12月10日は日比谷公園での集会/12月11日は再稼働反対の集会
- 2011年 12月 7日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2011年12月6日 連帯・共同ニュース第198号
<9条改憲阻止の会>
「とつきとうか」の座り込みも一週間が経ようとしている
■ 「『段々と降りてゆく』よりほかないのだ。飛躍は主観的には生まれない。下部へ、下部へ、根ヘ根へ、花の咲かぬ処(ところ)へ、 暗黒の満つるところへ、そこに万有の母がある。原点が存在する。初発のエネルギーがある。」(谷川雁『原点が存在する』)。原点が存在する。よく知られた言葉だ。原点とは何だろうか。谷川雁にとってそれは近代によって忘れ去られた庶民の存在であり、生活だった。原点とは人の実存に深くありながら忘れさられているようなものだ。人によって理解は違うだろうが、成熟によって見失われてきたものであり、原郷とよぶべき世界のように思う。だから、普通は意識にはなかなかのぼらない。しかし、現実への危機感や喪失感が強くなる時には意識され、自然に出てくるものである。現状や現在を超えるために人は原点を意識し探し求める。そして原点は現実を変えていく武器として機能する。かつてこの谷川雁と在った森崎和江は『ははのくにとの幻想婚』などを書き、原点を探し求める作品を書いた。彼女にとって原点とは現にある女や母の世界《エロスの世界》で在り、歴史的には母型的社会であり、その発見だった。これは僕の勝手な読み方であったが魅せられた世界だった。
■ 10月27日の「原発いらない福島の女たち」の座り込みの中で「経済より命」という言葉を聞いた。確かに以前にも聞いたことはあったが後に残った言葉である。これは彼女たちに大震災や原発震災の中で生存の根拠として出てきた言葉であり、原点というべき言葉である。命よりも経済が優先しているのが現在の社会である。長い歴史の中で男権的思考が「経済より命」という考えを覆い隠し、忘れさるようにしてきたからである。言い換えれば「命より経済」ということば普遍的なものとして流通させてきたのだ。大震災や原発震災が彼女らに原点としてこの言葉を蘇らせたのは、それらが強いた日本社会の転換の意識である。誰しもがそういう声をこころの底に聞いている。しかし、長く男権的思考の支配してきた社会は身体が対応しないし、言葉も貧しい。原発も含めて次の社会のビジョンを描けないことである。男権的思考の支配してきた歴史観から解放されその向こうにでられないことだ。原点にはたどりつきにくいのだ。開始されたこの「とつきとうか」の座り込みが提起しているものはその意味で豊であり、刺激的である。
■ 12月10日(土)は日比谷公園での集会(14時)。全国から電力会社・経産省を包囲しよう!再稼働反対12月11日集会。日比谷公園中幸門13時集合、14時デモ出発。(文責 三上治)
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