21世紀ノーベル文学賞作品を読む(4―上) J・M・クッツェー(2003年度受賞者)の『少年時代』(みすず書房、くぼた のぞみ:訳)――人の意表をつく物語作家
- 2024年 11月 8日
- カルチャー
- 「リベラル21」21世紀ノーベル文学賞作品J・M・クッツェー横田 喬
南アフリカ出身の作家J・M・クッツェー(1940~)は2003年、ノーベル文学賞を受けた。受賞理由は「アウトサイダーが巻き込まれていく様を無数の手法を用いながら、意表をついた物語によって描いたこと」。その著書『少年時代』の一節(11章)を紹介したい。
親族間の往来を除けば、一家は人付き合いをほとんどしない。見知らぬ客が家にやって来ると、その子と弟は野生動物さながら大急ぎで逃げ出し、それからおもむろに戻ってきて、ドアの陰に隠れて話を盗み聴きする。天井にスパイ用の穴を幾つか開けてあるので、天井裏に這い上り、上から居間を覗くことができる。擦れるような物音に困った母親は、「子供が遊んでいるだけですよ」と言い訳して無理に笑顔を作る。
その子は儀礼的な会話をひたすら避ける。「元気?」「学校は面白い?」などという決まり文句は困惑の極みだ。返事に窮し、馬鹿みたいに口ごもる。それでも最後は羞恥心の壁を突き破り、上品ぶった調子で交わされる退屈極まりない会話へ苛立ちをぶつける。
「どうして普通にできないの」と母親が言う。
「普通の人なんて大っ嫌いだ」、激しい口調で言い返す。
「普通の人なんて大っ嫌いだ」、弟も尻馬に乗る。弟は七歳だ。張りつめた気弱な笑顔をいつも浮かべている。学校では時々理由もなく吐き戻し、仕方なく家に連れ戻される。
友達はいないが、彼らには親族がいる。母親の親族は世界中で唯一、とにもかくにも、その子を在りのまま受け入れてくれる人たちだ。彼らはその子を――不作法で、社会生活になかなか適応できない、エキセントリックなまま――受け入れる。その子を受け入れなければ一家を訪問できないからだけでなく、彼らもまた自由奔放に、不作法に育ったからだ。一方、父親の親族は、その子にも不満だが、その子が母親の手に委ねられて育つことにも不満を抱いている。
父親の親族と一緒にいると、彼は息が詰まりそうになる。逃げ出せるとすかさず、陳腐で儀礼的な挨拶をバカにし始める。(「お母さんは元気かい? 弟は元気かい? それは良かった、良かった!」)そうは言っても、これを逃れるすべはない。決まり切ったこの習慣に従わずに、農場を訪問することはできないから。そこで、ばつの悪さに悶々としながら、自分の臆病さを忌み嫌いながらも、あえて服従し「元気です。みんな元気です」と言う。
父親が自分の親族の側に付き、その子に敵対していることは知っている。それは父親が母親に仕返しをする一つの方法なのだ。父親が家中を取り仕切ると暮らしがどうなるか、想像しただけでゾッとする。型通りの愚劣な習慣、みんなと同じように暮らす退屈極まりない生活。母親は、自分と自分が耐えられそうにないものとの間に入ってくれる唯一の人間だ。だから、その反応の鈍さと面白味のなさに苛々しながらも、自分を守ってくれる唯一人の保護者である母親にしがみつく。
彼は母親の息子であって、父親の息子ではない。彼は父親を否定し、嫌悪する。二年前、母親が後にも先にもたった一度、まるで犬の鎖を外すように、父親に自分を任せた日のことをその子は忘れない。(「私はもう限界、これ以上我慢できないわ!」)すると、父親は青い眼を怒りで燃やして彼の体を激しく揺さぶり、殴ったのだ。
その子は農場に行かなければならない。この世にこれ以上彼が愛する場所、愛することができそうな場所は他にないからだ。母親に対する愛では複雑に絡まり合うことが、農場に対する愛では全てがすっきりする。そうは言っても、物心ついてからというもの、この愛には鋭い痛みが伴う。農場を訪れることはできるが、決してそこに住むことはない。
農場は彼の故郷ではない。どこまでいっても彼は訪問客に過ぎず、それも寛げない訪問客なのだ。今も農場と自分は、日を追うごとに全く違った道を別々に歩んでいて、近づくどころか逆にどんどん離れていく。いつの日か農場は跡形もなく消え、完全に失われてしまうだろう。今から彼はその喪失を嘆いている。
農場はかつては祖父のものだったが、祖父が死に、父親の長兄であるサン伯父さんに受け継がれた。サンだけは農場経営の素質があった。他の兄弟姉妹は全て、先を競って町や都会へ出ていった。にもかかわらず自分が育った農場は、今でも自分たちのものだという感覚があるのだ。そこで最低、年に一度、時には二度、父親はその子を連れて帰郷する。
農場はフォーエル・フォンテイン、「鳥の泉」と呼ばれている。その子は農場の小石一つ、繁み一つ、草の葉一枚に至るまで全てを愛している。農場の名の由来となった鳥を愛している。夕暮れに泉の周りの樹木に何千と群れをなして止まり、互いに鳴き交わし、木の葉を揺すり、羽を逆立て、夜の寝場所を定める鳥たちを。これほど農場を愛せる者が他に居るなんてとても考えられない。
ところが、彼はその愛について語ることができない。普通の人ならそんなことは口にしないからだけでなく、農場への愛を告白することは母親への裏切りになるからだ。それが裏切り行為となる理由は、母親もまた農場の出身であり、それも遠隔の地にあるライバルの農場出身で、自分の農場のことを愛を込めて、切ないほどの懐かしさを込めて語る。けれど、その農場は人手に渡ってしまったので、訪れることができない。そればかりか、この農場、フォーエル・フォンテインでは、母親が本心から歓迎されていないからである。
初出:「リベラル21」2024.11.08より許可を得て転載
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