パリオリンピックで思うこと
- 2024年 10月 1日
- 評論・紹介・意見
- ビジネス傭兵藤澤豊
日本人とフランス人といってもいいし、日本文化とフランス文化と言ってもいいが、どちらも範囲を限定しまうような気がして、何もつけないことにした。
オリンピックのニュースを見るたびに、そこまでかと呆れかえった。二十歳頃までは持っていた憧れに近い感情はとうに失せていたし、仕事で付き合った経験から当てならない人たちだと思っている。オリンピックがフランスを除く世界中の何人も人たちがフランスのだらしなさに気がつくきっかけをつくってくれた。
手違いとかちょっとうっかりまでなら誰にでもある。ただ問題が報じられるたびに、大統領や市長や責任者から出てくる自画自賛としか思えない話は呆れるのを通り越して、なんとも聞くにたえない。Le MondeやAFPも恥ずかし気もない記事で溢れている。自画自賛の根柢には無知からくるフランス人の自惚れがあるような気がする。日本人が細かなことにまで気にする貧しい性分だからフランス人のだらしなさが目についてしょうがないということではないと思う。
みっともないオリンピックがやっと終わったかと思ったら、フランスのテレビ局がやらかした。メダルを獲得した選手を集めたポスターをつくったはいいが、アジア系は韓国のシューターのキム・イェジだけしか載っていなかった。
十四日付けの記事で、香港のSouth China Morning Post紙が噛みついた。
「Paris Olympics: Eurosport poster that excludes Chinese, Japanese athletes slammed as racist」
https://www.scmp.com/sport/paris-olympics-2024/buzz/article/3274475/paris-olympics-eurosport-poster-excluded-chinese-japanese-athletes-slammed-racist
表題を機械翻訳すると下記になる。
「パリ五輪: 中国と日本の選手を排除したユーロスポーツのポスターが人種差別だと非難される」
ご存知のようにメダル獲得数ではアメリカに続いて二位には中国が、そして三位には日本がはいった。韓国は八位だった。
ポスターを作ったユーロスポーツは、今年の夏季大会の大スターをフィーチャーしたポスターに実にフランスらしいキャプションを添えていた。「地上最大のショー。パリ2024、私たちはあなたを決して忘れない」。あなたを忘れないといってるが、ポスターを見るかぎり、もう中国の選手や日本の選手のことは忘れてしまったようにしかみえない。
あと半年もすればパリオリンピックのドキュメンタリー映画が公開されるのではないかと期待して待っている。
八十年代の中頃から十三年お世話になったアメリカの会社の日本支社には駐在員が四人いた。上司になるジョンソンは優秀な技術屋である以上にアメリカの教養人の典型のような人だった。別の事業部から来ていたミラーはヨーロッパと南アフリカの駐在から日本に回ってきた人で多様な価値観を体現していた。
ジョンソンと話していると、しばしばミラーが入ってきた。事業部が違うからミラーと仕事上の付き合いは少ない。二人とももう五年以上駐在していたし、ジョンソンは日本人と結婚していた。仕事を通してみてきた日本人観がどこまで的を射ているかが気になるのだろう。ちょうどいい相手にされた。二人の考えをまとめれば次のようになる。
日本人は必要以上に几帳面(meticulous)で、特に時間厳守(punctual)の姿勢は、車で移動しているアメリカにいては想像できない。なにがそれを生み出しているのかと考えていくと、怖れや不安から生まれる自制心が文化として染みついているからのようにみえる。恐れや不安からだろうが、他人と違ってしまうことのないように気にしている。常に自分を抑えて大勢の一員になるように心がけている。自分の至らない点をあら捜しでもするかのように見つけ出しては矯正し補強しているが、そんなことをしていたら自分の優点を伸ばすほうに割くべき力が分散されてしまう。なんでもそつなくこなす優等生にはなれても、他の優等生を凌駕するような特異な能力がないから、常に誰かと交換可能な存在にしかなれない。これは、自分はどうありたい、どうあらざるをえないという自分の考えがないということにほかならない。そんな人たちから明日の社会を切り開く独創的な考えがでてくるとは思えない。日本の客のありようを見ていれば、誰も彼もが似たようなことに明け暮れて、生産技術に磨きをかけているようにしかみえない。
三人でいつも似たような話しをしていたが、ある日皮肉やのジョンソンがそこから一歩踏み出した。フランス人に嫌な思いをしたことがあるのだろう。しばし何でもフランスが一番だと思っているバカなヤツらだと言っていた。
日本人は和を重んじるあまり、和を乱さないように細心の注意をはらっている。今までになかったものは必ず今までの和を乱す。和を乱さないような新しいものはたいしたものじゃない。フランス人の独善的な思考にはうんざりするが、独善的であるからこそ次の時代を生み出す新しいものを創りだせる。ただ、新しいものの多くが奇を衒ったものでしかないことも事実で、俺たちはその後始末に往生することがある。フランス人と日本人は真逆に位置しているのかもしれない。
独創的な才もなければ能もないものが独創的であろうとすれば、人さまには迷惑でしかない、ろくでもないものを作り出す。その典型的な例をオリンピックがみせてくれた。あそこまで愚かなことをできる日本人はなかなかいない。日本人は反面教師から学ぶことに長けている。秀でたものをと雲をつかむようなことを避けて、改善を繰り返して周囲よりちょっと優れたものをが日本の文化なのか?
p.s.
<造幣局の技術:パリオリンピックのメダル>
随分前になるが仕事で造幣局を訪問したことがある。造幣技術は中国で聞きかじっていたが、日本の造幣技術の高さに言葉がなかった。記念硬貨の品質検査能力の向上をはかるプロジェクトだった。記念硬貨だけに毎日手にしている硬貨とは別の世界のものだった。七層の合金のそれぞれの純度と厚さを非破壊で瞬時に測定することを求められた。とても期待に沿えないと辞退させていただいた。
2024/8/18 初稿
2024/9/29 改版
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13895:241001〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。