青山森人の東チモールだより 第240号(2013年6月8日)
- 2013年 6月 13日
- 評論・紹介・意見
- 東チモール青山森人
子どもを守れ
六月の梅雨?
6月に入っても70%を超える湿度の高い日々が続いています。雨季は惰性的に続いているようです。6月7日、朝から雨が降り出しました。首都デリ(Dili、ディリ)には南方の山を越えてきた雲に町全体が低くおおわれ、丸一日じゅうシトシト…パラパラ…と降り続ける雨は、まるで日本の梅雨です。先週の半ばに日本の関東地方で梅雨入り宣言がされたがその後カラリと晴れだし、梅雨はどこへ?といわれているようですが、梅雨はここ東チモールにありますよ~!と言いたいくらいです。
東チモールの本来の姿とは、降るときはまさにバケツをひっくり返したような雨が降る、あとは晴れる、雨の降るあいだは雨宿りすれば傘は要らないし、傘は役に立たないほど強く降る、これが東チモールの雨です。最近、このような潔い(?)雨の降り方が少なくなってきました。東チモールの気候は明らかに変化しています。
治療されない子どもの死
5月31日の『インデペンデンテ』紙の第一面に、毛布に包まった子どもを抱きかかえて立ち尽くす若い男女の写真が大きく載っていました。二人の周囲には野次馬が群がり、その背景には大ショッピングセンター「チモールプラザ」がそびえたっています。政府要人や政府機関の行事の様子を撮った写真が大半を占める東チモールの新聞にしては、迫力のある報道写真で、目をひきつけられました。
その子どもにかけられた毛布は顔をも隠し、また「亡骸」という大きなタイトル文字も目に飛び込み、このとき子どもはすでに亡くなっていたことがわかります。なぜ「チモールプラザ」前で子どもの遺体が抱きかかえられていたのか。新聞によると次のようになります。
亡くなった子はエルメラ地方に暮らしていたエテルビナちゃん・8歳、肺の病気にかかり、グレノという町で診療を受けていましたが、そこの診療所から首都の国立病院で治療をうけるようにいわれ首都にでてきて、5月17日から国立病院に入院しました。そして26日に退院したものの28日に容態が悪化し、29日に家族は救急車を呼びましたが午後2時から2時間も待っても来ない。仕方なくタクシーで国立病院へ向かったが、その途中、エテルビナちゃんは「チモールプラザ」前で息を引きとってしまったのです。タクシー運転手から車を降りるようにいわれ、付き添いの家族はエテルビナちゃんの遺体を抱きながら病院へ行く車を待っていた。新聞に載った写真はそのときに撮られた写真です。若い男女はエテルビナちゃんの親戚でした。
新聞がとりあげる疑問は遺族と病院側の退院をめぐる証言の喰い違いです。退院は家族の意向か、医者の判断か? 家族によれば、国立病院の治療は粗末なもので、医者は一度も診察しなかった、与えられた錠剤がなくなって家に帰ってもいいかとたずねたら、大丈夫です、来週にワクチン注射をうつために来ればいいと医者にいわれたといいます。医者は、付き添うために病室に泊まれる人がいないのでエテルビナちゃんを連れて帰りたいと家族から強く言われたといいます。家族は医者が許可したから退院したのか、家族がどうしても退院させたいというから病院が許可したのか。いずれにしても病院が患者を退院させたのは適切な判断だったのか、防ぐことができた医療ミスだったのか、ここが大きな疑問です。徹底的な調査による原因究明が必要なことはいうまでもありません。
ところで、グレノの刑務所で受刑中のルシア=ロバト前法務大臣は血圧が高くなったとして、5月6日、首都の国立病院に緊急搬送され入院しました。エルメラ地方のグレノから首都デリの国立病院へ…ここまではエテルビナちゃんと同じ経路です。そしてロバト前法務大臣は病院で手厚く診療をうけながらも(ニュース画面からうける印象だが)、この病院では適切な治療が受けられないとして海外の病院に移されることが検討されています(まだ結論は出ていない、賛否両論ある)。前法務大臣の命を軽んじることは決して許されるものではありませんが、なんという差でしょう。不平等さを嘆かないわけにはいきません。
新聞は指摘していませんが、他にも疑問はあります。タクシーはなぜ乗客に降りるように要求したのでしょうか。東チモールでは遺体をタクシーに乗せることを拒否できるのか。タクシーの運転手の非道さ(とわたしは思うのだが)が話題にならないのが気にかかります。また、「チモールプラザ」前で立ち尽くす二人が病院へ行く車を待っているのなら、群衆のなかに自分の車でさっさと行こうと乗せてくれる人が一人も現れなかったのか。もしそうだったら殺伐とした気分になります。あるいはまた、タクシーで移動中にエテルビナちゃんが亡くなったと新聞は書いていますが、それは家族の証言であって、医学的に本当にそのときに亡くなったかどうか、疑問です。そして救急車が2時間たっても来なかったことも重要視すべきです。救命医療態勢をあれこれ論じるのはまだ東チモールでは贅沢なことなのかもしれませんが、救急車は首都でけっこう走っています。有効に活用されればそれなりに機能するはずです。しかし、人員・組織づくり、もっとはっきりいえば、公用車(この場合は救急車)を遊ばせない態勢づくりが東チモールにとって最も不得意とする分野なのです。
赤ちゃんが捨てられる
3月(あるは2月?)から4月にかけて、赤ちゃんがすてられる事件が3件発生しました。このうち2人の赤ちゃんは発見されたときはすでに亡くなっており、そのうちの1人は身体の一部が動物に食べられたようだと報じられました。なんとも惨く悲しい事件です。そしてもう1件については、赤ちゃんは生存中に発見され、そして保護されました。新聞『インデペンデンテ』はこれら3件について、望まない赤ちゃんを母親がすてたとみられるとやや断定的な表現を使用していますが、事件の詳細はその後なにも明らかにされていません。
生きて発見された赤ちゃんの件はビラベルデで起こりました。わたしが最初に下宿していたビラベルデの家族の一員であるセレーナちゃん(10歳)によれば、ビラベルデ小学校近くのゴミ捨て場にビニール袋に包まれた赤ちゃんを、セレーナちゃんの友だちの親が発見し、赤ちゃんは発見者の家に今もいるのだそうです。またこの赤ちゃんは女の子で、(見た感じか、あるいは噂か?)外国人の赤ちゃんのようだとビラベルデの他の子どもたちはいいます。とにもかくにもこの女の子は生きて発見されて何よりでした。生きてさえいれば、この先どんないいことが待ち受けているかもしれないし、可能性がある。すてられた場所が人通りの多い小学校近くだったことが生存につながったのかもしれません。他の2件はどのような場所だったのだろうか。亡くなってから遺棄されたのかもしれない。動物(たぶん犬か豚か?)に食べられたようだという話はなんともやりきれません。
望まれない妊娠・出産は侵略軍による東チモール人女性にたいする暴力の結果として、構造的にこれまで多数発生しました。しかしたとえ侵略軍兵士に強かんされてできた赤ちゃんでも、路上にすてられることはきいたことがありません。独立して11年たった東チモールの新たな構造的な問題として子どもが犠牲になる事件が連続しているといえます。人と人との繋がりが貧困な経済優先の社会ができているのかもしれません。おびただしい犠牲者をだしてつかみとった自由のうえに子どもが見捨てられる社会が築かれているとしたら、なんのための犠牲だったのか……子どもたちが犠牲になる事件を警告として東チモールの大人たち、とくに指導者たちは深刻に受け止めるべきです。
大統領府の近い所に財務省の建物が建設中である。10階建て。インドネシアの建設会社が工事を担当している。東チモール初の“高層”ビルとなる。庶民の生活向上がこのようなビルの“基礎”となるべきだが、そうでなければ貧困と無慈悲の象徴(省庁?)となってしまうだろう。東チモール政府のお金の使い方はどこか間違っている。
2013年5月28日、首都にて。ⒸAoyama Morito
建設中の財務省ビルを遠くから望む。モタエル教会(写真、左)の海岸風景は悠久たるものがあり昔から変わらぬ風景であった。それがいま10階建てのビルにより変貌してしまった。
2013年6月7日、首都、レシデレの海岸から。ⒸAoyama Morito
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1332:130613〕
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