忘却の民となった日本人 -3・1ビキニデーを前に考える -
- 2013年 2月 27日
- 評論・紹介・意見
- 岩垂 弘第五福竜丸
2月初めのことだ。東京へ出かける時に利用する西武池袋線ひばりヶ丘駅の改札口の手前で足が止まった。かたわらの無料雑誌棚に、ビキニ水爆実験で被災した「第五福竜丸」の写真を表紙にあしらった雑誌が置かれていたからだ。それは、広告中心の無料雑誌が並ぶ棚では異彩を放つていた。手にとると、最初の見開きページに別の角度から撮った「第五福竜丸」の写真をバックに詩が掲載されていた。タイトルは「忘却の悲しみ」。それを読み終えた時、私はその場にしばらく立ちつくした。その詩には、間もなく2周年を迎える3・11東電福島第1原発事故以来、私の心の中で日ごとに強くなって来ていた思いがつづられていたからである。
その雑誌は『Prati プラ・ティ』(2012 Vol.9)。東本願寺真宗会館(東京都練馬区谷原1丁目)の情報誌で、年1回の発行という。「プラ・ティ」とは「聴いて見つける『新しい自分』」という意味だそうだ。
「忘却の悲しみ」と題する詩を次に掲げる。
過去を忘れ
未来を忘れ
今、生きていることを忘れ
存在の重さ尊さを忘れ
忘れてはならないことを忘れる
同じ過ちを繰り返す悲しみ
これからの子どもたちの悲しみ
目先の利益だけで生きる悲しみ
存在を軽く浅く卑しくしている悲しみ
悲しみを生み出してきた悲しみ
人間であることを忘れた悲しみ
広島・長崎の酷さ
水俣の苦渋
福島の呻き
時計の針はそんなに動いていないのに
忘却の彼方へ追いやられる
国策の果てに辿り着いた今
加害者を作り被害者を作る
みんな仲間なのに傷つけ合う
これが行きたかった場所なのか
何かが違う
人間であることを忘れた悲しみ
作者は、神奈川県横須賀市にある真宗大谷派長願寺の住職、海法龍(かい・ほうりゅう)さん。1957年、熊本県天草市の生まれ。雑誌表紙と詩の背景に載っている「第五福竜丸」の写真も海さんの作品だ。
第五福竜丸は静岡県焼津港所属のまぐろ漁船だった。1954年3月1日未明、太平洋で操業中に米国がビキニ環礁でおこなった水爆実験で生じた放射性降下物の「死の灰」を浴びた。このため、乗組員23人が急性放射能症となり、そのうちの1人、無線長久保山愛吉さんが帰国後、死亡する。実験地周辺の住民も被ばくし、長年にわたって後遺症に苦しむことになる。これが、いわゆるビキニ被災事件で、世界に衝撃を与えた。日本では、国民的規模の原水爆禁止運動が盛り上がり、世界に核軍縮の機運をもたらす。そうした中で、3月1日は「ビキニデー」と呼ばれるようになる。
福竜丸はその後、数奇な運命をたどるが、1967年、東京湾のゴミ捨て場・夢の島に廃船となって放置されているのが発見され、平和団体が保存運動を展開した結果、1976年、夢の島に都立の展示館が完成、以来、福竜丸はそこに展示されている。
海さんよると、昨年1月に展示館を訪れる機会があり、その時、船体の写真をカメラに収めたという。
「広島・長崎の被害や第五福竜丸のことばかりでなく、福島の原発事故さえも忘れ去られようとしている。いずれも忘れてはならないことだと思う。こんなことがあったということを改めて知らせたい。そんな思いからつくった詩です。詩作は昔から好きでしたので」
私も、海さんと同じことを感じていた。日本人の多くは広島、長崎、ビキニという三度にわたる核被害を忘れてしまったのではないか。いや、それに先立つ日本による朝鮮への植民地支配、満州事変を起点とするアジア諸国・諸民族への侵略行為も忘れつつあるのではないか。つまり、「忘れてはならないことを忘れる」民族となってしまったのではないか、と。そう思っていたから、海さんの詩はまさに自分の気持ちを代弁してくれているように感じ、思わずしばし立ち止まってしまったのだった。
「目先の利益だけで生きる悲しみ」「人間であることを忘れた悲しみ」。海さんの“告発”は痛烈である。
3月1日はビキニデー。ビキニ被災事件から59年である。「この間、私たちは何を歴史の教訓として学び、生活してきたのだろうか」。私は、そんな思いに駆られる。
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