やっぱり権力を監視し、不断の異議申し立てを
- 2011年 9月 10日
- 時代をみる
- 三上治
9月10日
別れた後の男女の発言には深みがある。人はこういう場面では天使にでもなるのであろうか。歌をはじめそう思わせるようなものを見かける。そういえば菅前首相の退任後の話も良かった。以前にも鳩山元首相の反省の弁もなかなかのものだった、という記憶がある。鳩山の場合には所信表明とか注目すべきものもあったが結局のところこの退任後の発言が一番良かった。
菅前首相の発言は福島の原発震災のなまなましいところから、東電や経産省の動きが良く伝えられていた。このインタビューを読みながら思ったことは日本の官僚の政治的支配力のことであった。東電は福島の現地から逃げ出そうとしていたらしいが、これは東電の社会的官僚というべき性格を浮き彫りにしている。敗戦時に真っ先に逃げ出した関東軍と同じである。日本の官僚組織の無責任性と危機における逃亡を想起させるものだった。ある意味では僕らが経験的に推察できることでもあった。そして興味深かったのは経産省の動きである。彼らは福島で現にある原発震災をどう収束させ、これを検証するかではなく、いかに停止中の原発を稼働させるかに腐心している。これは僕らが外からも推察していたことだが、菅の発言で実証できるように思える。原発震災の中でも経産省や原子力村は原発保持の戦略を中心に考えていたのである。これはまた、現在でも変わらないのである。野田新内閣は脱官僚政治から脱して官僚とタッグを組むという。これは危険なことである。民主党の脱官僚政治は経験的な試行錯誤があったにしても間違いではなかった。この菅の発言を聞いていると原子力行政などを仕切ってきた官僚組織とそれと闘うことの難しさを暗示している、これは過去の事ではなく未来のことである。背後のアメリカの意向やコントロールということも含めて官僚主導政治からの脱却は依然として現在の政治的課題である。アメリカでの前原の発言は官僚やアメリカへのすり寄りであるが、沖縄問題をふくめてこの傾向が増すことに注意がいる。経産省や野田政権は原発問題で本質的な議論や解決を避け、再稼働→原発保持という戦略に向けた動きを始めるだろう。菅政権下でこれを準備してきた経産省や原子力村の面々は本格的に動き出すに違いない。野田首相にも内閣の面々にも、原発やエネルギー政策についての見識や構想もない。政治主導の根幹になるものがない。経産省の官僚は組みやすしとみているのだろう。言い古されてきたことだが権力の動きを監視し、不断の異議申し立てを続けなければならない。収束の見通しすらも立たない福島原発の現状を注視するときその思いは強くなる。
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〔eye1601:110910〕
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