法科大学院は廃止するしかない
- 2012年 9月 26日
- 時代をみる
- 宇井 宙法科大学院
1年ほど前(2011年9月30日)、「問題だらけの法科大学院は速やかに廃止せよ」(http://chikyuza.net/archives/14653)という文章を投稿した。
あれから1年ほどたった今月24日、東京新聞に「新司法試験 法科大学院離れ拍車」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012092402000084.html)と題する記事が掲載された。今年の司法試験は法科大学院を経ない予備試験合格組が初めて受験した年であったが、予備試験組の合格率が68%に上り、関係者に衝撃を与えている、という記事である。法科大学院修了者の合格率が24.6%で、法科大学院別合格率ではトップの一橋大学の合格率が57%だったのに対して、予備試験組の合格率はそれを10ポイント以上上回る68%に上ったからだ。この結果を受けて文科省の幹部は「厳しい結果だ。優秀な人材が予備試験を目指す流れができかねない」とつぶやいたという。さらに、予備試験組の合格者58名のうち、大学生が26人、法科大学院生が8人だったことに対して、法務省幹部は「合格率が高いことは予想できたが、学生がこれほど多いとは…」と驚きを隠さない、と記事は報じている。
失礼ながら、文科省や法務省の幹部たちはバカばかりなのだろうか。こういう結果になることはこの制度ができた当初から予想できたことである。私が昨年、前記の拙稿を書いたのは、第1回予備試験の合格発表もまだ行われていない時点だったが、その中で次のように書いた。
<仮に予備試験の合格者が大量に出ることになれば、法科大学院の存在理由がなくなってしまうので、すでに崩壊寸前の法科大学院制度は一気に崩壊してしまうだろう。そうはさせたくない法務官僚は何が何でも予備試験をあくまでも例外的な制度に留めなければならず、必然的に予備試験の難関化が予測される。その結果、予備試験は貧困層の救済策としての意味よりも、優秀な受験生のための特権的「近道」としての意味を帯び、新司法試験受験者はいわば“エリートコース”たる予備試験合格者とその他の法科大学院修了者という階層化をもたらすことになるだろう。こうして、貧困者差別たる法科大学院制度を維持するためには、予備試験は法曹への「エリートコース」たらざるを得ず、法曹の階層化というさらなる差別を持ちこむことで、予備試験は法科大学院制度の矛盾の象徴とならざるを得ない運命なのである。>
このような制度を作れば、必然的にこのような結果が起こるということは、私のような者でも正確に予測できたことで、実際にその通りのことが起きただけのことである。ところが、前記東京新聞の記事によれば、「今回の試験結果は、(……)予備試験を「金と時間を節約する抜け道」(法務省幹部)として利用した受験生がいる可能性を浮かび上がらせた」と伝えており、法務省幹部は大学生や法科大学院生の予備試験組があたかも不正な行為でも働いたかのような言い草であるが、自分たちの無知で愚かな政策を棚に上げて、責任を受験生に転嫁するなどとんでもない言い掛かりである。司法試験予備校のある役員は「大学生は在学中に予備試験に挑戦し、駄目なら法科大学院に行けばいいと考える。予備試験を目指す学生は今後増えるだろう」と分析しているが、当然のことである。それに対して、日弁連の中西一裕事務次長は「『早く受かりたい』という理由で予備試験を選ぶという態度は、制度の趣旨と懸け離れている」と批判しているが、それならば、予備試験の受験資格に「経済的事情等で法科大学院に通えない人」という条件をつけなければいけないはずである。しかし、現実にそのような条件をつけていない以上、誰が受験しても文句をつけることはできないのであり、間違っているのは受験生ではなく制度そのものであることは明白である。
東京新聞の記事にはもうひとつ、現在の法科大学院を取り巻く深刻な状況の一端も記されている。2012年度の法科大学院受験者は、制度が始まった04年度の約4割にまで激減しており、73校中63校で定員割れが起きている、というのである。なんと86.3%の法科大学院が経営破綻の危機に脅えており、しかも危機は年々深化しているというのである。
どうしなければいけないのかは、もう誰の目にも明白ではないだろうか。と思ったら、今日(9月26日)の東京新聞は「司法試験 大学院教育とつなげよ」と題する頓珍漢な社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012092602000121.html)を掲載した。
社説はまず、「予備試験という「特急コース」が拡大すれば、大学院制度の意味が薄れる」と指摘する。ここまではその通りである。ではどうすればいいのか。「法曹界の中には、この予備試験ルートを拡大した方がいいという意見がある」が、「それでは(……)法科大学院制度の理念と目的がかすんでしまう」からこの意見も採用できないと社説は言う。これもその通りだろう。そこで社説は「改革すべきは、むしろ、司法試験そのものにある。短答式と呼ばれる試験科目も増え、暗記する知識が多くなっている。論文式試験も質問範囲が広く、質と量もレベルが高すぎると指摘される」と指摘する。
暗記もいけないが、論文式試験も質・量ともにレベルが高すぎていけないって? はあ?って感じである。では質・量ともにレベルを下げればいいのか? 今でさえ、弁護士の数が増えすぎて、司法試験に受かっても就職できない、食べていけないという新米弁護士の窮状をどうお考えなのか?
「法科大学院では、幅広い教養を身につけさせる法曹養成をめざしている」って? そんなの全くの建て前で、実際には大半の法科大学院が司法試験の合格率を少しでも上げることに血眼になっている現状をご存じないのか?
「司法試験も一定レベルの法律知識のチェックを受けるだけで、合格させる仕組みにしてはどうか」と社説は言う。大体、そんな試験で「優秀な法曹人」が生まれるのだろうか。それに、現状の問題点をもう少し勉強してから社説を書かれてはどうかと申し上げたい。これでは、予備試験との矛盾は一向に解消しないどころか、むしろ劇的に拡大してしまうだろう。仮に司法試験のレベルを下げれば、合格者のレベルが下がることは必至であるから、法曹の中に、予備試験合格組の「エリート法曹」と法科大学院修了組の「一般法曹」との階層化・差別化が進むことは避けがたい。また、法曹人口の拡大政策が失敗している現状に対する問題意識がここには全く窺われない。さらに、高い学費と長い時間をかけて法科大学院を修了しなければ司法試験も受けられないという制度自体が貧困者差別であるという根本的な問題点もこれでは何も解消されないことは明白である。
もういい加減に目を覚ましてはどうか。法科大学院は廃止するしかない。これが結論である。
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