1月30日放送NHKTV.<クローズアップ現代「東大紛争秘録~45年目の真実~」>によせて
- 2014年 2月 1日
- 交流の広場
- 山川哲
この番組(「クローズアップ現代」)は、本当に時々「良心的なもの」を放送することがある。今回の放映がその一例だった。おそらくそういうときには番組の制作者も腰を据えてやっていると思える。
45年前、1969年1月18,19日の「安田砦攻防戦」に関しては、これまで全共闘の学生だった側からの証言や資料は数多く公表されてきた。それに対して今回初めて、加藤一郎(当時の総長代理代行)や大内力(経済学部長、マルクス経済学者)など、当時の東大当局者側の生の声が出たわけである。「学内に機動隊を導入すべし。警察権力の力によって、占拠学生を排除し、秩序を回復せよ」といった生々しい意見が文書(当時の学部長クラスの対談記録)で残っていたことが公けになった。
番組にはゲストとして、評論家で麗澤大学教授の松本健一(68年経済学部卒)が出演。また、当時、助手共闘の一員だった最首悟のインタヴューや、法学部長だった坂本義和へのインタヴュー(病気のため、声のみを流す)も放送された。
これで分かったのは、「1969年度東大入試の中止」が、大学当局の意志ではなく、文部省から無理やり押し付けられたものであったこと、大学は「機動隊の学内導入による秩序回復」という「大学の自治」の放棄(自主回復への道の断念)によって、政府の軍門に下ることになり、それ以後、今日に至るまで政、官、財、学の序列は変わることなく(つまり、学は序列最下位に甘んじたまま)来ているということ、その結果が今日の「御用学問化」を生み出す要因になっているということである。
最首はもちろんのことだが、松本健一(彼には全共闘運動への参加履歴はなかったはずだが)までもが、当時の学生の問いかけ「大学は何をするところなのか、学問とは何か、産学協同は真に学問といえるのか、学問とは産業界に奉仕するためのものではないのではないのか、…」は今日でも十分妥当な意味をもつものであると言う。
松本の話では、当時すでに就職していた彼は、職場で「君は参加しなくても良いのか?」と尋ねられたことがあったという。それだけ、この学生たちの問いは社会的に大きな支持を得ていたのだと彼は言う。
実際にも、当時大学の教員だった人たちが、学生たちにこう問いかけられて、まともに返事ができなかったと番組の中で語っている。
このわずか30分足らずの番組を見ながら、改めて、当時の学生たちのこの問いかけは、3.11以後の今日においてますます重要な意味を持ってきているのではないだろうかと思った。「原子力ムラ」を構成する「学者と自称する」輩は、過去においてこのような真剣な問いかけを自分自身に向けて発したことが一度でもあったのだろうか?誠に疑わしい限りである。
最後にNHKに一言厳重抗議しておきたい。なぜこの番組の最後を(つまり、松本健一の発言の途中で)突如ぶち切ってしまったのか。彼は最後にこう言いたかったのではないのか、「この全共闘運動の昂揚と、それへの社会の支持の背景には、高度経済成長がもたらした社会の荒廃、矛盾の顕現があったのだ」と。番組のあまりにも唐突な打ち切りは、このような現安倍政権にとっては「不穏当な」発言を放送したくないという「上からの」圧力と、それに営々として従うNHKの職員の弱腰の結果ではなかったのか。
突然の番組打ち切り後、NHKが流したのは「みんなの歌」とBSでのドラマ番組予告であった。
本腰を入れて制作された番組なら、それを放映する側も腰を据えてやるべきではないのか。今回NHKの会長に就任した籾井勝人の、無茶苦茶な放言に対しても、肝心のNHKは放道を自粛、あるいはコメントは全くしないというテイタラクぶりに徹している。これは既に「報道の死」を意味しているではないか。あえて全共闘的な問いを繰り返したい。「報道とは何か、誰のための放道なのか」
以下をご参考までに掲げておく。
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