日本人児童刺殺事件を考える(続) ――八ヶ岳山麓から(489)――
- 2024年 10月 4日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」中国日本人児童刺殺事件阿部治平
先日わたしは本ブログで、いまの中国は日本人が安心して旅行や仕事ができる状態ではないこと、また中国社会の底流には、根強くしかも扇動されやすい反日・嫌日感情があること、習近平政権は揺らぎだした「統治の正統性」を守るために、民族主義を煽らざるを得ないこと、さらに深圳日本人児童殺害事件の背景には狭隘な民族主義・排外主義による教育・プロパガンダが存在するのではないかと書いた。
一方、中国には、いたいけな児童の殺害を怒り深く同情する庶民、民族主義的教育とプロパガンダの弊害を指摘する知識人がいる。ところが、日本のメディアは中国社会のこの側面をあまり伝えていない。これを比較的詳細に伝えたのは、日本共産党の機関紙しんぶん赤旗である。どういうわけか、それまで赤旗は、深圳事件を軽視し、小さい扱いだったが、9月23日になって同紙小林拓也特派員の、中国国民の良心ともいえる人々の存在を伝える記事を掲載した。
小林記者は、日本への憎しみを煽る教育やプロパガンダは「中華民族の偉大な復興」をとなえる習近平政権によって強化されたと指摘し、中国人の中には、深圳事件を知って「憎しみを煽る教育が極端な民族主義を育てた」とか、「これを続ければ文明社会から見捨てられる」という意見や、「歴史教育の中に、和解・包容・人類の共同価値観などの内容を多く取り入れ、世界の公民としての意識を育てる必要がある」という声があることを紹介している。
事件後数日して、小林記者の記事を裏付ける論評がSNS上に現れた。上海交通大学教授胡偉氏の「われわれはすでに反省せざるを得ない時に至っている」という論文である。
胡偉氏は、ロシアのウクライナ侵略が始まったとき、「中国はプーチンと手を切れ」と主張した人である(拙稿 「八ヶ岳山麓から(365)」)。いま、胡偉氏は「米中関係の悪化は中国の間違いからだ」と発言したとして、民間サイトの激しい非難を浴びている。
以下に、胡偉氏の論評を要約する。末尾に殺害された児童の父親の私信があるが、拙稿では触れない。
胡氏はまず、サイト上の「日本でも中国人が残虐な殺され方をしたケースは相当数ある。だから、双方互角であり、これほど大きく世論をかきたてて騒動を起こす必要はない」という考えに反対している。
「他国でも同様の現象があるからといって……このよう行為を容認したり、弁護したりすることはできない。互いが悪いことを競い合うような低いレベルの議論は、大国復興の気運にふさわしくない」
さらに、こう主張する。
「日本で中国人が殺傷された事件は、強盗、復讐、恋愛関係のもつれであり、それぞれに理由があった。だれが見ても反中国的行動とは無関係だった。ところが、深圳事件は、理由もなく日本人を標的にした残忍な殺人であった。中国での一連(4月3日蘇州で日本人商社員の負傷、6月10日吉林市のアメリカ人4人の負傷、6月24日蘇州で日本人母子の負傷など)の事件は実際には『無差別殺人』に該当し、外国人排斥行動と関連している可能性がある」
ついで胡氏は、東京上野の夫婦殺害・死体遺棄事件、浜名湖での通信制高校生殺害事件など、投稿サイト上の日本での中国人殺傷事件5件を検討して、これらの事件は、どれも無差別殺人ではなく理由があり、今年の中国で発生した一連の事件とは性質が異なるという。
「復讐殺人と無差別殺人は、性質が全く異なる行為である。一方は自分の敵を殺すことであり、もう一方は無辜の人さらには子供を殺すことである。これらを同等に扱えるだろうか?」
「このような区別こそが、深圳事件を含む、最近発生したアメリカ人や日本人を対象とした殺傷事件を分析する上で重要な視点となる。外国人に危害を加えるケースはどこの国でも起こりうることで、驚くには当たらない。だが、重要なのは動機であり、それが盲目的な外国人排斥行為かどうかである。 今年3月、スペイン人夫婦がインドを旅行し、夜テントで寝ていたところ、妻が7人のインド人に輪姦されたが、インドではこれが外国人嫌悪の行為だとは誰も言わなかった」
「今年、中国で発生した3件のアメリカ人と日本人に対する危害事件がなぜこれほど強い世論を喚起したのか。それは、容疑者たちが犯行に及んだ具体的な理由が何一つ見当たらず、強盗、窃盗、強姦、怨恨、愛情のもつれなどによる殺人ではなく、狭隘なナショナリズムによる無差別的殺傷事件としか言いようがないからである。 この3件がすべて精神病者によるものとすれば、話は別であるが」
また、胡偉氏は、「深圳事件が狭隘な民族主義による教育・プロパガンダの結果であり、一部の人が……真相を隠蔽し事実をすりかえて国民を混乱させている」ともいう。
わたしも、中国外相王毅氏をはじめ当局が深圳事件に対する外部向けの発言を統一して、「これは個別的事件である」とか「どこの国にも起こりうる」としかいわず、深圳事件の詳細を明らかにしないのは、犯行の背景に強い排外主義・反日感情があるからだと思う。
胡偉氏は中国の現状を次のようにいう。
「中国と日本が置かれている状況は大きく異なる。 中国は現在、西側主流の文化から遠ざかりつつあり、外資は加速度的に撤退し、対外開放(路線)は深刻な挑戦を受けている。
こうした背景のもと、このような凶悪な事件の発生したことは、中国に対する国際社会の疑念と恐怖を悪化させ、外国人と外国投資をさら撤退させ、中国を外部世界からさらに孤立させ、国の経済と人々の生活に極めて悪い影響を与えるだけである」
「現在、国内では一部の人々が外国人傷害事件について、意図的かどうかにかかわらず、真相を隠蔽したり、事実をすりかえて国民(の判断)を混乱させている。このような行為は、我々の自己反省能力をさらに低下させる。国家と民族全体にとって利益よりも損害のほうが大きいのだ!」
おわりに胡偉氏は、こう呼びかける。
「(政府が)なすべきことは、犯人を厳しく処罰し、凶悪事件の再発を防ぎ、現在ますます強まっている狭い民族主義の勢いを抑制し、抜本的な措置を講じ、間違った報道をただし、開かれた寛容な態度をもち、対外友好の世論と国家のイメージを形成していくべきである」
「(事件が)偶発的であれ何であれ、外国人特にアメリカ人や日本人に対する無差別の攻撃に対しては、全社会が高度の警戒心を喚起しなければならない。もはや事態は、自己批判をせざるを得ない段階に至っている」
もし、中国当局が事実を公表したら、日本を「敵」と考える人々は、(すでにネット上にあるように)犯人を中華民族の誇り・英雄として行動に出るかもしれない。さらに万が一、日本のどこかで(こんなことはあってはならないが)中国人に対する迫害事件が起きたら、反日デモが生まれる可能性はもっと大きい。
これに失業・生活苦によって現状に強い不満を持つ人々が参加する可能性は十分にある。いったん街頭での行動が始ったら抑えることは難しい。習近平政権はこれを警戒している。だから、いま深圳事件をあいまいにし、できるだけ小さく見せ、他方で言論統制を強化しているのである。 (2024・09・27)
初出:「リベラル21」2024.10.04より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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