ウェディングドレスとカラオケ
- 2014年 8月 31日
- 交流の広場
- 藤澤豊
たかだか一週間ほどの滞在でなにが分かるとも思わない。多少分かったような気にさせてくれることもあるが所詮表面的にみえたものがみえただけに過ぎない。それでも見せたいものを見せられて終わらないように注意して真っさらな状態でできるだけのものをみてやろうと心がけてきた。前もって情報なり知識なりを持って望めば見落としは減るだろうが、予備知識や余計なバイアスのかかっていない最初の印象や感動にはそれ以降の何度でも積み重ねてゆける知識や理解とは違う意味がある。
チューリッヒから急行列車で一時間ちょっと西に行った人口一万五千人ほどの町。そのあたりでは結構な町なのだろうが、東京から出かけたものには田舎町にしか見えない。駅から南に十分も歩けば町の中心というのどかな町。町の中心のホテルに泊まりたかったが、ホテルと仕事先の往復は車で送り迎えしてもらう立場、贅沢は言えない。会社が町を一歩出た北側にあるので、町の中心とは反対側にあるホテルにお世話になった。
ホテルを出てちょっと歩けばガススタンドと一緒になったコンビニのようなスーパーがあるが、それ以外は何もない。宿泊客はほぼ百パーセントビジネス客で占められるどこにでもある三ツ星ホテル。不便や不自由をいったら切りがない、仕事でお世話になるのはまあこんなところかと諦めがつく。
仕事も一段落ついた土曜の朝、ゆっくり起きて朝食をとレストランにいったら、いつもと様子が違う。土曜日なので客もほとんどいないしバフェに用意されている食材も少ない。それなのに厨房にはコックもウェイトレスもいつもより多い。毎朝朝食で顔を合わせていたウェイトレスに今日は何事かときいた。あっちのボールルーム(と呼ぶほどのものでもないが)で午後ウェディングパーティがある。二百人を超す大きなパーティで、その準備に忙しいとのことだった。
米国では何度か教会から出てきた花嫁に出くわして、きれいないいものを見せてもらったと嬉しくなったことがある。今夕も綺麗に着飾ったスイス人の花嫁さんを遠目にでも拝見できるのかと軽い期待をしていた。
部屋にいてもやることもないし、テレビを見ても面白くもない。インターネットは今頃ここまで遅いのがあるのかというほど遅く、使えばイライラする。どうやって時間を潰すかと考えてみても何があるわけでもない。しょうがないから町の中心に向かってとぼとぼ歩いて、何の目的があるわけでもなく気になる店があれば入って気になるものがあればを繰り返した。昼食にレストランに入ったが、英語のメニューもなし、なんとか通じる英語で頼み易いというだけで選んだ。出張先で空いた日、何のしようもないゆったりと過ぎてゆく時間を満喫してかするしかなくてか、夕方早いうちにホテルに帰還して退屈な一日が終わろうとしていた。
ホテルに着いた時にはパーティの受付が始まっていた。東洋系の男の人がよいしょっという感じでスピーカ抱えて会場に運んでいた。スイス人(見たところ)もいるのだが、圧倒的に東南アジアからの人たちの方が多い。子供連れも多く、小学生や幼稚園くらいの子供がホテルの正面玄関の前や狭いロビーを走り回っていた。東洋系のオヤジが気になるのか何人かが話しかけてきた。ベトナム人の花嫁にスイス人の花婿だという。
十時を過ぎてもパーティは延々と続いていた。ウェディングパーティで始まったものがまるでベトナム系の人たちのカラオケ大会になっていた。数日前、仕事で日本に何度も来たことのあるスイス人と偶然カラオケについて話していた。彼の話からすると、スイスにはカラオケ文化は少なくとも今のところ根付いていない。スイス人は歌うならカラオケの助けなどあろうがなかろうが歌うということだろう。
もうすぐ翌日という時間になってもカラオケ大会が終わりそうな雰囲気がない。ベトナムの人たちがまるでこの時とばかりに歌い続けていた。スイス人の歌は聞かれなかった。ベトナム人好みの曲しか用意されていないためだけとも思えない。歌う気になればスイス人だって歌うだろう。ただ、ウェディングパーティをカラオケ大会もどきにする文化がスイス人にはないだけではないかと思う。
十二時もとうに過ぎて花婿と花嫁が出てきた。真紅のドレスだった。ドレスと呼んだら失礼になるかもしれない。それはベトナムの民族衣装の花嫁衣装だった。花嫁衣装にちょっとした感動があったが、それ以上に欧風のウェディングドレスと勝手に思い込んでいた浅薄なというのか日本から引きずってきたバイアスが恥ずかしかった。
スイス人と結婚するのがもし日本人の女性だったら日本の花嫁衣装に身を飾る人がどれほどいるだろう。日本における結婚式でも欧風のウェディングドレスが一般的になって、日本の花嫁衣装は影の存在になって久しいのではないか。
キリスト教徒でもないのに神前結婚より教会か教会もどきでの結婚式がフツーになっていることに何の違和感もない。これこそが日本人の、日本文化の誇るべき長所だろう。良く言えば鷹揚さというのか懐の深さ、問題視すれば曖昧な自覚というのか自我。それゆえに気に入ったものがあれば何の躊躇も抵抗もなく受け入れ、土着化してしまう。
チューリッヒとその近郊のベトナム人移民社会はそれほど大きなものでもないだろうし、政治的、経済的にスイス(ドイツ語圏)社会に変化をもたらす影響力を持っているとも思わない。強固で圧倒的なスイス社会の政治経済文化のなかで、あるいはそうだからこそかもしれないが自分たちの文化を固持しようとする自意識が強くなる。環境が強くしてしまうベトナム人としての自意識、それでもそれを堅持しながらもスイスに融合しなければ日常生活に支障がある。
移民を受け入れるスイス側にしても移民からスイスの文化や日常生活に大きな影響がでることを許容するとは思えない。移民が独自の文化や価値観をスイスに持ち込むのはいいが、できるだけ早くスイスに融合すべきと思っているだろう。
歴史に培われたスイスとベトナムの文化や価値観。どっちが上とか下とかの話でもないし、どっちがどっちに融合され吸収されるべきだという議論になんらかの意味があるとも思えない。異文化が持ち込まれた先で時間をかけて二つの文化が影響し合い、融合してどちらの文化も変わってゆく。問題は一方が他方に融合されるべきという文化と文化の対立ではなく、どのように融合してゆけば豊かな文化や社会に発展してゆけるかにある。
これは受け入れる側の文化や歴史がどれほど堅牢に固まっているかにかかっているような気がしてならない。日本人が異文化に対して寛容であるとか、異文化の取り込みに積極的だとも思わない。思わないが日本の文化そのものが大陸からのヨーロッパからの米国からの異文化の流入と吸収によって形成されてきたことを思うと、日本人は自分たちで思う以上に異文化を受け入れ吸収することに慣れているのかもしれない。
ウェディングドレスとカラオケ、些細なことかもしれないが、なにか象徴的なことに思えてならない。
20148/27
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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