文学渉猟:この世は不条理から成る―「極限状況」において知る不条理の遍在
- 2013年 8月 2日
- 評論・紹介・意見
- 『ペスト』アルベールカミュ合澤清書評
アルベールカミュ著『ペスト』上・下 宮崎嶺雄訳(新潮社文庫1962)
この本の舞台設定は、194x年、当時フランス領だったアルジェリアのオラン県の県都であるオラン市(当時20万人ほどの人口を擁していた港町)での出来事である。
1.鼠の大量死から始まる序章
医師のリウーの周辺で鼠の死骸が何匹も発見される。どこから入ってきたのか訝しく思われるところにすら死骸が転がっている。そのうち、町中のいたるところで、しかも大量の鼠の死骸が見られるようになる。最初はそれらの死骸処理は、個々人の管理責任に任されていたが、あまりにも多くの死骸が見つかるに及んで、ついに県の衛生局が処理に乗り出すことになる。
このような事件と並行して、リウーの下に何人かの人が異常を訴えてくるようになる。治療が施されるが、大抵は急死してしまう。こんなことが徐々に拡大していく。死者の数は急速に増え、毎日、何人、何十人という人たちが亡くなり、それが連続して続くようになる。それにもかかわらず、この異常な事態が直ちに「ペスト」に結び付けられて考えられることは依然としてない。
なぜか?一般の人々が、また医師たちまでもが、「ペスト」という言葉が持つ「死の宣告」にも等しい恐怖のイメージを無意識的に避けようとしたということは十分ありうる。何とか他の病名をつけて自他を安堵させようとする。ヨーロッパにおいて「ペスト」は、それほど恐れられた疫病である。
14世紀の大流行では、全ヨーロッパの人口の三分の一強(2000万人以上)が犠牲になったとも言われる。ウィーンやミュンヘンなどの大都会には大抵、その頃の犠牲者を悼む記念碑(Monument)が立てられている。因みに、ボッカチオの『デカメロン』は、このペストの流行後に書かれたものであるが、その冒頭部分にも、当時の大流行が如何に凄じいものであったか、大量の犠牲者を埋葬することすらままならなかった情況が、生々しく描き出されている。
しかし、そういう「恐れ」とは少し違った面から見ることも可能かもしれない。現実の中に沈潜しきっている生活者にとっては、突然降りかかってくる出来事は絶えず「悪夢」なのであり、そんなことは考え難いが故に日常生活の維持をひたすら優先させようとする。それは「夢」であって、現実ではない。現実にはありえないこと、にわかには信じられないことなのだ。だから考えることは止そうとする、日常の雑事に没頭することで、いわば一種の「思考停止」の催眠状態をつくりだすのである。
これはジークムント・フロイトの言う「抑圧」(Verdraengung)と考えても良いのではないだろうか。
しかし、状態の深刻さは、いくら目をつぶってみても無くなるわけではない。いやむしろますます酷くなる一方である。ここに来て、医師は、職業的専門家として、事態にまともに向き合わざるをえなくなる。その口火を老医師カステルが切る(少し長いが、その部分を引用しておく―太字は論者による。以下同様)。
[引用]
「そうです、カステルさん」と、彼は云った。「全く、ほとんど信じられないことです。しかし、どうもこれはペストのようですね」…「ペスト」という言葉は、今初めて発せられた。物語のここのところで、ベルナール・リウーをその窓の後ろに残したまま、筆者はこの医師のたゆたいと驚きとを釈明することを許していただけると思うのであるが、それというのも、さまざまの色合いはあるにせよ、彼の示した反応は、即ちわが市民の大部分の示したそれであったのである。天災というものは、事実、ざらにあることであるが、しかしそいつがこっちの頭上に降りかかってきたときは、容易に天災とは信じられない。この世には、戦争と同じくらいの数のペストがあった。しかも、ペストや戦争がやって来たとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった。…戦争が勃発すると、人々は云う―「こいつは長くは続かないだろう、あまりにも馬鹿げたことだから」。そしていかにも戦争というものは確かにあまりにも馬鹿げたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。愚考は常に頑強なものであり、人々もしょっちゅう自分のことを考えてさえいなければ、そのことに気がつくはずである。わが市民諸君は、この点、世間一般と同様であり、みんな自分のことを考えていたわけで、別の言い方をすれば、彼らは人間中心主義者(ヒューマニスト)であった。つまり、天災などというものを信じなかったのである。天災というものは人間の尺度とは一致しない、従って天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしもすぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間の方がすぎ去っていくことになり、それも人間中心主義者たちが先ず第一にということになるのは、彼らは自分で用心というものをしなかったからである。わが市民たちも人並み以上に不心得だったわけではなく、謙譲な気持ちになるということを忘れていたというだけのことであって、自分たちにとって全てはまだ可能であると考えていたわけであるが、それはつまり天災は起こりえないと看做すことであった。彼らは取引を行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見を懐いたりしていた。ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか。彼らは自ら自由であると信じていたし、しかも天災というものがある限り、何びとも決して自由ではありえないのである。(上pp.47-48)
2.「ペスト」発生を公にすればどうなるか?―それでも対策は急務だ!
上に引用したのは、老医師カステルとリウーのやり取りである。認めたくなくとも、この事実を冷厳に受け入れざるを得ないこと、その上で何ができ得るかを考えることこそ重要であること、このことを両者は認め合ったのである。
それに続いて、県庁で開かれた保健委員会の様子が非常に生々しく伝えられる。ここでは、現に起きている事態が「ペスト」であるということを認めるにあくまで遅疑逡巡する人たちとのやり取りが、その緊迫した様子をうかがわせている。
事態の判定は、あくまで「科学的仮説」の範囲にとどめたい。結論を出すのは、もう少し後、実際に科学的な検証がはっきりしてからでもよいのではないか、と考えたがる「先延ばし」の意見がある。しかし、現に次々に出ている犠牲は、先延ばしによっては防ぐことはできない。「結論が出ないからまだ安心だ」という考え方は、こういう非常事態の場面では全く通用しないのである。市民の「安全」に力点が置かれなければならない。そのためにはどうすべきか、今でき得る限りの対処をやるしかない。「先延ばし」しながら議論を重ねていくような時間的なゆとりはないのである。仮に「ペスト」でなくとも、ペスト発生時と同様な対応が緊急にとられなくてはならない。そうでなければ、更に多くの犠牲者を生むことになりかねないからだ。
[引用]
「本当のところ、君の考えを云ってくれたまえ。君はこれがペストだと、はっきり確信をもってるんですか」
「そいつは問題の設定が間違ってますよ。これは語彙の問題じゃないんです。時間の問題です」
「君の考えは」と知事が云った。「つまり、たといこれがペストでなくても、ペストの際に指定される予防措置をやはり適用すべきだ、というわけですね」
「どうしても私の考えを、とおっしゃるんでしたら、いかにもそれが私の考えです」
医者たちは相談し合い、リシャールが最後にこう云った―
「つまりわれわれは、この病があたかもペストであるかのごとく振舞うという責任を負わねばならぬわけです」
この言い回しは熱烈な賛意をもって迎えられた。
「これは君の意見でもあるわけですね、リウー君」と、リシャールは訊ねた。
「言い回しは、私にはどうでもいいんです」と、リウーは云った。「ただ、これだけ云っておきたいですね―われわれは市民の半数があたかも死滅させられる危険がないかのごとく振舞うべきではない、と。なぜなら、その場合には市民は実際そうなってしまうでしょうから」
満場色をなすうちにリウーは退席した。(上p.64)
3.「不慮の災害」は、「安定志向」の日常生活を容赦なく打ち壊す
事態を「一夜の悪夢」と考えたいと思ってなのか、あるいは「恐怖」を忘れるためなのか、相変わらず人々は今までと変わらない、(少なくとも表面上は)生活習慣を維持している。
おそらくは、「自分とは関係のないこと」という無関心(Apathie)に逃げ込んで、自分にふたをし、それであたかも「恐怖」=現実を避けうるかのごとく装う、という擬態ではないだろうか。実弾が自分に向かって飛んできたときに、始めて夢から覚めるのであろう。
「うち見たところ、何一つ変わったものはなかった。電車は相変わらずラッシュアワーには満員であり、昼間は空っぽで穢かった。…夜になると同じ群衆が街頭を埋め、映画館の前には行列が続いた。」
このような民衆の気持ちに迎合するかのように、季節は巡り「春」が訪れてくる。薔薇は咲き乱れ、甘い香りを振りまく。一見、何事もなかったかのように時が流れていく。
しかし状況は何も変わっていない。それどころか、突如、悪化の途を駆け上り始める。もはや一瞬の猶予もない。
患者を隔離し、疫病の外部への拡大を防ぐためには、市の門を閉鎖し、外部との交易をこちら側からは断つしかない。生活に必要な物資と、救援隊の医療関係者以外は入れないようにする。もちろん市の外への外出は厳禁である。そして、こういう措置をとることは、当然ながら、市の内外に向かって「ペスト発生」を宣言することになる。パニックも起きうる。しかし、それ以外に拡大を防ぐ手はないのだ。
これは大変な決断を要する。場合によっては、オラン市の全住民がペストにかかって死ぬことにもなりかねない。そういう犠牲を払ってでも、ペストの外部への拡大は防がなければならない。「外部世界への捨て石になる」という悲壮な決意が求められる。
そしてついに公電が発せられ、ペスト発生が宣言されて、市の門は閉鎖される。砲弾はついに市民全員に向けて発射されたのだ。市民が丸ごと「隔離」されることになった。島流し(ここでは「流謫」と表現されている)である。
この結果、市民は否応なしに自己の実存を見つめ返し、その実存をかけた「極限状況」におかれることになる。外部世界との「不条理」極まりない形での遮断は、Lager(強制収容所)を考えてみれば分かるであろうが、ある人たちにとっては、家族や大切な人たちとの別離を意味する。あるいは外に置いてきた大切なもの(ペットや家財や研究論文など)との永遠の別れかもしれない。そしてそれは惜別をする暇もなく、突然やってきたのである。他人との間の縁も、地位や財産も、場合によっては、自分の命すら失う可能性の中にある。そうなってみて初めて、今まで価値あるものと思われていた財貨などの諸々のもの、あるいは自分の命すらが、何と虚しいものであったかが分かる。そして、自分が何と不安定な世界の上に立っていたかを思い知らされる。天災だけではなく、戦争や人災(原発事故はその最たるものだが)によっても、このような悲劇的事態がもたらされうることを、われわれは先の大戦や福島第一原発事故によって知っているはずである。
[引用]
…この瞬間から、ペストはわれわれすべての者の事件となったということができる。それまでのところは、これらの奇怪な出来事によって醸された驚きと不安にも拘わらず、市民各自はふだんの場所で、ともかく曲がりなりにもめいめいの業務を続けていた。そしておそらく、この状態は続くはずであった。しかし、ひとたび市の門が閉鎖されてしまうと、自分たち全部が、かくいう筆者自身までも、全て同じ袋の鼠であり、その中で何とかやって行かねばならぬことに、一同気がついたのである。そういう次第で、例えば、愛する人との別離というようなきわめて個人的な感情が、既に最初の数週から、にわかに一市民全体の感情となり、そして恐怖心とともに、この長い流謫の期間の主要な苦痛となったのであった。
…実際のところ、われわれが、自分たちは全く妥協の余地のない状態の中にあり、「折れ合う」とか「特典」とか「例外」とかいう言葉は全く意味がなくなっていることを納得するまでには、多くの日数を要したのである。(上pp.80-82)
そういうわけで、ペストがわが市民に齎した最初のものは、つまり流謫の状態であった。…まさにこの流謫感こそ、われわれの心に常住宿されていたあの空虚であり、… (上p.86)
4.志願して保健義勇隊を組織するタルーと、愛のための脱出を望むランベール
医師リウーを取り巻いて何人かの興味深い登場人物が描かれているのであるが、ここではタルーとランベールの二人を軸にして考えてみたい。タルーは旅行者としてこの町にやって来た人間である。彼は自らこの状況を「手帳」に克明に記載しているのであるが、ある日リウーを訪れて、志願の「保健義勇隊」の組織化を自分がやっても良いと申し出る。もちろん市にとって、特に医療関係者にとっては、この種の保健労働従事者は、出来るだけ多く欲しいところである。しかし、この仕事には当然大変な危険が伴う。ペスト患者との日常的な接触、汚物などの処理や、死体処理などが彼らに任されるからだ。「決死隊」的な覚悟が要求される任務である。そのことを熟知しているリウーは、感謝しつつも、実際に極めて危険であることを繰り返し説明する。この仕事に従事したからといって、決して「英雄」にはなれないことも…。
しかしタルーの決意は固い。こうしてタルーとリウーは極めて固い信頼関係で結ばれる。
一方、新聞記者ランベールであるが、彼もこの町へは派遣記者としてきている。彼はパリに恋人を残している。彼はスペイン人民戦争に志願の外人部隊として、人民軍と共に闘った経験の持ち主である。そして今は、最愛の女性との愛に揺れ動いている。この地にとどまる「義理」はない。この地から脱出し、直ちに最愛の人の下に走るべきだ、というのが彼が選ぼうとする道である。リウーもタルーもこういう彼の決意を尊重し、閉じられた市門からの「脱走」を陰ながら支援する。彼はぎりぎりまで、「脱走すべきかどうか」に悩み抜くのであるが、結局はここに残る決意をする。つまり彼は「外来者」であることを捨て、同じ町の「住人」となることにしたのである。
以下はランベールとリウーの会話であるが、ランベールの発する言葉は、実際には自分自身に向けられている。なぜ闘うのか、なぜ、他人のために命懸けで闘う必要があるのか、自分にとって他人とは何なのか、…。
[引用]
「…あなた方は一つの観念のためには死ねるんです。それはもうこの眼に見えてますよ。ところがです。僕はもう観念のために死ぬ連中にはうんざりしているんです。僕はヒロイズムというものを信用しません。僕はそれが容易であることを知っていますし、それが破壊的なものであったことを知ったのです。僕が心惹かれるのは、愛するが故に生きかつ死ぬということです。」(ランベール)
…「人間は観念じゃないですよ、ランべ-ル君」(リウー)…「…今度のことは、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方はあるいは嗤われるかも知れませんが、しかしペストと闘う唯一の方法は、誠実さということです」(上pp.204-205)
「やっぱり」と、ランベールはリウーに云った。「僕は行きません。あなた方と一緒に残ろうと思います」…「僕はこれまでずっと、自分はこの町には無縁の人間だ、自分にはあなた方は何のかかわりもないと、そう思っていました。ところが、現に見た通りのものを見てしまった今では、もう確かに僕はこの町の人間です、自分でそれを望もうと望むまいと。この事件は我々みんなに関係のあることなんです」(下pp.54-55)
「人間は人間の仲間なしには過ごせない」のである。他者は自己の中に入り込んでいる。他者が自己の他者、つまり自己の自己へと転換する。
ペストの病疫は、この後リウーに近しい者たちをも次々に襲う。判事オトン氏の幼い息子が犠牲になり、そのあまりにもむごたらしい死に方の一部始終を目撃したバヌルー神父は、ペスト発生直後の「神に祈り、神の恩寵にすがろう」という態度から一転、自らも保健義勇隊に参加して働きながら「司祭は医師の診察を求め得るや?」を自らに問い続けつつペストに倒れる。
また、息子を亡くしたオトン氏も、それまでの隔離収容所から出てきた後、自ら志願して収容所に戻り、働くのであるが、これもペスト終結直前に倒れる。
そしてリウーの最良の相棒、もっとも力強い協力者であったタルーまでもが、ペストの終結宣言を前にして病疫によって奪い去られる。また、病気のため、転地療養していたリウーの妻も、タルーの死と相前後して身まかる。その結果、リウーは徹底した敗北感を味わうことになる。
5.「不条理」の遍在性の自覚こそペストとの闘いの成果…?
突然の降って湧いたようなペストの襲来、この天災に見舞われることで、一つの町の住民全員が、否応なしに追い詰められた「流謫」の生活。これを「天譴」と看做したがる者もいるが、そういったからといって事態は一向に改善されるわけではない。むしろこの「不条理さ」をまともに受けとめながら、「誠実さ」をもって自己の職務の遂行をあくまで心がけようとするリウーたちの姿勢は、上に見たように、それなりの共感を呼びながら、一定の共同体的な高まりへと昇華していったのである。
そこに作られる「共同体意識」は、「天譴だ、ざまあみろ」とうそぶく者や、民衆の無自覚を嘆き、絶望感に陥る者たちですら、現実として降り注ぐ災禍(死の危険)の平等性からは逃れられないという厳然たる事実を前にして、今や他人事のような顔をいつまでも取り続けるわけにはいかないということの自覚の上に成立したものといえる。身分的な差異や特権意識も、個人の運命の否定という絶対的平等性からは逃れようもなかったのである。
…事実上、8月の半ばというこの時期には、ペストが一切を覆い尽くしたといっても良かった。もうこの時期には個人の運命というものは存在せず、ただペストという集団的な史実と、全ての者が共にした様々の感情があるばかりであった。 (下p.5)
しかし不条理の自覚は、自分たちのおかれた状況の特殊性というだけにとどまらなかった。今までの安閑として、惰性的に送られてきた人生、それがこの「極限的な状況」下で、孤立化した人格の一人一人に問い直されることになったのである。今まで漠然としたぬるま湯的連帯感に浸って安堵していた人々が、突如として自己の孤独に気がつかされたのである。
「…一見、攻囲された者の連帯性を住民に強制していたとみられる病疫は、同時に、伝統的な結合を破壊し、また各個人をめいめいの孤独に追いやっていたのである。これは混乱を醸成した。」 (下pp.9-10)
今までさしたる自覚なしに、漠然と受け継がれ、受け入れられてきた周囲との関係が、改めて見直されることになる。そこには個人の生命(「個人の運命」)のはかなさの自覚が働いている。「風前の灯」となり果てた生命にとって、財産とは何であろうか、また、愛とは、希望とは何であろうか。突然襲い来る災害という、それ自体予測不可能な、条理を超えた世界の中で、人々は却って孤独な自己の存在の不条理性に目覚める。実は、この世に不条理は遍く存在している。人間はそういう不条理の世界の中で生きている。しかもそのことは、「あたかも忘れられている」にすぎないのである。
同じような局面(ペストではなく、「戦争」を扱っているのだが)における財産の不確実性(Unsicherheit)について、ヘーゲルは次のように述べている。
「なるほど、戦争によって所有権は不確実になる、だがこの現実的な不確実性こそまさに必然的である運動そのものである」(『法の哲学』§324補遺)
同じ個所で、また次のようにも言う。説教壇からしばしば「現世の事物」が不確実で、はかないことが説かれるが、聴衆は神妙にそれを聞きながらも、自分はまさか失うことはないだろうと高をくくっている。ところがこの不確実性が白刃をかざした軽騎兵(Husar)の姿で現れると初めて呪わしく思うものである。ヘーゲルの強調は、この自覚ということにある。これこそが世界を変革するための新たな一歩に他ならないからだ。
不条理の世界の自覚について、もはや多言を弄する必要はないだろう。以下、短い文章をいくつか引用してこの論考に一応の区切りをつけたいと思う。
[引用]
彼(リウー)も老人(グラン)と同様にそう考えながら、愛のないこの世界はさながら死滅した世界であり、いつかは必ず牢獄や仕事や勇猛心にもうんざりして、一人の人間の面影と、愛情に嬉々としている心とを求めるときが来る、ということを考えていたのである。(下p.122)
…単に自分の知っていることと思いだすこととだけを懐いて、自分の希望することというものを全く奪われて生きて行くということは、どんなにかつらいことであろう。恐らくそんな風にタルーは生きてきたのであり、彼は幻影のない生活というものがどんなに不毛なものでありうるかということを、はっきり意識していたのだ。希望なくして心の平和はない。(下pp.154-155)
…彼らは、騒ぎの中に混じって歩きながら、その中で私語と内証話の離れ小島を形づくっていたのである。…彼らこそ真の解放を告げ知らせるものであった。何故なら、ぴったりと寄り添いあって、言葉を惜しんでいる、ペストは終わったこと、そして恐怖の支配した時代は過ぎ去ったことを、確証していたからである。彼らの姿はあらゆる明証を乗り越えて、われわれが嘗てあのバカげた世界、人間を殺すことが蝿を殺すことと同じ程度に日常茶飯事であった世界―を経験したということを、悠然と否定していた。あのはっきり規定された野蛮さ、計算された狂乱、現在ならぬすべての者に対するむごたらしい自由を同時にもたらしたあの監禁状態、そいつに殺されぬすべての者を仰天させたあの死の臭い、を経験したということを否定していた。さいごにまた、われわれがあの茫然たる民衆であったこと、毎日その一部の者は竈の口に積み重ねられて、濃厚な煙となって消散し、一方残りの者たちは、無力と恐怖の鎖にいましめられて自分たちの番を待っていた。あの民衆であったことを、彼らの姿は否定していた。(下p.166)
追記:
この本を初めて読んだのは、20歳のときだった。このことははっきり覚えている。というのは、その頃親しく行き来していた同年の友から紹介されて、この本を読み、彼と一晩語り明かした記憶が、最近ン十年ぶりに再会したその友を通じてはっきり蘇えってきたからだ。但し、その時何を語り合ったかは全く記憶にない。ただ、「不条理」とか「極限状況」とかいった言葉を断片的に記憶しているにすぎない。
今回、「連れ合い」が読書会でこの本を読むと言い出したので、僕の方も久しぶりにこの本を再読してみたいと思い手に取った。ところがこれが意想外に今日の「福島原発事故」の問題と重なり合っていることに驚かされた。そして、この本を読んでいる間、ずっと最後まで、福島の原発事故被災者のおかれた状況の悲惨さが、僕の頭を離れなかった。若い時は、この本をどんな思いで読んでいたのだろうか。
2013.7.30記
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〔opinion1391:130802〕
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