共産党の衰退を嘆く ――八ヶ岳山麓から(493)――
- 2024年 11月 5日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」日本共産党阿部治平
総選挙の結果
わたしは、今回総選挙でも共産党を支援した。だが、議席半減を予想していた。それについて率直に言わしてもらう。
そもそも共産党中央の得票目標は650万、得票率は10%以上というもので、あまりの高さに党員・支持者の意欲をはなから削ぐものだった。結果は、選挙区では沖縄で1議席を維持したものの、比例代表区では、9議席から7議席へ後退し、得票は2022年参議院選挙の361万8千票(得票率6.82%)から336万2千票(得票率6.16%)に減らした。2減に止まったのは下部党員の辛苦のたまものである。
自民党の議席数は激減したが、その中には安倍派に対する勝利という要素があった。立憲民主党は右寄りに舵を切り、国民民主党と共に安倍政治・裏金政治に嫌気がさした自民党支持層あるいは保守無党派層の受け皿になった。今後石破茂首相が信念を曲げず、党内右派の妨害を排除し、立憲・国民両党とうまく付き合えば、保守中道政治が可能である。
一方、立憲民主党の右傾化を嫌ったリベラル層の票は共産党を素通りして、れいわ新選組に向かった。共産党より現実的なスローガンを掲げていたからだ。
産経によると、共産党は選挙区では、落選212人の3分の2で供託金没収基準に達せず、その額は4億2900万円になるという。わたしは選挙が終わってから、共産党はこのままでは生き残れないと思いつつ、村支部に若干の寄付をした。
「共闘」のやりかた
石破茂現総理は、前回総選挙のときの立憲民主党に対して「もっと堂々としていてほしい」と言ったことがある。「立憲共産党」といわれただけで、「もう共産党には近づかない」というのではなく、共産党と我々とは路線が違うが、「今の政治を変えるためには共産党との協力が必要だ」というべきだというのである(『保守政治家 石破茂』)。
石破氏の言葉は、共産党についてもいえる。「共闘」は政治路線の異なる政党の共同行動である。ときには悪魔と手を結ぶこともある。その覚悟がなくて国会で多数をとれるものか。
立憲民主党はかつて反対した安保法制を今回は当面問題にしないとした。代表選挙では、枝野幸男前代表が「地方の実情に応じた共闘」を提唱した。すると、共産党の小池書記局長は「(総選挙では)中央での合意で進める以外に共闘はあり得ない」と、猛烈に反発し、立憲候補のいる選挙区に次々に独自候補を立てた。
ところで、小池氏の怒りをよそに、田村智子委員長は記者クラブで、「中央の協議にならなくても、私たちはそれぞれの地域のこれまでの経緯をふまえた対応をしている」と、小池氏とは逆の発言をしていた。統一を金科玉条にする共産党の最高指導部は揺れている。
参考)長野県の選挙区では、田村氏のいう通り進んでいて、共産は1・2区では立候補せず、3区では候補者を下ろして自民・立憲の対決、4区では立憲が候補者を比例区にまわして自共対決とし、5区では自民・立憲・共産の三つ巴だった。長野県の有権者は、これが立憲・共産 両党の「共闘」だったと感じている。結果は立憲当選3。
籠の中の「常識」
日本人の「共産党嫌い」は、もともとは旧ソ連・現中国の共産党支配から来るイメージが大きいが、日本共産党の場合、党運営に対する不快感がある。今回の総選挙で、わたしが共産党の議席半減を感じたのは、政治方針の間違いと党員の活動力低下のほかに、共産党に対する有権者の「嫌な感じ」が強まったことがある。
昨年以来の「嫌な感じ」の代表的なものは、共産党本部で安保外交部長をつとめたこともある松竹伸幸氏の除名である。氏は、『シン・日本共産党宣言』を出版して、党首公選、「核抜き専守防衛」などを訴えた。
松竹除名に対しては、新聞各紙が軒並み「異論封じ」「強権体質」「かたくなに映る」などと批判した。共産党はこれに強く反発し、憲法に定める「結社の自由」までもちだして反論した。そのうえ田村委員長は、除名に疑問を呈した党員を党大会で痛罵した。この一連の動きは党内では通じるかもしれないが、一般有権者の常識とは異なり暗いイメージを一層強めた。
さらにいうと、共産党中央は成果の上がらない党勢拡大方法を何年も続け、いまなお党員の尻を叩き続けている。一般企業なら従業員から強い反発が上がるところである。場合によってはストライキだ。いやそれ以前に会社がつぶれている。
ところが、下部の党員は不満を党外に漏らさないし、赤旗紙上で既定方針の検討がされることもない。上級管理職の締め付けが強い政党だとの印象は免れない(党勢拡大については、本ブログの広原盛明「共産党はいま存亡の危機に立っている」シリーズが実証的な分析をしているのでこれ以上は言わない)。
ずれた政治感覚
総選挙での国民民主党成功の一因は、都知事選の石丸伸二前安芸高田市長の方法に学んだからといわれる。共産党も都知事選で惨敗を喫したのだから、当然宣伝方法の変更をせまられていた。だが、依然として機関紙拡大と個別面談だけを得票の方法にしている。
総選挙のさなかに共産党は、安倍首相の「もり・かけ・サクラ」の不当・不正行為の指摘、裏金問題の暴露、総選挙中の自民党非公認候補への2千万円の配布の特ダネといった、赤旗のめざましい報道があったことを強調した。
たしかのその通りだが、得票には結び付かなかった。平生の赤旗には読者の関心を引く記事が稀だからだ。最大の原因は、志位議長・小池書記局長など最高幹部の発言が紙面を大きく取ることにある(これには幹部崇拝のにおいを感じる)。
都知事選・都議補選のさなか、志位議長の「未来社会の自由時間」についての「資本論研究」の記事が大きく載った。選挙とは直接関係のないしろものだ。総選挙になると、これが理論的開拓として提起された。「未来社会の自由時間」など、有権者には直接何のかかわりもない。共産党がマルクス主義の討論クラブならば問題はない、だが曲がりなりにも政党である。すみやかに政治感覚が正常化してほしいが、もうだめか。
志位氏と随員はこの4月、ASEAN数ヶ国を訪問し、さらに8月には西ヨーロッパの左派諸党を訪れた(機関紙発行が危ぶまれる今日、どこからこの金が出るのか不思議だ)。その「西ヨーロッパ訪問記」は3万2532字におよぶものだった。幹部の言動記事が紙面を大きく埋めたとき、記者たちの苦心の記事はボツになる。これでは嫌気がさしてやめる記者が出るのも無理はない。そのため赤旗は稚拙な記事が多くなり、絶えず「記者募集」をしている。
今や生成AIの時代である。「人間の自由」研究よりも、機関紙赤旗を越えた新しいプロパガンダの開発、新しい収入源の確保に頭を使ったほうがよくはないか。
「ベンチがあほやから野球でけへん」
いま、共産党に欠けているのは、社会活動への参加である。少子高齢化、年金・医療・老人介護など社会保障制度の危機、労働者の3分の1を占める契約社員の貧困、多額の国債、国際情勢の緊迫など問題は山積している。運動を起こそうとすれば、やれないことはない。
ところが、下部党員の日常活動は党勢拡大に時間を取られ、その多くは疲れている。だが、地域や職場で人々のために日常的に働かなければ、共産党が党勢を拡大することはできない。それなしに支持拡大は、高冷地のわが村でバナナをつくるよりも困難である。
むかし、プロ野球の阪神タイガースに江本孟紀というピッチャーがいた。1981年8月26日の対ヤクルト戦で江本は先発し、8回まで投げて球威が落ちた。にもかかわらず、監督中西太はリリーフを送らなかった。江本が打たれて同点とされてから、ようやく降板となった。ベンチへ戻ると、彼はグローブをベンチにたたきつけて「ベンチがあほやから野球でけへん」と叫び、現役を退いた。のちに中西も監督の座を降りた。
いまわたしは共産党最高指導部には、この「名言」がいちばんふさわしいと思う。
(2024・10・30)
初出:「リベラル21」2024.11.05より許可を得て転載
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〔opinion13946:241105〕
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