二つの40周年から
- 2012年 5月 20日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
1972年という年はある意味で象徴的な年だった。その後に大きな影響を与えた事件が起こったのである。アメリカのニクソン大統領が訪中をし、米ソ和解がはじまったのもこの年だった。9月には田中角栄が訪中して毛沢東ト会談しアメリカより先に日中の和解を具体的に進めた。この年の初めには連合赤軍のあさま山荘での銃撃戦があり、後に粛清事件の発覚もあった。また、5月には沖縄の日本返還(日本復帰)があった。そして、40周年記念ということで連合赤軍事件を考える会合に出た。沖縄の記念式典には注目をした。
連合赤軍事件については当事者たちの世代の一人として発言もしたのだが、正直いってあらためてあの事件の難しさを感じた。僕は連合赤軍の出発になった赤軍派と対立し、彼らを批判する立場にあった。他方であの事件やグループを同時代に周辺から出てきた事と思う立場にあった。だから、複雑な立場にあったのだが、現在の時点であの事件を考えても同じことがある訳で、集まりの後も鬱屈した気持ちから解放されなかった。あの事件の事実関係は段々と解明されて行くが、心的過程はそうではないと思う。そこに難しさがある。あの事件を善悪を超えて思想的に包括しようすることは、この心的過程を対象化し、人間の行為として行われたものの一つにして行くことだが、心的過程を対象化する事が難しいのである。契機があれば、そこに接近しようとするのだけれど事ならず途中で引き返すといことを今回も演じたように思う。現在からの視点という意味で用意したものもあったが話すことはできなかった。沖縄の40周年の式典の中で注目すべきことは元首相の鳩山由紀夫が沖縄の人たちからは好意的に思われているという報道だった。鳩山は普天間基地移設の県外移設を提起したが、途中で投げ出した。また、当時を振り返る発言で沖縄の人々の顰蹙をかったとも言われていた。想像するに鳩山は怨嗟の対象になっていると思われがちだが、意外と好意的にみられているとのことだった。これにはアメリカ追随という以上にどのような政治的決断もできずに先送りするだけの民主党現首脳に対する不満や不信が反映されているのだと思う。復帰後の40周年を経て反復帰論や独立論が注目されているという報道もあるが、沖縄の地域住民の自立的動きが強まったことに共感してきた。「琉球弧之自己決定権の樹立」という動きは沖縄だけでなく日本の本土の希望でもあるが、この深まりが鳩山への視線になっていると思える。日米関係の見直しは現在の政治の根幹をなすものであり、根底をなすが、沖縄の人々の視線はそれを示しているのではなかろうか。
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〔opinion0893:120520〕
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