テント日誌5月29日経産省前テントひろば627日目~テントはどこまでも続く…
- 2013年 6月 1日
- 交流の広場
テントにくるにはいくつも電車を乗り換えてくるのだが、最初の駅に来る道に大きな桑の木がある。それには今、たわわに実がなっている。熟したものは自然に道に落ちているのだが、熟れごろのもの一ついただいた。でも、酸っぱくて吐き出した。子供のころは唇を紫色にしていたものだ。ちょっと感触が違うと思ったが、自然に少年時代を思い出していた。あの時期が人生の黄金期だったとは思わないが豊かな時期だった。桑の実、茱(ぐみ)、木いちご、山桃等、僕らは食べ過ぎるなと親に注意されていたが唇を実で染めていた。
テントに足を運びながら考えるのは「自然」のことだ。僕は自然が好きだが自然を讃美するという風にはない。ここはいつも微妙である。人間は自然の一部ではあるが、自然から自己を疎外するものであり、自然を制約として自由に活動しようとするものだ。社会の根源をなすのはその力である。それを認めた上でもその活動自身を自然と考えられるかというとそれに疑念がある。人間が自然の一部であることはやはり、自然との循環関係があることが最低条件であり、それは自然に確保されているものでもない。人間の反省的意識やかえりがけの意識と言うことが必要ではないのか。人間的自然を生みだして行くことに反省や制御が働くべき段階にあるではないか。自然が無制限な存在であった時代ではない。そんなことをとりとめもなく考えてきたが、僕らの時代の先の見えなさにはこれがあるのではないか。自然への懐古も含めた愛と非自然なものとの間であれこれ考えている。
安倍内閣は成長専業として原発再稼働を考えているとあるが、彼らは人間と自然との現在のことをどう考えているのか。日本のナショナリストは根底に「もののあわれ」という情緒を持ち、日本的自然思想を有していた。そう思われてきた。「もののあわれ」「いろこのみ」「やまとたましい」という日本的自然思想は時間的に限定のあるものであり、この日本列島の住民たちがもった自然についての思想はもっと深いものであり、縄文期まで時間の延びるものだ。この視点で言えば、日本的自然思想は天皇制とともに時間的に短いものだし、上澄みのものだ。そういう批判をもってはいるが、かつての日本のナショナリストの程度の自然への洞察もないのが安倍内閣の周辺の面々だろう。「美しい国」はどこへ行ったのだろうか。原発が美しい国を再性するとは誰も言はないだろう。
マスメディアは各電力会社が原発再稼働の申請をする動きを報じている。「みなで申請すれば怖くない」といわんばかりだ。燃料廃棄物の処理の道筋一つたてられずに再稼働だけに突き進むこれはなんだ。電気は足りている。これはもはや周知の事実だ。原発はもはや必要不可欠な電力ではない。既得権益の擁護のためだけに原発再稼働はある。地域産業の発展のためにも、これはすぐに足かせになるものだ。安倍は「原発再稼働」を成長産業として活用するという。馬鹿ではないか。脱原発による地域産業の再生と言うビジョンは描き得るだろが、何処か狂っていると言うほかない。
5月23日の『明け渡し請求訴訟』口頭弁論は終わった。これについては報告もあるが、僕らは頑固にテントを守り、意思表示を続けて行く。これが根底にあることだし、結果なんぞは考えなくてもいい。何処までも、歩いていくだけだ。そんな、こんなでまた今日も終わった。テント前に座っていると多くに人が訪ねてくる。テントの存在が段々と知られて行っているのだろう。(M/O)
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6月2日は国会包囲デモの日だ
■原発ゼロをめざす中央集会
場所:明治公園http://p.tl/z3st
11:00~ 開場 13:00~ 集会 14:00~ デモ行進
パレードコース:①四谷コース(首都圏以外の地方と)
②原宿コース(埼玉、神奈川、福島、地方からの一般)
③六本木コース(東京からの参加者
■6.2つながろうフクシマ!さようなら原発集会
場所:芝公園23号地(google map参照)
(地下鉄「御成門」「芝公園」「赤羽橋」2分、「大門」5分、JR「浜松町」12分) 会場配置図(PDF)
★12:00 開場 12:30 集会 14:15 パレード出発(送り出し音楽 日音協)
★パレード:芝公園~西新橋~新橋~日航ホテル前~東電本社前~日比谷公園・中幸門(流れ解散)
反原発☆国会大包囲 主催:首都圏反原発連合 場所:国会周辺
時間:16:00 国会包囲 17:00 国会前大集会開始 19時終了
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