(メール転送です) 文部科学省パブコメ 「今後の地方教育行政の在り方について(審議経過報告)」に関する意見募集
- 2013年 11月 4日
- 評論・紹介・意見
- 田中一郎
みなさま
教育委員会が確かに形骸化しているところは多いのですが、
だからと言って、首長の支配下に置くことはとんでもない
ことです。それはどうなるのか、大阪市の教育行政をみれば
一目瞭然です。教育委員会制度をどういう経過でつくられた
か..歴史を振り返りながら考えて行くことが必要かと思います。
「教室から戦争は始まる」と言っていた人もいます。
転送です。ご記入を!
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文科省は教育委員会制度改革についての中央教育審議会の審議経過報告に
対するパブリックコメントを募集しています。
募集期間は10月16日~11月5日の20日間です。
このパブコメ募集に気がつくのが遅れたためにお知らせが遅くなりました。
中教審の教育委員会制度改革の中間まとめのA案、B案ともに、
首長に教育行政の権限を集中するものであり、反対意見を沢山送る必要があります。
下記の文部科学省のHPに意見提出のフォームがあります。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000660
&Mode=0
意見は2000字以内となっています。
下記に、2000字の反対意見案を個条書き案を添付します。
これを参考にぜひ意見を送付してくださるよう要請します。
子どもと教科書全国ネット21
Children and Textbooks Japan Network21(CTJN21) E-mail kyokashonet@a.email.ne.jp HP http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/
℡:03-3265-7606 Fax:03-3239-8590
●「今後の地方教育行政の在り方について」パブリックコメント案
「経過報告」では、現在の教育委員会制度について、教育行政における責任の所在
の不明確さ、教育委員会審議の形骸化、危機管理能力の不足が課題として指摘されて
いる。たしかに教育委員会の形骸化は事実といえるが、その原因は、根本的には教育
委員の公選制が首長の任命制に改められたところから発生している。その結果、地域
住民の意思をふまえ教育の改善向上に熱意をもってとりくむ人が選ばれるよりは、首
長に近い人々が名誉職的感覚で選ばれる事例が少なくない。住民の意思をバックに熱
意ある人々が教育委員に選ばれるならば、教育委員会が地域でもっと実際に機能した
のではないか。
教育行政の責任は、現行法制上、教育委員会にあることは明確であり、形骸化を克
服し教育委員会が実際に機能するよう改善すれば、責任の所在が不明確になることは
ないはずである。そうなれば危機管理の点でも十分機能するといえる。
最大の問題は、この間の審議のなかで、形骸化という現象をとらえるだけで、形骸化
がなぜおこったのかについての深い分析が全く行われていないことである。教育委員
会の今後の在り方について論ずるならば、まず形骸化の原因の分析からはじめるべき
であって、それなしに対応策を考えるのであれば、そこからは現象に対する表面的な
対応しか出てこない。これでは問題の根本的解決にはならない。
したがって「教育委員会制度の在り方」についての提言は、A案にせよB案にせよ、
若干の違いはあっても、要するに教育行政の権限を首長に集中することによって現状
の問題を解決しようとする考え方となっている。問題の根本をみないこのような改革
の方向は、決して現状の問題点を解決することにはつながらない。
しかもこのような改革の方向は重大な問題をはらんでいる。戦後日本の教育制度の在
り方は、過去の戦争への反省、とりわけ教育が誤った戦争の遂行に国民を動員するう
えで大きな役割をはたしたことへの反省から出発している。そこで、日本国憲法の精
神をふまえ、戦争をふたたびくりかえさないために、政治が教育を動かしてはならな
い、とくに中央政府が全国の教育を一律に統制してはならないということを大きな原
則としてきた。すなわち教育の政治からの独立と、教育の地方分権の原則である。今
回提起されている改革案は、この二つの原則を根底から壊すものであり、教育行政の
権限を政治権力、とくに中央政府に集中させるものであって、絶対にやってはならな
いことといわなければならない。
教育委員会制度も含むあるべき教育制度改革の方向は、この戦後教育の二つの原則を
しっかりと守り、その原則を具体化するためにつくられた教育委員会制度をふたたび
活性化させるための方策を考えるところから出発しなければならないと考える。
「教育現場の士気を高める方策」として、教員評価を処遇に反映させる制度の構築だ
けがとりたてて強調されているが、それはきわめて一面的な誤った方策といわなけれ
ばならない。学校教育の成果は、教員個々人の資質・能力の総和だけによって生まれ
るものではなく、教職員相互の協力関係、そのなかで生まれる専門的知見や技能、子
どもや地域の状況についての情報の共有、それにもとづく相互の研鑽の深化などに
よって大きく左右されるのであり、改革の方向としては、その点をいかに充実させる
かということこそ、まず第一に重視すべきである。教職員一人ひとりを個別に分解さ
せたうえでの評価と処遇の差別化は、むしろ学校全体の教育力を低下させることにな
りかねない。
また、教員評価にしても学校評価にしても、どのようにして公正性が担保されるのか
が何も明らかにされていないなかで、まず評価ありきということでは、かえって弊害
をもたらすことになる。
[箇条書き短縮案]
教育委員会制度の形骸化などが指摘されているが、なぜそうなったのかをきちんと分
析することからはじめるべきである。そうしなければ根本的な改革案は出てこないは
ずである。
A案、B案ともに、教育行政の権限を首長に集中させることは、教育の政治的中立と
いう大原則を壊すことになるので反対である。むしろ公選制の復活も含め、教育委員
会をもっと活性化させる方策を考えるべきである。
教育に対する国の責任をはたすという名のもとに、中央政府の権限を拡大することに
は反対である。
教育現場の士気を高めるという名目で、教員個々人への評価とそれによって処遇に差
別をつけることは反対である。もっと学校の中での教職員の協力関係を強め、相互の
情報共有や学びあいを深めることこそ重視すべきである。
教員評価も学校評価も、どういう機関がやるのか、どのようにして公正性が確保され
るのかがわからない。このようなやりかたでは、かえって弊害がおこるのではない
か。
地域とともにある学校づくりが強調されているが、学校とともに教育を支えるどんな
組織づくりをするのか、はっきりしない。本当に子どものためになる学校づくりとは
どういうことなのか、もっと時間をかけて論議を深めるべきである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔opinion4628:131104〕
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