沖縄は独自の道を(下)
- 2013年 6月 15日
- 評論・紹介・意見
- アメリカ宮里政充沖縄
そしてアメリカは?
アメリカは自分の国が「自由と民主主義」の国であると自負している。そしてそのアメリカ流の自由と民主主義を世界の国々に実現させていく特権と使命を帯びたエリート国家であると信じて疑わない。だから、長崎・広島の原爆投下も、日本の天皇制と軍国主義から日本国民を解放するための手段なのであって、正当な作戦行為であり、日本国民に対する謝罪や犠牲者への補償など思いもよらない。広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれている「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という碑文は日本人の手によって刻まれたのであって、断じてアメリカ大統領が刻んだものではない。ベトナム・アフガニスタン・イラクなどアメリカ主導で行われた戦争の犠牲者の数は軍人・一般市民を含めていまだに正確には把握されていないどころか、アメリカにとって戦争犠牲者の数を数えることは意味のないことなのである。
アメリカはキリスト教国である。特に小ブッシュの共和党政権の時はキリスト教原理主義者やキリスト教右派の影響力が大きかった。いわゆるネオコンと言われる集団だ。「自由と民主主義」の基本理念はキリスト教精神に基づくものであるが、それだけにこの理念の遂行には絶えず「神の意志の実行」という建前が付きまとうことになる。神の代理人であり十字軍であり世界の警察であると自認するアメリカには、従って過ちがあろうはずがない。アメリカは国連が自分たちの意思に沿わない判断をした場合は、これを無視し負担金を納めず、単独行動で武力を行使し、世界中に憎しみと報復と殺戮の菌をばらまいている。明らかに侵略であったイラク戦争の責任を追及する国際刑事裁判所に出廷することなどはバカバカしいことだ。
小ブッシュは若い頃アル中かその一歩手前の飲んだくれであった。その彼を立ち直らせたのはキリスト教福音派の伝道師ビリー・グラハム(南部バプテスト)であった。実は私は1960年に北部バプテスト系の教会で洗礼を受けており、1976年10月ビリー・グラハムがクルセード(大衆伝道)を行った時、会場の後楽園球場へ彼のメッセージを聞きに行ったことがある。会場は溢れんばかりの聴衆で埋め尽くされ、興奮の坩堝と化した。「イエス・キリストは十字架の苦しみによってあなたの罪をあがなわれたのです。さあ、イエス・キリストの前にひざまずき、その愛を感謝して受け入れましょう。あなたの全く新しい人生がこれから始まるのです」という彼の招きの言葉に、涙を流しながら多くの聴衆がクリスチャンとなる決心をした。
このビリー・グラハムは歴代の大統領と親しく、ジョンソン、ニクソン、小ブッシュなどの大統領就任式の祈祷を担当し、当然のことながらこれらの大統領が起こした戦争にことごとく賛成し、これを支援した。
アメリカはそういう国なのである。つまり、アメリカが引き起こす戦争の背景にはキリスト教の信仰が深く根ざしているのだ。特に、旧約聖書や「ヨハネの黙示録」などに記されている終末観が大きな影響を与えている。イエス・キリストが再臨して全人類の罪を裁き、神を信じる者は天国へ救い上げられ、神を信じない者は永遠の滅びに至る。そして神の新しい秩序が始まるのだ。その審判が行われる場所はイエス・キリストの生誕の地、イスラエルである。だからアメリカはイスラエルを滅ぼそうとする勢力とは断固戦う。
そういうわけで、残念ながら、日本が日米同盟を結び、どんなにアメリカに協力しても、最後に日本は地獄へ落ちるのであり、このような文章を書いている私もまた地獄へ落ちるのである。だが、私は、これから最後の審判がやって来るまで他国に対する侵略と殺戮と憎しみと報復を繰り返すことに賛成するくらいなら、いっそ地獄へ落ちる道を選びたい。ただし、それが真に神の意志であるなら、の話だ。
さて、沖縄は独立できるのか
これまで述べてきたように、沖縄は今後もヤマトとアメリカに翻弄され続けるのは明らかである。そこへ中国が加わって、緊張は更に深まっていくことになるだろう。その際、沖縄が武力行使のターゲットにされず自らも武力を行使しないという道はあるのか。少なくとも「戦後レジームからの脱却」の向こうにその道はない。辛うじて希望が持てるとすればそれは憲法9条である。もしこの9条を変え、アメリカ主導の戦争に参加すれば、ベトナム戦争に参加した韓国軍の正視に耐えない行動を日本軍が繰り返さないという保証はどこにもない。
もう1つの希望は、沖縄が独立して非武装中立の国家を設立することである。私としてはそれが最も望ましい選択だと思ってはいるが、そう簡単に問屋は卸さない。中国が沖縄の独立運動を支援したいという発言にはもちろん海底資源を確保したいという裏がある訳で、「沖縄の独立を支援するというのなら、チベットの独立も認めなければおかしいではないか」と言ってみたところで、そんな建前が通用する相手ではない。
もともと沖縄はその地理的な位置・軍事基地として使用できる土地の広さ・基地労働者の確保、つまり地政学的な面で実に価値の高い島なのだ。かてて加えてそこに豊かな海底資源が眠っているということになれば、もうどの国も喉から手が出るほど沖縄を欲しがるというわけなのだ。
しかし、むしろそこにこそ沖縄が独立する意味があるのではないか。まず、アメリカの軍事基地がなくなる。非武装中立・永世平和国家を国際社会に向かって宣言する。待ってましたとばかりに中国が強硬手段に出て来ようとすれば、たちまちのうちに中国包囲網が敷かれ、中国は手が出せなくなる。海底資源については日・米・中など複数国で共同開発を行う。かつて軍事基地のあったところにはIT産業ほか、自然エネルギー開発のための産業を興す。その他、人間の英知を結集して血なまぐさい軍事力によらない平和の維持の可能性を探る研究機関を設置する。つまり、平和のための戦争・抑止力としての軍隊や核兵器・自由と民主主義のための殺戮、などのおぞましく貧弱な発想から人間と政治を解き放つことを最大の努力目標とする「平和を発信する国家」を目指すのである。
狭隘なナショナリズムや絶対的な「正義」は血を要求し、国を滅ぼす結果となる。われわれはいやというほどその事実を見てきたし、現在も見続けている。歴史から学ぼう。軍隊を持って「普通の国」になろうという愚かな発想はやめよう。兵士を戦地へ送らなくてもロボット操作で相手国に住む父親や母親や兄や姉や弟や妹やおじいちゃんやおばあちゃんを効率よく殺せる武器の開発をやめよう。そういう発想そのものを恥じよう。神からは憎しみと殺戮ではなく、愛を学ぼう。
たとえば、沖縄県議会が沖縄独立を決議すれば、日本政府もアメリカも黙ってはいない。軍隊や警察が動く。「島津侵攻」や「琉球処分」の時のように。中国も何らかのリアクションを起こすにちがいない。その時沖縄はどうするか。そこへ向けての足腰のしっかりした理論武装と、したたかな抵抗力をどのように身につけるか。今は気の遠くなるような話であり、非現実的で馬鹿げた妄想かも知れない。だが、沖縄を軍事的な地政学から国際社会を結ぶ平和国家建設の地政学へ転換する夢を捨てるわけにはいかない。
沖縄独立への動きはまだ産声を上げたばかりである。慌てず騒がず「ここに奇跡の国沖縄あり」と高らかに謳いあげられる日が来たらんことを!
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