サッカーW杯が教えてくれたこと
- 2014年 6月 30日
- カルチャー
- サッカー盛田常夫
勝負事は実力だけでなく、運も左右する。前回の南アW杯ではどん引き守備を基本にしたカウンター戦法で、松井のセンターリングに本田が合わせた1本と、デンマーク戦の本田と遠藤の2本のフリーキックがドンピシャで嵌るという運が味方した。しかし、今回は前に出て対等に戦うという戦法をとったが、世界標準の戦いにまだ不足しているものがあることがはっきりしただけでなく、運にも見放された。ギリシア戦のパワープレーに批判はあったが、ゴールのチャンスはあった。それが一つでも決まっていれば、流れは変わっていた。コートジボアール戦も、せめて同点で終わっていれば、これほど苦しむこともなかった。数分間に左サイドを二度も崩され、リプレイを見ているかのように同じゴールを二度も決められてしまった。実力と言えばそれまでだが、相手側に運が味方した。
ザッケローニ監督と欧州で活躍している選手に過信があった。昨年のコンフェデ杯のイタリア戦、秋のオランダ戦とベルギー戦は、これまでの日本チームにはない戦いで、世界の強豪と互角に渡り合った。点の取り合いになれば、日本に活路が開けると言う過信があった。打ち合うゲームでは、相手選手との距離が広がり、スペースが生まれる。スペースが生まれれば、パスをつないで相手を翻弄することができる。昨年の欧州強豪とのゲームは、生まれたスペースの中で、日本の連携プレーが効率よく機能した理想的な展開だった。しかし、W杯では相手は簡単にスペースを与えてくれない。相手にコンパクトに守られてしまうと、それを突破するのは簡単でない。
バルセロナに代表されるスペインのパスサッカーが苦戦し始めたのは、ロンドン五輪である。フル代表ではなかったが、初戦で日本の圧力に押されて、後方でパスを回すだけに終わってしまった。歴史的な敗戦と呼ばれたが、いくらパスを回しても、ペナルティエリアに入ってこないスペインに脅威はなかった。今から考えると、これがスペインのパスサッカーの凋落の始まりになった。その流れは、2012-2013年の欧州チャンピオンズリーグで、バルセロナがバイエルンミュンヘンに大敗を喫したことではっきりし、今次のW杯予選リーグ敗退で凋落が誰の目にも明らかになった。
バルセロナのパスサッカーは、稀代のゴールゲッターであるメッスィ(編注=日本各紙誌の表記はメッシ)がいるから輝く。最後にメッスィが決めるシステムとしてチームが機能している。ところが、決める人がいないスペインサッカーは、ただのパス回しになってしまう。スペインの最大の弱点は、日本チームのそれと同じで、パワフルなフォワードがいないことだ。他方、メッスィが代表チームで輝けないのは、彼を支える優れた脇役たちがいないからである。だから、パスサッカーそのものが否定されたのではなく、フィニッシュにもっていく点取り屋がいなければ、パスサッカーだけでは勝負にならないことを教えてくれているだけのことだ。
王貞治がホームランの「世界記録」(といっても本数だけの比較でそれほど意味あるものではないが)を作った時に、大リーグの記録保持者であるハンク・アーロンが日本へ来て、王と一緒に本塁打競争を行った。当時の週刊誌のグラビア写真を忘れることができない。二人が肩を組んでいる姿を後ろから写した写真だった。まるで大人と子供の体格の違いに驚いたのを覚えている。お尻の大きさは半端でなかった。これでホームラン数を比較することの無意味さを悟ったものだ。
今次のW杯でも同じ光景に出会った。日本チーム主将の長谷部選手が試合前に、コートジボアール主将ヤヤ・トゥーレ選手と握手を交わした時だ。180cmの背丈のある長谷部選手は日本選手でも大きい方だが、トゥーレ選手は一回り大きく、ハンク・アーロン選手のようにお尻が大きい。こんな大きな選手が突進してきたら、それを止めるのはたいへんだと実感した。子供の時からよく言われたことがある。スポーツの技量が同じなら、体格が良い方に分がある。小さな選手が全力で走っても、同じスピードなら、大きな選手が大きなストライドで走る威圧感は比べものにならない。これでは日本の最終デフェンスラインが苦労するだろうなと思った。
もっとも、サッカーでは小柄な選手が多い。そこが体全体を使えるラグビーと違うところで、体格よりも技量が大きな要素をもつスポーツだと言うことが分かる。しかし、同じ技量なら、やはり体の大きな選手に分がある。だから、日本も選手の体作りに力をいれなければならない。170cm程度の背丈なら、少なくとも75kg程度のウェイトで筋力がないと、大柄な選手と渡り合えない。それはたとえば、同じ背丈のルーニーと香川の違いでもある。
もう一つはっきりしたことは、日本選手に縦のスピードがないことだ。最終のコロンビア戦でも、ゴールを決められたカウンターでは、ほとんどが走りで振り切られている。本田選手がもう一つ見劣りするのも、このスピードである。ボールを奪われると、それを奪い返すスピードがない。W杯のような大試合では、一瞬のミスをチャンスにできるスピード勝負になる。オランダのロッベンがバルサを粉砕したように、今次のW杯でもロッベンのスピードがオランダを勝利に導いている。こういう選手が日本にいない。
日本ではディフェンスの裏に抜けるフォワードの動きが注目されるが、W杯のようなディフェンスがコンパクトに守備を固めているゲームでは裏を取るチャンスは非常に少ない。このような守備を打破できるのは、一瞬のチャンスをものにできる縦へのスピードである。逆に見ると、日本が決められたゴールのほとんどがこれだ。パスで守備陣形が崩されたのではなく、相手のスピードについて行けなかったケースがほとんどだ。
ここから分かることは、日本が世界標準で戦うために足りない駒が、大柄でスピードがあるフォワードの存在なのだ。ザッケローに監督は保守的な選手起用に終始したが、宮市選手(編注=アーセナル所属)のようなそれなりの体格があって、スピードを兼ね備えている若い選手を抜擢すべきだった。いつも思うことだが、W杯では世界的に名は知れていないが、スピードがあってパワフルに躍動する選手を見つけることができる。アメリカやオーストラリア、あるいは南米のチームには、世界の二部リーグで活躍する選手で、90分間、疲れを知らずに走り回っている選手が多数いる。これを見ると、何となく体が重そうだった日本選手と比べて、技術以前に、基礎体力が違うなと思ってしまう。
日本にとって今次のW杯は、世界標準で戦うための課題が見えた大会だった。
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