書評 「魚群記―目取真俊短篇小説選集1」
- 2013年 8月 30日
- 評論・紹介・意見
- 書評目取真俊阿部浪子
第1巻の本書には、著者の目取真俊氏が20歳代に発表した8編が収録されている。著者の郷里沖縄を舞台にした全短編からは、擬人法、比喩法が注目された。単なる修辞ではない。これら技法をとおして、著者のモティーフが読みとれる。目、耳、鼻、肌の感覚はみごとに全開だ。人たちは、他者、物体、海や森、生物や植物と一体となり、宇宙へつながっていく。
とりわけ「魚群記」が若者の新しい感情のめざめを描いて、感銘ふかかった。熱帯産のテラピアは、パイン工場の配水管のあたりに湧きあがる。「彼女たち」の生命力に、「マサシ」と仲間たちは圧倒される。彼女たちの瞳孔は、彼が見つめるだけで未知の領域へ下降させていく不安の標的だ。矢を放つと、その針先が標的をつらぬく。マサシは眼球の傷口に指をあて、生臭いぬめりと交感をたのしむ。矢が瞳孔をつらぬくと、仲間たちも身を寄せあい歓声をあげる。その満足の顔を見るのが、マサシはうれしい。
彼は台湾から出稼ぎにきた女工たちの1人の、もの悲しげな瞳の深さを見つめていらい、女の肌に触れたい欲望がざわめく。学校の帰り、みなで女工宿舎に忍びこむ。その女の部屋の明かりを見つめていると、兄に見つかり平手でぶたれた。兄とその女がもつれあう影がマサシの目から離れない。彼はテラピアの瞳孔に的をあてる。それは兄の目であり自身の目なのだ。自分のなかに憎悪と怒りとともに新しい感情がめざめようとしている。父もまた、その女の部屋をたずねるのをマサシは認めた。いま、父兄の威圧をはねのけ彼は息苦しい膜をつき破るのだった。
「蜘蛛」も印象ふかいが、傑作は「平和通りと名付けられた街を歩いて」だ。読後に思考することを促してくる。1983年7月、皇太子夫妻が来沖する。過剰警備をついて「ウタ」が挙に出た。戦争で夫をなくし、この通りでずっと露天の魚売りをしながら子らを育ててきた、この認知症のウタの潜在意識が、怖い。彼女の小学5年の孫の、自発的な怒りと憎悪も、尊い。
繊細な描写のなかに大胆な不気味さが演出される。豊かな才能を想わせる著者は、36歳で芥川賞を受賞する。
続巻は、順次刊行される。 (影書房刊 定価2100円)
2013年8月25日付「信濃毎日新聞」朝刊より許可を得て転載。
掲載時見出しは「目、耳、鼻、肌の感覚全開」
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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