書評 世界を裁く作法―フーコー
- 2013年 4月 21日
- 評論・紹介・意見
- ミシェル・フーコー宮内広利書評
≪西欧における権力の大形式、権力の大よそのエコノミーを、次のように再編成することができるかもしれない。まず、封建的タイプの領土性において誕生し、概ね掟の社会―慣習法と成文法―に対応し、約束と争いのゲームを繰り広げる、裁判国家がある。二番目、十五世紀と十六世紀に、もはや封建的ではなく辺境的なタイプの領土性において誕生し、規則と規律の社会に対応した、行政国家がある。最後に、おもに領土性や占有する地面によってではなく、集団によって定義される統治国家がある。嵩と密度、それに、人口がその地面の上に広がるとはいえ人口の構成要素でしかない領土とからなる、人口集団によって定義される国家です。本質的に人口に依拠し、経済的知の道具立てを参照し使用する、この統治国家は、諸々の治安装置によって管理された社会に対応するのです。≫『「統治性」』ミシェル・フーコー著 石田英敬訳
フーコーは、マルクスやヘーゲルと全くことなった新しい歴史観を提出しているのだが、その歴史国家論の骨子はおよそ次のように要約できる。
① 国家は人間の統治形態の中でもっとも恐るべき形態のひとつである。
② 国家とははじめから個別化と同時に全体化に向かうものであった。だから、国家の反措定として個人の利益を対置しても一貫性を欠く。
③ 権力は実体ではなく、個人間に存在するひとつの個的な関係のタイプであり、ひとつひとつが特有性をもったものである。
④ そういう関係は交換や生産、コミュニケーションなどと本来は何のつながりもない。
⑤ 権力の特徴は、ある特定のひとびとが、程度の差はあれ他のひとびとの行動の一切を決定できることである。ただし、それは徹底的、強制的ということではない。
⑥ 権力は、男の女に対する権力であろうと、子供に対する大人の権力、あるいは、ある階級に対する別の階級の権力、住民に対する官僚の権力でも、ある形の合理性を前提にしている。つまり、それは目に見える暴力ではない。
⑦ 従って、ある権力形態に抵抗したり反抗するためには、暴力を告発するだけでは不十分である。権力が合理化されてきた起源をたどる必要がある。
フーコーにとって国家の権力はすべての権力関係の一部にすぎない。これは起源という発想がある社会的権力、政治権力すべての権力を対象にすることを意味した。こういう権力観をもとに、生、刑罰、性、狂気、監獄などを取り囲む知の領域が、社会における諸所の力関係や政治的関係から形成されるとしたのである。彼がニーチェに学んだのは、知の認識をほんとうに知ろうとおもうなら、哲学者たちが期待をもって思い描いているようなバラ色のユートピア願望を捨てなければならないということであった。哲学者たちは知の認識の根源に作者の禁欲的な生活や天才的な個性を見ようとする。だが、一見、善意の宝石がちりばめられているように見えても、その表面の輝きの下のほんとうの正体は、嫌悪や抗争をうみだす力関係によって支配されているのである。この権力関係とは、かつて哲学者たちが一度も見ようとしなかった、ひとびとが互いに憎しみ合い、互いを支配しようと策略を使って争いあう姿なのである。そういう領域に足を踏み入れてはじめて、ほんとうの知の姿がみえるのであり、その足元に人間の営みの中心が繰りひろげられていることを知らなければならないのである。
フーコーはニーチェの口吻を借りて、西欧哲学の知の認識において独立した「主体」を前提にしない歴史的方法を明言した。そして、さまざまの方角に乱反射した権力関係のもつれた網目にこそ歴史の真実があるとすれば、ニーチェと同様、完結した歴史の起源と発展段階論を拒否するのは当然であった。フーコーにとっては理性の進歩や認識の持続という迷信は存在しない。だから、歴史は一定の方向性をもった始まりも終わりもなく、歴史のすべて事件や事象のうちには、政治的諸力の権力関係、管理形態の錯綜した作用しか存在しないと言い切ったのである。そして、何より知が権力を作ったのではなくて、反対に権力関係が知をつくり、やがて知と権力は結びつき、権力は知とともに頂点まで織り上げられている過程を逆向きにたどっていくことが、歴史認識のベースにおかれるべき作法となったのである。もっといえば、知は権力そのものであるという定義であり、知の考古学とは権力の考古学の言い換えにほかならなかった。そこで、フーコーの歴史認識において注目すべきは、現在の権力形態の頂点に位置するのは、「規律、訓練社会」の象徴である円形状の一望監視装置と言っていることだ。
≪一望監視装置は一社会のユートピアであり、実のところ、われわれが今経験している社会という権力のタイプの、実際に実現されたユートピアなのです。このタイプの権力は掛け値なく一望監視方式と名づけることができます。われわれはその一望監視体制が支配している社会に生きているのです。≫『真理と裁判形態』ミシェル・フーコー著 西谷修訳
これは看守が囚人全員の個々を見渡せる扇状の円形の中心部分にいて、囚人同士はお互いがわからない一方通行の管理の監獄や裁判制度のことを指したものだが、彼が現在から過去の歴史へさかのぼる起点になる物の考え方である。フーコーは現在の監獄社会から出発して、その歴史の根源にある知の認識をつきとめようとした。彼の歴史とは、近代の諸種の権力関係のそれぞれが、歴史の過去に向いておのおの伸びていく線分である。もちろん、この場合、線分の主体も継起も想定されていないので、規則的なリズムや形式をもって起源に向けて伸びていくとはかぎらない。それぞれの線分は等価であって、歴史の広く深い偶然性の痕跡をもとめて逆向きにたどっていくだけである。ヘーゲルやマルクスの歴史観は決して目的論的思考ではなかったが、いわば、始まりと終わりの認識があった。ヘーゲルには「近代」という完結した着地点があり、マルクスの場合も資本主義社会の終わりには、人類の前史の終わりという終りがあった。また、ヘーゲルには理性という歴史を体現した主体があり、それが近代に向かって進化する過程の筋道を引き、マルクスには階級闘争というくっきりした人間のレリーフがあったが、フーコーは発展段階を拒否するから現在の終わりがない。
わたしたちの距離からは、裁判国家 行政国家と移り変わり、統治国家の現在に当面するフーコーの歴史観の背後にあるのが、深い憂愁の表情なのか、それとも不気味な嘲笑なのかはよくわからない。だが、この彼の表情を探ることが、位置づけるべき近代が近代自身をプラスの鏡とするために何が必要かを問うことと同義であることにちがいない。そこで、わたしは、たとえ現在が一望監視装置に象徴されようとも、「近代」がたどりついたものでふたつのプラスの価値を上げたいとおもう。ひとつは、経済社会の横への拡大によって国家意識が限りなく縮退していることである。これは必ずしも国家意識が希薄になっていることを意味しているわけではなく、その反動として相変わらず戦争に行き着くほかない民族国家のナショナリズムの奇矯な突出となって現前する。しかし、国家に帰属する意識はひとびとの生活意識から剥離していることは確かで、それは先進資本主義国家において政治世界が国民の意識から立ち遅れ、選挙の投票率が長く低迷していることなどにあらわれている。
もうひとつは、歴史の意志とは、個々人の意志の総和以上ではないことがはっきりしてきたということである。これは端的に言えば、わが国においては国民の個々人の意志によって、ほとんど短期間に政権交代が続いていることに如実にあらわれている。これをよい兆候であるかのように言うと、フーコーなら国家は行政府化して権力の膨大な網目を張りめぐらしており、個人を統制管理しているではないか、そのことは全体としての国家が総じて個々人を管理している証であって、そこにおいて個人の自由意志や自立性を問うこと自体、まったくナンセンスだと反論するかもしれない。また、国家の縮退は権力作用の増大と矛盾しないどころか、かえって加速することすらありうるし、個人の総和としての全体は全人口の中で個人が見分けられるほど管理の機能化が進んだことと決して矛盾しないと言われるかもしれない。確かに、全体の中で個人を見分けられるDNA鑑定の精度や、張り巡らされた監視カメラによって逃れようとしても難しい犯罪の例を挙げて、権力の膨大さを説明することもできる。
しかしながら、ポストモダンもプレモダンもだめ、個人の自由意志にも未来を託せないとするならば、この統治の網の目を食いやぶるために、ひとは何ができるのだろうか。わたしは近代が近代自身を鏡とする瞬間をとらえることができると考えるのは、近代の「自意識」としてもちうる能力に依拠している。つまり、現実意識においてわたしたちは解決可能なものしか認識しないが、こうした圧縮された画像に差別化された社会の権力構造を逆に照らし出す自意識を人間が手に入れたこと自体を見逃すことはできないとおもう。わたしたちは、この全体の統制を受ける個人とはわずかの「段差」をもった自意識を背負っているのだ。
わが国が昭和初年から満州事変、日華事変へと戦争に向かってひた走っていた時期、非常時から準戦時体制、やがて翼賛体制へとじりじり追い込まれていった日本の政治や思想の様相は、国民生活の服装や儀礼にいたるまで全般的な変化を強要した。歴史家は、そのときひとびとは正常な感覚を見失って、次第に暗い集団的狂気の虜になったという言い方をする。だが、これはあくまでも大戦後におとずれた後づけ史観にもとづく曖昧な認識にすぎなかった。なぜなら、当時の国民には生活実感の底部において暗い狂気が支配している実感はなかったのである。ただ、中国大陸における長引く戦争の停滞に苛立ち、その捌け口に米国との戦争も持さないというような予感はあったが、近い将来、三百万人にものぼる膨大な犠牲者と国土が灰塵に帰す見透しをもって不安や怯えを抱いていた国民は少なかった。大多数の国民は政府の勇ましい掛け声になにほどの疑問もおぼえなかったというよりも、むしろ高揚し、なだれをうって積極的に加担したのである。
このような呪術的狂気はフーコーの合理的な国家統制といい方は変わっても、少なくとも現在の知の認識が、国家統制を近代史の長いスパンで眺めれば、同じ言語空間に落ち着くことを見据える能力をもっていることは明らかである。これは「存在理念」とでもいうべきものが自意識に隙間を与えるものとしてうまれ、一瞬、この国家統制の網目を裂いてみせる可能性を開いているからである。この自意識は国家や政治家の動向とは関係ないことはもちろんのこと、全体と見分けがつく個人の意志ともちがっているゆえに、国家や権力には絶対に把捉することができない仮面に似たなにものかなのである。
この自意識は世界の差異化や脱構築というような毛羽立った知の認識とはことなり、世界認識の触覚のように微細にものごとを分別する能力でもある。つまり、この能力を信頼することは、現在の世界における戦争とは、善良な国民国家と無分別な敵対国家、あるいは正常な国家とテロリズムとの対決などという、いわば、現代の呪術的思考をふきとばして、「戦争としての国家」をあぶりだす内在性をもつことにほかならない。また、それは「帝国」という概念で世界を空間的に横断してしまうネグリのような考え方に組しないことであり、同じ資本主義といっても、先進資本主義「国家」と後進資本主義「国家」の多数概念を相互媒介する見方をとることである。ネグリは、国家は単一国家として支配することができなくなった現代においては、南北問題も世界経済の中に組み込んで、世界は単一の「帝国」に支配されているとするのだが、それら世界の共時的な経済関係が国家間の時間の蓄積と摩擦をひきおこしていることを無視してしまった。つまり、人、モノ、マネーのグローバリズムにもさまざまな入り口があり、それぞれの民族国家のあり方すべてを左右するローバリズム一般があるわけではないのである。民族国家理念を開きはじめた国家は、依然、閉じたままの国家の鏡になりうるのである。
フーコーがこれら「存在理念」の分別に気づかなかったのは、「世界史」という概念がないためでも「世界史」という概念の歪曲のためでもなく、彼の時間概念の曖昧さに由来しているとおもえる。彼は歴史概念の時間軸を変形させ、「時間」を空間化して「世界史」の発展段階論を解体したのだが、その複形の権力論は、原始国家と近代世界の間までの特定の幅でのみ切り取られたことを知らなかったせいだとおもう。
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