石破首相、言葉使いははっきりと ―ちいさな誤魔化しはやめましょう
- 2024年 10月 7日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」田畑光永石破首相
石破新首相が4日の国会でおこなた所信表明演説については、本欄でもすでに5日に小原紘氏が批判の一文を掲載しておられるが、私もモノ申したい部分があるので、書かせていただく。
私は2日の本欄に、石破氏の持論のごとく伝えられる「アジア版NATO」の結成を、という発想について、それは見当違いであるという主旨の一文を寄せた。それもあって4日の所信表明を注目したのだが、どうもこの人は曖昧な言葉で肝心の論点をすり抜けるという手口を得意とするようなので、気の付いた2点を取り上げて、読者のご注意を呼びかけたい。
1点は中国についての部分である。演説にはこうあるー
「中国に対しては、『戦略的互恵関係』を包括的に推進し、あらゆるレベルでの意思疎通を重ねてまいります。一方、中國は東シナ海や南シナ海における力による一方的な現状変更の試みを日々強化しております。先月には、幼い日本人の子供が暴漢に襲われ、尊い命を失うという痛ましい事件が起きました。これは断じて看過しがたいことであります。わが国としては主張すべきは主張し、・・・『建設的かつ安定的な関係』を日中双方の努力で構築していきます」
『戦略的互恵関係』というのは、だいぶ昔になるが福田内閣時代の2008年5月に日中両国が共同声明で打ち出した、「政治的相互信頼の増進」など友好の内容を5項目の共同声明にまとめた際のタイトルであって、これは別に問題はない。
しかし、それに続いて中国の「一方的な現状変更の試み」と深圳における日本の男児殺害事件を並べて、「これは断じて看過しがたいことであります」というのは,変ではないか。これとは何を指すのか、両方か男児殺害か不明である。
中国海軍の動きを看過しがたいというのは分かるが、それならそれを言った直後に付言すべきで、男児殺害事件の後では、海軍の動きは「看過しがたい」ことではないともとれる。
そして男児殺害については、あえて「看過しがたい」と、政府に対して「謝れ」と言わんばかりの態度をとるのはいかがなものか。確かにこの件についての中国政府の態度は誠実さに欠けるとは言えるが、背景を調べてくれならとにかく、政府が謝らなければならない性質のものではないだろう。民間人の犯罪で政府がいちいち謝っていてはきりがない。
逆に海上における中国艦の動きに抗議するならはっきり抗議したほうがいい。「断じて看過しがたい」なら、その事実を指摘したすぐ後に言うべきで、曖昧な位置に置くのはなにかをおもんばかっているのか、いずれにしろ背中がむずがゆくなる態度である。
演説にはもう一つ問題点がある。内政についてだが、経済・財政についてのくだりで、「『デフレ脱却』を最優先に実現するため、『経済あっての財政』との考え方に立った経済・財政運営を行い、『賃上げと投資がけん引する成長型経済』を実現しつつ、財政状況の改善を進め、力強く発展する、危機に強靭な経済財政をつくっていきます」というくだりである。
ここにある「経済あっての財政」あるいは逆に「財政あっての経済ではない」というのは、前任の岸田首相の得意の台詞であった。前首相は赤字国債が減らないという話になると、この言葉を持ち出した。
しかし、この言葉自体、意味があるようで、じつは意味がない。「経済あっての財政」といったところで、では「財政ぬきの経済」、あるいは「財政が破綻した経済」というものが存在しうるのか。確かに財政は経済の一部だから、「経済あっての財政」と言いたければ言ってもいいが、両者は身体と心臓のごときもので「身体あっての心臓」だからと言って、心臓がない身体はもはや身体ではない。
ところがこんな言葉あそびみたいな喩えでも財政を財務省、経済を政府全体と置き換えると急に生臭い意味を持つ。岸田前首相は赤字国債の増発に抵抗する財務省を抑える際の決め台詞にこの言葉を使っていた。しかし、この言葉を使い出したのは安部信三元首相の時代であった。この人は平成から令和にかけて途中に民進党政権を挟んだものの通算11年以上も首相の椅子に座り続け、その間、経済あっての財政だと財務省を抑えつけて、多額の国債を発行させ続けた。
その結果が現状だ。財務省のHPによれば、2024年末のわが国の普通国債の発行残高は1,105兆円、対GDP比は251.9%である。日本全体の経済活動2年半分の総額に等しい借金がわれわれの頭上にのしかかっているのである。
他の先進国の状況を見ても、いちばん財政赤字が多いのはイタリアだが、その額はGDPの143.2%にすぎない。以下、米、仏、英、カナダと続くが赤字総額は米の対GDP比126.9%以下、カナダの103.3%まで100台の下の方、独は64%にすぎない。
石破新首相はなぜ所信表明に前任者の口癖をあえて引用したのだろう。自分の代で日本国の財政が破綻しても「オレのせいではない」と言い張る予防線としか思えない。
今回の自民党の総裁選挙、若いうちに名前を売っておこうというのや、とりあえず立候補しても損にはなるまいといった顔が多かった。その中ではひときわ年齢も高く、これまで何度も落選しているからいっぺんぐらいやらせてみようかといった票を集めて石破氏が当選したのだろうが、なんだか最初から新味がないばかりか、おどおどした感じが先に立って、急につまらなくなってしまった。どうしたものか。(241005)
初出:「リベラル21」2024.10.07より許可を得て転載
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〔opinion13902:241007〕
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