『縮小社会への道』が訴えること -いのち尊重、脱原発、脱経済成長を-
- 2012年 11月 3日
- 評論・紹介・意見
- 「縮小社会への道」安原和雄書評
経済は常に拡大・発展していくものだと思い込んでいる政・財界人や経済学者たちからみれば、21世紀は経済が縮小していくほかない時代だという問題提起は驚愕に値するかも知れない。しかし考えてみれば人間の一生も同じではないか。成長期を経て高齢化が進めば、身体も衰え、しぼんでいく。「縮小社会への道」は必然の成り行きというべきである。
大切なことは、この冷厳な現実を認め、新しい世界を築くためにどういう手を打っていくかである。その答えは、案外平凡であるが、平易な道ではない。何よりも現平和憲法の理念を生かし、いのち尊重を軸に据える。しかも脱経済成長、脱日米安保、脱原発を推進するほかない。新しい時代の始まりである。(2012年11月3日掲載)
縮小社会研究会代表・松久 寛編著『縮小社会への道 原発も経済成長もいらない幸福な社会を目指して』(日刊工業新聞社刊、2012年4月)はなかなか刺激的な著作である。毎日新聞(10月14日付)書評欄に中村達也評「人口減少社会のこれからを透視するための貴重なたたき台」が掲載された。
本書の目次は以下の通りで、これを一読するだけで、異色の問題意識がそれなりに浮かび上がってくる。例えば第2章「成長の限界点」の内容は、「成長路線は破滅への道」という問題意識で貫かれており、今なお成長主義に執着している経済界などの認識とは180度異なっているのが読み取れる。
第1章 脱原発は縮小社会への入り口=安全神話の崩壊、原発事故は文明の岐路
第2章 成長の限界点=成長路線は破滅への道、成長の限界と今日の危機、成長至上主義から縮小社会への移行、海外の事例から見た縮小社会への道
第3章 持続可能な社会と縮小社会=経済の縮小は持続可能の必要条件、大量消費・経済成長との両立へのむなしい願望
第4章 再生可能エネルギーの可能性=石油時代の終わり、太陽光発電と風力発電、エネルギー消費の削減が先決
第5章 縮小社会の交通と輸送=自動車技術の限界、自動車の小型低速化、交通の縮小
第6章 縮小社会の技術=産業の縮小技術、生活者の縮小技術
第7章 日本経済の縮小=人口縮小の経済的影響の比較 ― 日本とスウェーデン、2060年の日本経済 ― 四つのシナリオ
第8章 日本の社会保障の縮小=社会保障システムの危機、抜本的な社会保障改革
以下では縮小社会とはどういうイメージなのかを中心に紹介し、私(安原)の感想を述べたい。
▽縮小社会のイメージ(Ⅰ)― 成長至上主義から縮小社会への移行
(1)ローマクラブの「成長の限界」
今から40年前の1972年にローマクラブは「成長の限界」というレポートをまとめた。それによると、資源の枯渇が年々急速に進み、工業成長を低下させ、2050年ごろには資源の大半が底をつく。これとは逆に人口や汚染は2050年ごろまで拡大を続けるため、一人当たりの工業生産や食料供給は2020年に限界に達し下降に転じていく。
すなわち経済・工業成長は2020年以降、次第に破綻していくという将来予測である。この予測は決して荒唐無稽とはいえない。
(2)事態は危険水域に入っている
今日の事態は以下のように危険水域に入っている。
*資源は予想通り枯渇プロセスをたどり、人口・食料問題に加え温暖化問題が世界的に深刻化している。
*ITやバイオなどの分野では科学技術は速いペースで展開し、人々の科学技術に対する期待は高まり、将来は科学技術が解決してくれるという幻想が脹らんだ。しかし福島原発事故のように、科学技術の負の側面は巨大であるがゆえに深刻化する。原発以外にも、ITやバイオ技術などは未知の要素を含んでおり、事故が起きればその影響は計り知れない。
*BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)などにも拡大・成長主義が広まった。他方、先進諸国では経済成長が鈍化する中で失業が増加し、金融危機が頻発するようになった。財政赤字にあえぐ国が多い。
(3)21世紀前半は縮小社会への移行に伴う苦しみ
21世紀前半の過渡期の世界は、資源枯渇、環境悪化、巨大事故、財政悪化という危機がより深刻化し、以下のように世界中の人々が震え上がるような恐怖感を味わうだろう。
*巨大企業の独占化が進行し、一方、市場の縮小が進む。巨大資本や各国は食料、資源をめぐる争いを激化させる。
*飽食に慣れた人々は生活レベルを下げることに同意せず、成長志向は容易に止まらない。原発を導入・拡大してでもエネルギーを確保して成長を求める傾向は強まり、再び深刻な原発リスクは高まる。
*二酸化炭素(CO2)削減の世界的な停滞が、ヒートアイランド化や地球生命絶滅の危機を引きおこし、深刻化する。世界の海水面の数メートル上昇で沿岸の巨大都市のかなりの面積の水没が懸念される。
▽縮小社会のイメージ(Ⅱ)― 人間に優しい共生社会
(1)新しい時代としての縮小社会
成長至上主義時代は18世紀後半の産業革命に始まり、化石資源を源(みなもと)に拡大型大量消費社会を成り立たせてきたが、21世紀末の化石燃料の枯渇とともに、その300年余りの歴史を終える。それに先立つ21世紀前半の過渡期には、人類が生存を維持できる可能性を極限化で必死に追い求めた末、「生存維持を最優先する社会構造」としての縮小社会の姿が明確になっていくだろう。
この縮小社会は「人間に優しい共生社会」といえるが、その姿は脱原発、平和、環境、幸せの追求など多様である。
(2)縮小社会への道を歩みはじめた国々
以下の諸国を挙げることができる。
*脱原発へと歩み始めたドイツ、イタリア
2011年3月の福島原発事故を受けて、ドイツは1980年以前に建設された7基の原発の即時停止・廃棄を決定し、新しい原発も2020年~30年には廃棄して脱原発に進むという新政策を決めた。地震国・イタリアではすでに1987年、国民投票(72%の賛成)で脱原発を決めた。しかしその後、4箇所の原発新設を打ち出していたが、福島原発事故後、2011年4月、原発再開方針の無期限凍結(断念)を決めた。
なおオーストリアは原発を違法と定め、スイスも廃止している。「原発やります」の姿勢を崩していない日本とは大きな違いである。
*人間に優しい社会・スウエーデン
スウエーデンには「人々がほどほどに格差なく仲良く暮らし(ラーゴム)、悲しみが社会を襲うときは、それを皆で分かち合う(オムソーリ)」という伝統があり、北欧諸国の共同体精神をよく表現している。北欧の人々は政府を信頼して収入の大半を政府に託す。政府はその付託に答えて国民福祉を真面目にやり遂げる。物質的な豊かさと経済効率よりも「人間に優しい社会」が必要である。失業者や弱者も誇りを持ってゆとりのある生活を送れることは縮小社会の必須課題だ。
*平和・環境回復をめざすコスタリカ
コスタリカは軍隊を廃止した国で、国家予算の3割を教育文化につぎ込んでいる。ある女の子は「憲法に違反している」と訴え、海外派兵を止めさせた。環境危機に直面し、国を挙げて自然回復に取り組んだ経験を持っている。人は自然や生きものを正しく理解したときに親しみが深まり優しさが生まれる。そして子どもたちのためにも豊かな自然を残していこうとする素朴で肯定的なコスタリカ国民の人生観が作られた。
*ヒマラヤ山脈に位置する幸せの国・ブータン
ブータンは成長至上主義システムを意図的に受け入れず、共生社会を維持していこうとしている。野菜中心の自給自足経済を基本にする敬虔な仏教国である。国の基本は「ゆっくりやるべし」で、GNP(国民総生産)ではなく、GNH(Gross National Happiness)すなわち国民の幸せを第一に大切にしている国として有名である。
ではこの国の幸せとはどんなものか。ある村では鶴の飛来を妨げるという理由で電線を設置せず、電気を導入しなかった。電気がある生活より鶴がいる自然との共生を村民は望んでいる。ブータンの「幸せ」の基準は、物質的に豊かになった日本に足りないもの、さらに共生が目指すものは何かを教えてくれる。
<安原の感想>日本の未来図は「いのち尊重と平和・脱成長・脱安保・脱原発」
「縮小国家」という新たな尺度で日本を評価すれば、どういう未来図が浮かび上がってくるだろうか。21世紀末をめざして縮小国家に進むことが歴史の必然であり、正しい針路選択であるとすれば、この問いかけに無関心ではあり得ない。米国は軍事超大国から大幅に軌道修正して、軍事縮小国家に転換しない限り、「21世紀の落第生」という運命を辿るほかないのではないか。その米国と日米安保体制という悪しき絆で一体化し、自主性も独自の智慧も喪失している「我がニッポン」の将来図はどうか。
著作『縮小社会への道』は軍隊を捨てた国・コスタリカと並べて「日本にも平和憲法があるが」という見出しで、次のように指摘している。
世界大戦で侵略・軍国主義に走った日本が再び狂気に陥らないように、アメリカは日本に軍隊はおろか交戦権も持たせなかった。こうしてできたのが憲法9条の平和条項だ。憲法前文では「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。この憲法を愛し支持する国民は多い。しかるにその後日本は軍隊を持ち、コスタリカの行き方と180度逆になってきていることを大変残念に思う、と。
この見解にはもちろん賛意を表したい。日米安保体制を解消して、平和憲法前文の生存(=いのち)尊重と9条本来の反戦、平和の理念に立ち返り、その理念をどう生かし、具体化していくか。日本にとってこの「いのち尊重と平和」こそが「脱成長と脱安保と脱原発」と並んで、縮小社会へ向けての基本的課題でなければならない。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(12年11月3日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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