青山森人の東チモールだより 第272号(2014年6月29日)
- 2014年 6月 30日
- 評論・紹介・意見
- チモール青山森人
“プチブルジョワ”と「メディア法」
「メディア法」の行方は?
5月6日に国会で可決された「社会通信法」、つまり報道機関や情報発信者を許認可制度で管理し「報道の自由」「表現の自由」を著しく規制する、いわゆる「メディア法」は大統領による判断を待っています。
『インデペンデンテ』紙(2014年6月12日)に「メディア法、国会内で“消える”」という見出しのついた記事が載りました。見出しだけを見て、あまりにもひどい悪法である「メディア法」が国会を通過したものの国内外からの非難に耐え切れず国会は白紙に戻したか!と一瞬わたしは期待しましたが、そうではありませんでした。6月10日の時点で、ビセンテ=グテレス国会議長が大統領に送るための「メディア法」最終版をまだ受け取っていないという主張にたいし、この法案を取り扱う国会内の作業部会委員長はもう提出したと反発し、両者の意見が喰い違っているという内容の記事でした。たんなる手続きの行き違いのようです。大統領は国会を通過した法案を公布するか拒否するかの判断に30日間が与えられています。この法案にたいする大統領の判断まではまだ少し時間があるようです。
『テンポセマナル』紙の主宰で「東チモールプレスクラブ」の会長であるジョゼ=ベロ君は、6月8日、『シドニーモーニングヘラルド』に「メディアが口輪をはめられるという東チモールからの悪い知らせ」と題する文章を寄稿し、この問題を訴えています。「メディア法」は。「表現の自由」「知る権利」「報道の自由」を謳っている東チモール憲法第40条と第41条に反し、市民の利益のために作用する民主主義がエリートたちのものとなる「支配された民主主義」となってしまうとかれは主張します。そしてエリートたちは約157億ドルの石油基金を喜んで喰いつぶすことができるようになり、これこそがかれらが望んでいることだといいます。
閣僚・政治家・官僚たちの汚職を追及してきたジョゼ=ベロ君にしてみれば、報道の自由が封じられれば現状でさえも見逃されている汚職がさらにはびこってしまうという危機感を抱くのは当然のことです。そして「メディア法」は報道機関だけでなく、そして東チモール人ばかりでなく、外国人であれ市民団体・学生・フリージャーナリストさらにフェイスブックやツィッターの利用者を規制の対象にしようとする法律です。その主な目的は政府の開発事業に批判を与えさせないことにあるとジョゼ=ベロ君は睨んでいるのです。
「メディア法」の青写真ができた当初は反対していた野党フレテリンですが、党書記長であるマリ=アルカテリ元首相が飛び地オイクシの開発事業を任せられ、ル=オロ党首はこの7月にCPLP(ポルトガル語諸国共同体)の議長国となる東チモール側の責任者となることで、すっかりシャナナ=グズマン首相と仲良くなって与党化してしまい、「メディア法」に賛成票を投じました。総与党化した政治家やその周辺をジョゼ=ベロ君は「エリートたち」と呼んでいるのです。かれらの分け合うケーキは石油基金です。
“プチブルジョワ”根性丸出しのシャナナ政権
「エリートたち」のなかでもその中心的存在を ギニア=ビサウとカボ=ベルデの解放闘争の指導者・アミルカル=カブラル(1924~1973年)の表現を借りれば“プチブルジョワ”たちと呼べることでしょう。東チモールでいえば、1970年代半ばに政党を創設した者たちです。かれらはポルトガル植民地支配のなかで教育に恵まれポルトガル語の読み書きができるごくわずかなエリート階層に属し、ポルトガル植民地主義にとってその支配のために必要な存在でした。そのなかから民族解放運動で歴史的な役割を担う者たちが現れました。それはフレテリン創設者たちでありフレテリン中央委員会に属した者たちです。かれら革命的“プチブルジョワ”はインドネシア軍事支配時代では抹殺の対象でしかありませんでしたが、シャナナ=グズマン率いる解放運動は民衆を巻き込むことに成功し、生き残り、侵略軍は去り、独立を達成できたのです。問題はその後です。解放運動を指導してきた“プチブルジョワ”は自分たちの仲たがえの問題を抱えながら、国家機関の運営を担える能力のある者たちとして解放運動に消極的であった“プチブルジョワ”も招き入れ、国家を運営しています。かつて自分たちに食糧や隠れ場所を提供してくれた一般庶民で読み書きのできない人びとに国家運営に携わってもらうわけにはいかないのです。そして“プチブルジョワ”たちは権力者として何ができるでしょうか。石油・ガスなどの資源の開発や手工業・農業などの生産過程に直接関与できる能力があるでしょうか。ありません。かれらのできることは政治権力者としてせいぜい国と外国(海外企業)の仲介者となり、サービス階級として民衆ではなく外国資本に頼らざるを得なくなります。こうして東チモールの一般庶民と“プチブルジョワ”たちの溝は深まる一方であり、かつて民衆に支えられながら解放運動を指導した“プチブルジョワ”たちでさえも民衆と利益を共有するという発想が薄れてくるのはある意味では自然なことといえましょう。
“プチブルジョワ”が民族解放によって獲得した権力を維持するために民族えせブルジョワジーになるしかなく、それはつまり新植民地的状況に呼応することであり民族解放の裏切りを意味し、そうならないために階級として自殺し、民衆といま一度一体化しなければならない――(ちょっと大雑把で不正確かもしれませんが)これが“プチブルジョワ”としてのアミルカル=カブラルが導き出した結論でした。
「この二者択一 ――革命を裏切るか、階級として自殺するか――が、民族解放闘争の一般的枠組みのなかで、プチ・ブルジョワの直面するジレンマなのである」(『アフリカ革命と文化』(アミルカル・カブラル著 白石顕二・正木爽・岸和田仁 訳、亜紀書房 1980年)とアミルカル=カブラルの解き放った魅力的な命題は、旧ポルトガル植民地の現状を知るにつけ、残酷な現実にさらされているといわざるをえません。
「メディア法」は一般民衆の自由を縛り、自らの利権を確固たるものにしたい“プチブルジョワ”根性丸出しの法律といえます。東チモールの“プチブルジョワ”は「ジレンマ」を感じないのか。シャナナ=グズマン首相とその周辺の「エリートたち」をみていると、そう思えてなりません。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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