悲観しているひまはない -「憲法9条にノーベル賞を!」の運動にご参加を-
- 2014年 8月 8日
- 評論・紹介・意見
- 宮里政充憲法9条
日本を「戦後レジーム」から「脱出」させ、「積極的平和主義」によって国際的地位を高めようとする安倍首相は、とりあえず現憲法を骨抜きにしたあと、やがて自衛隊を国防軍とし、武器輸出その他軍需産業の復興、化学兵器やロボット兵器の開発などを狙っているように思われる。
閣議決定によって外国における自衛隊の武力行使が容認できるという手法を用いれば、徴兵制の実現も不可能ではないという声もボチボチ聞こえてくるようになった。次の大きな選挙の前に、自主憲法制定・自衛隊の国軍化・徴兵制の導入・日本の核装備などを党是とする極右政党が出現することもあながち非現実的とは言えなくなってきた。
安倍首相がその政策を実現させるためには、「東京裁判史観」を覆して戦前・戦中そして戦後の歴史を書き換える必要がある。もちろん「戦犯」などは存在しなくなるから靖国神社参拝について国の内外からとやかく言われる筋合いもなくなる。日本はこれまで侵略戦争などしたことはなく、むしろアジア諸国を大国の圧迫から解放してやったのだ。「自虐史観」などぶちのめして「美しい日本」の誇りある歴史を取り戻さなければならない。そのためにもう一度「天皇」にご登場願うことになろう。靖国神社やNHKを国営化し、教科書も国定化したいが、それにはもう少し時間が必要だ……。
だが、安倍首相の「戦後レジーム」からの脱出は実現不可能である。なぜなら、「戦後レジーム」の根幹をなす日米安保条約を廃棄し、日本から米軍基地を完全に撤退させ、独立国の体裁を整えることなどできるはずがないからだ。「日米地位協定」の中の1文字さえも変えることができない現実は、沖縄で米兵が犯罪をおこすたびにあらわになってくる。つまり、日本は敗戦から今日に至るまでアメリカの属国に過ぎず、これからもそうあり続けるであろう。
不思議なことに、安倍首相を取り巻く政治家・ブレーン・御用学者や知識人たちは親米派である。アメリカに首根っこをつかまれていることをむしろ喜びとしている。これをして「自虐的」と言わずに何というか。
ところが、日本国民にとっての不幸は、日本の右傾化と平行して、アメリカの意向次第で日本が集団的自衛権の名目で世界の至る所で武力を行使するというシナリオが準備されているということだ。
イスラエル軍によるガザ地区への攻撃は目を覆うばかりの惨状を呈している。その攻撃は学校や避難所など民間人を目がけて繰り返されている。「ここは避難所だ! ここからどこへ逃げろというんだ!」と叫ぶ女性のそばを血にまみれた赤ん坊や子どもたちが担架で運ばれていく映像は、見るのはいたたまれない。だが、イスラエルのプロソール国連大使は記者団に対して「自衛権行使に対する避難は納得できない」と述べ、オバマ大統領も「イスラエルの自衛権行使を支持する」と強調した。
国連人権評議会がガザでのイスラエルによる戦争犯罪について調査を開始するための会議を開き、決議案賛成29、反対1(アメリカのみ)、棄権17の結果を得た。棄権したのはEU諸国と日本である。7月23日の定例記者会見で米国務省のハーフ副報道官は「偏向した反イスラエル行動の一つだ。われわれはたとえ一国でも、イスラエルのために立ち上がる」と不快感をあらわにした。日本はといえば、それがどんなに非人道的で残虐を極めた戦争行為であろうと、アメリカがやることに刃向かったり、意見を述べたりすることはないということが明らかになった。
要するにアメリカや日本が言う「自衛権」や「集団的自衛権」とは今、現に行われている戦争をまるごと容認・支持する内容であるということだ。ベトナム戦争も湾岸戦争もイラク戦争ももちろんこの二つの言葉の中に包みこまれることになる。「必要最小限度の武力行使」など、どこかへ吹っ飛んでしまうのだ。そればかりか、おそらく「日本軍」はアメリカに高く評価されようとして、必要以上に張り切ってしまうだろう。
さて、ここまで書いてきて、「お前は何かものを言ったつもりか? こんな愚痴は何万回繰り返したところで何の意味もないんだよ」という声が聞こえてくる。確かにおっしゃるとおりだ。私は憤懣やるかたない思いをパソコンにぶつけているに過ぎないのだから。かといって、私個人が社会や政治を揺り動かす力などあるはずもない。にもかかわらず、私は黙している自分に耐えられない。そこで、今自分ができることのひとつを述べ、諸兄姉のご判断を仰ぎたい。
安倍首相は現在の所、少なくとも、憲法「改正」には手をつけていない。集団的自衛権容認に反対する勢力の中には、憲法解釈などという姑息な手段ではなく正々堂々と憲法改正に取り組めといきまく人たちもいる。憲法を変えるとなると国民の大多数の反対に会って「改正」は実現しないだろうと踏んでのことだろうが、国際関係のバランスが崩れたり、日本の経済状況が悪化して国民生活がにっちもさっちもいかなくなったり、逆に安倍政権の政策が成功をおさめて日本が自信を回復したりなどすれば、日本国民は憲法を変えようとする権力の動きに違和感を持たなくなる可能性もあるのだ。
振り返って、身の毛もよだつ行為を容認し支持しはては自らも熱狂的に実行した歴史を持つ国の例は枚挙にいとまがない。しかも、その恥ずべき行為を白日の下にさらして反省し犠牲者に謝罪する勇気を持つことは至難の業である。「あの戦争は間違っていなかった。戦争に犠牲者はつきものだ」と開き直ることで人間としての誇り、国家としての誇りを保とうとするのが関の山なのだ。
憲法9条は時の政権や政治情勢によって手を加えるべきものではない。世界中のどこの国へ持って行っても感動を与え得る、新鮮でかつ永遠の真理を含んだ、日本国家の貴重な財産だ。そこには憎しみと復讐の連鎖はない。血にまみれた子どもの姿も、累々たる屍を踏みつけながら英雄気取りで微笑む兵士の姿もない。
安倍首相はこの「憲法9条」をひっさげて「つまらないからケンカはやめよう」と世界中を駆けずり回って汗を流せ、銃を向けることで保たれる平和を「積極的平和」などと勘違いするな、と私は言いたいのである。
そこで、時の権力者が憲法の条文に手をつける前に、「憲法9条」を世界の人々に認知してもらう活動「憲法9条にノーベル賞を!」の運動に私は期待している。たとえ、集団的自衛権による武器の使用が現実に行使されようとするとき、「憲法9条」が世界の財産である限り、それは強力な歯止めとなり得る。
集団的自衛権に賛成し、憲法「改正」を主張する人々は「戦後日本の平和は日米安保条約によるものであって憲法9条のおかげなどではない。ノーベル賞はGHQに与えればいい」と冷笑する。これは戦後70年の平和を維持してきた日本の歴史を見誤っているだけでなく、日本国民を実に馬鹿にした見方だ。明らかにアメリカの戦争犯罪であったベトナム戦争やイラク戦争などに、日本が手を貸さなかったのは「憲法9条」があったからだ。だからこそ、いくらアメリカ好きの小泉首相でさえも、安倍首相のようなまねはしなかった。
「憲法9条にノーベル平和賞を実行委員会」の賛同者は、そのブログhttp://chn.ge/1bNX7Hbよれば現在62000余人である。100万人を目指しているにしては少なすぎる。日本全国には数千に及ぶ「9条の会」があるはずだし、東京だけでも100は超える組織があるはずなのだが……。
悲観しているひまはない。ブログにアクセスしてご一考願いたい。ささやかに1票を投じた私のやむにやまれぬ願いである。(2014/07/30)
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