国庫経済の罠に落ちたハンガリー ―ハンガリー経済に未来はあるか―
- 2014年 6月 5日
- 評論・紹介・意見
- ハンガリー盛田常夫
公務時間に副業-蔓延する腐敗
つい先日のことだ。水道局からメーター取り換え工事にきていた作業員が、「メーターから先の継ぎ手が古いので、交換した方が良い」という。ただし、「メーターから道路側の配管管理は水道局の責任だが、メーターから家側の管理は家主の責任になる」、「継ぎ手の交換はどの業者がやっても構わないが、交換のために道路の水栓を止めなければならない。しかし、それを止めるには、水道局の許可取得が必要になる」。このように継ぎ手の交換は非常に面倒だが、「今われわれがそれをやれば、10分で済ますことができる。15000フォリント(Ft=およそ7000円)かかるがどうか。ただし、領収書は出せない」というのだ。
要するに、メーター取り換え工事にかこつけて、小銭を稼ごうというわけだ。部品調達原価はわずかなものだ。少なく見積もっても公務中の10分間に10000(Ft(5000円)を超える副業収入が得られる仕組みだ。自分で顧客を見つける必要はないし、帳簿記入も必要ない。付加価値税、社会保険・所得税、法人税、地方税などの事務処理も不要だ。違法おとはいえ、これほど美味しい副業はない。ハンガリーではこれと類似する出来事にはたびたび遭遇する。
実はこの種の副業はハンガリーのみならず、旧社会主義国では日常茶飯に起きていることだ。とくに給与水準が低い業種や、特権的な地位の職種に典型的に見られる。
たとえば、公的病院の産婦人科医は妊婦の初診を終えると、次からは自らが経営するクリニックに来るように指示する。機器を必要とする検査などには病院へ呼ぶが、そうでない定期健診は私的クリニックでおこない、出産はまた病院でということになる。これなども、病院に来た患者を私的な経済活動に利用するインサイダー取引だ。
今は禁止されているが、一時期、多くの医師は病院の常勤医としてではなく、独立自営の非常勤医師として、病院に請求書を出して報酬をもらう仕組みが機能していた。常勤医の低い給与水準で長時間働くより、非常勤医として事業者のように働けば、実質の手取りが増えるからである。もちろん、その分、病院の医療体制へのコミットメントが低くなり、無責任な病院経営に陥りやすい。その弊害が明らかになり、請求書を発行して医師報酬を得ることは禁止された。
政府は医師の私的診療行為を容認する方法として、公立病院内に、私的なクリニックを開設することを認めた。「健康センター」と呼ばれる不思議な部署が、多くの病院に存在している。ここでは予約制にもとづく診療が行われており、一般病院に見られる患者受付窓口のない混乱極める順番待ちが不要だ。電話で予約すれば、無駄な待ち時間もなく、診療を受けることができる。ただし、ここでは公的健康保険は効かず、高額な診療報酬が要求される。もっとも、健康保険証を持っている方は10%割引と書いているところが多い。つまり、ここでは健康保険証はただの割引クーポン。今では、町のいたるところにこの種の「健康センター」が開設されている。公立病院ではすぐに診察を受けられる保証がないので、緊急を要する場合は、インターネットで「健康センター」の診療内容や専門医を確認して予約を入れる。すべて実費支払い。毎月の給料から、結構な額の健康保険料を天引きされているが、肝心な時に役立たない。
こういうダブルスタンダードなシステムやインサイダー取引が、ハンガリー社会のあちこちで観察される。いったいどうしてこのような慣行がまかり通っているのだろうか。
公企業の腐敗
2010年の総選挙で社会党が壊滅的な敗北を喫したのは、公共企業や地方自治体における腐敗が大々的に暴露されたからだ。長期にわたって政権を担ってきた社会党は地方自治体でも公共企業でも、議員や党の役員が地位を利用した横領を公然と行ってきた。
地方自治体の腐敗はそのほとんどが、公的所有にある不動産の売却に絡んでいる。この種の売却では、インサイダー取引が盛んに行われ、それが政治家(とその姻戚筋)やそれに連なる業者の資金源になっている。ブダペスト7区の区長だった社会党のフンヴァルトは、こうやって稼いだお金で、軽飛行機のほかに、ジャガーの乗用車3台や高価な中古車を保有していた。フンヴァルトの横領事件は現在公判中だが、これは社会党首長の腐敗の氷山の一角に過ぎない。
ブダペスト交通公社(BKV)は3000以上の下請け業者を抱える大きな公営企業体で、毎年巨額の赤字を国庫から負担してもらっている。この組織体の腐敗はお手盛りの役員報酬や退職金支払いだった。しかも、経理担当責任者が自らの退職金(1億Ft、5000万円)の書類を作成し銀行振り込みまでし、挙句の果てに退職後に再び高額報酬の嘱託として再雇用する契約まで結んでいた。それもこれも、この当事者の女性はブダペスト市議会副議長で社会党ブダペスト副本部長の片腕とも愛人とも言われ、彼の虎の威を借りてBKVを取り仕切っていたからである。この二人は逮捕され、現在も公判中である。
この事件が発覚してから、次から次にBKVを舞台とする業務上横領に類する腐敗が暴露された。架空の委託契約で、対価なしにBKVから業者(つまり、BKV幹部や社会党幹部とつるんだ業者)へお金が流されている事例が多数見つかった。3000を超える下請け業者の契約書を精査するコ国庫からの補助金も焼け石に水だ。
首都ブダペストのわずか7kmの地下鉄4号線は、着工から7年もかかったようやくこの春に完成したが、着工期間が当初の3年から7年に、総費用が当初の3倍に膨れ上がったこの事業で、どれだけのお金が下請け事業者に違法に流されているか、見当もつかない。大きな公共事業に政治的な関係を利用した業者が群がり、公金が食いつぶされる。
ハンガリー電力(国営)でも業務上横領事件が暴露された。本業と関係ない事業への資金支出によって損失を被った事件では、社長が国外に所有している会社へ資金が流れるような仕組みが作られていた。まったく成算のない事業へ投資が行われ、回収不能になってしまった事例が何件かあった。しかも、その詐取された資金が回りまわって、ハンガリー電力所有の発電所民営化の買収資金に使われていると怪しまれる事件が暴露され、新しい経営陣が国外の弁護士事務所に資金の流れの調査を依頼する事態にまで発展した。
少し時間を遡るが、1998年にFIDESZが政権をとって間もなく、ハンガリー資本の商業銀行Postabank本店に武装特殊部隊が入り、不正送金の疑いで役員を逮捕する事件が起こった。ちょうど同時期に、プラハでも大手商業銀行本店(旧投資銀行)にも武装特殊部隊が入り、頭取に銃を突きつけて連行する事件が起きている。とくにチェコの投資銀行の頭取は、知人の経済学者だったから、記憶に生々しく残っている。これら強制捜査は銀行を舞台にした資金の不法流出に関連したもので、ハンガリーのPostabank事件では流出した資金を使って、Postbankの所有権の一部の買い取りが企てられたと考えられている。つまり、手持ち資金なしに、銀行の所有権を取得するものだ。前述のハンガリー電力の詐取事件でもこれとほぼ類似したスキームが企てられており、これが体制転換における国家・党資産の配分の典型的な錬金術だ。
このPostabank事件では、頭取のプリンツ・ガーボルは一時オーストリアに逃げていたが、その後、一時的に拘置され訴追された。10年の長期にわたる公判は二転三転し、最後は端金の罰金刑(360万Ft、180万円)で幕が下ろされた。頭取だったプリンツ・ガーボルは銀行設立時より、すべての政党の指導者と関係を密にし、いろいろ資金提供の便宜を図っていたから、静かに舞台を去ってもらう方が、すべての政治勢力にとって都合が良かった。こうして、Postabankの損金1500億Ft(当時のレートで1000億円)は闇の中に消えてしまった。これに比べれば、水道業者の副業など可愛いものだ。
公企業や公的機関が腐敗の舞台になる理由
一般に旧社会主義国で既述した副業や腐敗がそれほど倫理的・法的な制裁を受けることなく蔓延しているのには、それなりの理由がある。
最大の理由は、旧社会主義権力そのものが、典型的なインサイダー・システムだったということだ。共産党党員で、しかも職場の上級幹部や党組織の上級幹部になれば、あらゆる特権を享受できた。そこにはインサイダーという観念や倫理自体が存在しなかった。それは体制転換後も長く続いている。
第二の理由は、上級幹部がやっていることは下級党員や非党員などは良く知っていた。だから、一般社員が職場で小さな「ちょろまかし」をやることに、良心の呵責など感じる必要もなかった。しかも、社会主義の原則によれば、すべては人民の所有物なのだから、庶民が低所得を補うために、会社の備品や商品を持ち帰ることにも、罪の意識など感じる必要はない。
第三の理由として、社会主義体制の下で、職場での副業が容認されていた経緯がある。教師は学校の教室を使って子供の家庭教師を行い、低賃金を補うことは、小学校から大学まで一般に観察できる現象だった(今も容認されている)。労働者の勤労意欲を育成するために、勤務労働時間外に職場で、自営業的な仕事をすることを推奨する時期があった。とくに、社会主義経済が行き詰った時に、どこでもこの種の公私混同的な業務が容認されていた。
第四に、社会主義経済下では、銀行融資に果たす政治判断のウエイトが高く、政治家の指示で融資された資金が不良債権になっても、誰も責めを負うことがなかった。銀行融資と政府補助金の明瞭な区別がなく、体制転換以後も、地場の銀行が外国の銀行によって買収されるまで、この慣行は持続した。
第五に、体制転換は国家・党資産の再分配という大掛かりな社会変動を必然化させ、全社会的に合法非合法な資産の取得や詐取が蔓延した。そこでは、倫理や法の支配が存在する余地がなかった。検察も裁判所も、体制転換の経済犯を取り締まる知識も能力もなかった。
国民経済の「国庫経済」化現象
社会主義時代から存続する社会的規範や法的支配の後進性は、体制転換が起きても大きな変化を受けていない。市場経済の発展が進まないので、市場経済の倫理や法理が人々や事業者を規制するまでに至っていない。他方で、政府は旧社会主義時代と同じように、GDPの過半を再分配している。ここに現在のハンガリー経済の最大の矛盾がある。
筆者は現在のハンガリー経済を、「市場経済でもなければ、資本主義経済でもない。ただの国庫経済である」という主張を行っている。生産分野は多国籍企業の進出によってほとんどが民営企業によって支配されている。ところが、国家は生産分野で生まれたGDPの過半を各種の税として徴収し、これを配分している。つまり、政府が所得処分を掌握している。だから、地場の民間業者にとって、最大の事業パートナーは、必然的に市場ではなく国家(国庫)になる。地場の民間業者にとって、政府や地方自治体の発注を受けたり、補助金を受けたりすることが、事業継続・拡大の生死を分ける。市場で顧客を探すより、公的発注や委託契約を受ける方が、はるかに事業成功の確率が高い。政治家と懇意になれば、補助金や委託契約金の詐取も可能になる。
こうして、ハンガリーは市場経済を発展させるより、公的発注に依存する経済を構築してしまった。政治家にとっても、こうして利権を握ってことが、最大のメリットを受けることができる。だから、政治家はこのシステムを変えようとはしない。
かくして、ハンガリーは「国庫経済」という罠に嵌ってしまい、そこから抜け出すことができなくなっている。国庫経済には未来はない。亡国のシステムである。与党の支持者は「電気ガス料金を下げた現政権はすごい」と称賛を送っているが、まんまと政治家の手に落ちてしまっている。もっとも、「アベノミックスで株価が上がった」と政権を称賛するのとそれほど大差ないが。
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