ていこう原理 35 〈平和〉って何か――小 学 生 の 問 い か け
- 2024年 11月 1日
- 時代をみる
- 「郷土教育」憲法長谷川孝
◆九条があるから〈平和憲法〉なのか?
九条の会の活動には、ささやかながら筆者も参加しえいます。でも初めの頃から、九条だけに〈平和憲法〉を背負わせて(代表させて)いいのか? と感じていました。九条が、保守・右翼や政権党の攻撃の的となり、解釈改憲が進み自衛隊が軍隊的に肥大化しているのは確かで、現在はさらに厳しい状況です。それでも、「九条だけ?」の問いは残ります。
というわけで、関係のあった大学で昔、会を都の声に応じて、考えた末に「個人の尊厳と九条の会」の呼び掛け文を作ったことがありました。改憲派の教授もいた保守的な校風で、実現はしませんでした。頭の中には、前文と九条と九七条が三本柱としてあり、その基盤として個人の尊厳がある、と考えたのでした。
日本国憲法は、九条があるから平和憲法なのではなく、その総体が平和憲法として構成されている、と考えるのです。九条は、そのためのじゅうようなはしらのひとつ、と位置づけたいのです。
◆環境学習で戦争や貧困を考えた小学生
夏から秋にかけて各地で教育研究集会が開かれます。ある地域の教研首魁での平和学習のとりくみのリポートを聴きながら、改めて〈平和〉とは何だろうか、と考えさせられる機会がありました。とりくみじたいは、各教科の平和にかかわる教材での学習と被爆者の体験を聴くこうわやすいとん作りなどをつなげた教科横断型の一年間の自然体の実践で、多くの学校で取り入れてほしい愛用でした。
そのリポートの中で、環境問題を学んだ総合学習で少数の子が、環境問題で気になったこととして貧困や戦争や領土などを挙げた、という話がありました。この子たちの気づきはすばらしいし、それを聞き逃さなかった若い教員の感覚もすばらしいと感じました。と同時に、環境問題は平和問題でもあるなら、〈平和〉とは? と考えさせられたのです。
考えるまでもなく、大気汚染、水質汚染、海洋汚染、そして水俣病…と上げていけば、どれも生存の平和が侵された公害です。環境破壊は平和問題なのです。
でも、憲法に環境権の規定はありません。せいぜい「健康で文化的な最低限度の生活」の権利で、環境権は大気汚染下の川崎市の条例で「環境に対する権利」が定められたのが最初でした。
◆前文の「平和のうちに生存する権利」
憲法前文は、「われらは。全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣明しています。これは、まさに現在の言葉で言えば「人間の安全保障」の宣言です。人間の安全保障とは、欠乏や恐怖からの自由、尊厳ある人間生活など生命、生活、人権を守る理念で、八十年近く前に前文はそれをズバリ謳っているのです。平和への理念と言えます。
また前文は、アジア太平洋戦争が「政府の行為によって」起こされたことを明言。再び戦禍を招かないためにも、「われら」(ピープル)が主権者として全力をあげる、と誓っています。
また九七条で、基本的人権はどこから羅与えられたものではなく、「人類の多年にわたる努力の成果」であると指摘し、受け継ぎ保持する(守る)責任をピープルに求めています。これは、拳法を活かしてゆく主権者の責任でもあります。
環境問題から、貧困や戦争や領土などを連想した小学生(5年生)たちの気づきの感性に、大人たちはしっかり対応し学ばねば、と思いました。(読者)
初出:「郷土教育783号」2024年10月号より許可を得て転載
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