押し合いと引き合い
- 2014年 9月 4日
- 交流の広場
- 藤澤豊
本格的な重工業化が始まった頃、タイの巨大財閥の形鋼一貫圧延ラインプロジェクトに応札した。客はタイの財閥が51%、日本の電炉メーカが49%の合弁会社だった。数年前に、米国で日本の電炉メーカが米国の電炉メーカと合弁でほぼ同じ規模のプロジェクトを完了したばかりだった。そのプロジェクトで電気制御系とモータ動力系を担当した実績-ヘトヘトになりながら完遂した-をもとにタイのプロジェクトを懲りずに取りに行くことになった。
タイの財閥の主要設備はほぼ全てヨーロッパ製で、電気制御系もドイツの巨大重電エンジニアリング会社が担当していた。極端な言い方をすれば、製造設備(特に電機系)の点ではタイも含め日本を除いたアジア全体がヨーロッパの植民地のような感がある。製造設備を規定している規格も仕様も、操業体制も保守体制も全てドイツを、よく言えば手本としているというか、そのまま持ってきているような状態だった。
日本の電炉メーカは金に汚いと言っても失礼にはならないどころか、まだ言い足りないところだった。タイの財閥に任せておけば、機械系も電気制御系も実績のあるドイツの会社が無風で受注することになる。値切る、ベンダーを叩くのを誇りに思っている電炉メーカが、ドイツメーカを叩くために日本と米国の電機制御メーカをタイに引っ張りだした。
日本と米国勢の構成は大まか次の通り。絵に描いたような混成部隊だった。モータ制御系を担当した日本の重電メーカは、米国支社の副社長(重電出)がリーダで、日本の重電事業体の営業と技術陣、土木工事は子会社。電気制御系を提供する米国制御機器メーカは、米国のドライブシステム事業部のDirectorが率いた子飼いの技術陣、日本支社の営業、アプリケーション開発の(下請け)としてインド支社の技術陣、クエートに永住のつもりだったが、数週間前の中東戦争でプーケットの別荘に避難したままタイ支店を開設する羽目になったイギリス人。日本と米国プラスアルファの構成だが、多少米国人になりすぎてしまった感のある日本の重電メーカの米国支社の副社長と米国の制御器メーカのDirectorが個人的に親密な交流もあって米国流二人三脚でチームを引っ張った。
タイの財閥側の担当者と日本の電炉メーカの担当者の間には埋めようのない溝があった。資本構成では49%だが、電炉操業ノウハウを提供するという上から目線でタイ側の自由にはさせないという姿勢。タイ側にしてみれば、ドイツのメーカに任せて問題なくきているのだから、今回もそのメーカに任せればいい、余計な口出しは無用。金に汚い電炉メーカは、任せるのはいいが、言い値をどれだけ叩いて安くできるのか?タイの技術陣では技術上の問題を持ちだされてはぐらかされて高い買い物をさせられるのではないか?。。。当然、ドイツメーカはタイ側から切り崩し、合弁企業の上から下までの担当者を何度もドイツ工場視察付き観光旅行にお連れする。向こうで何があったのか日本の電炉メーカの担当技術者から逐一リークというか対抗策のアドバイスというか、米国企業では受け切れない要求が飛んできた。
ここに日本の電炉メーカ内の役員とプロジェクトマネージャとその配下の実務担当者の間で人柄まで絡んだ確執、利害の交錯がこっちにまで滲み出てくる。役員には米国のプロジェクトの時の貸しがある。ケチが高じて自業自得-個々の担当者しか置かず、プロジェクト全体を見る人と組織を置かなかったためプロジェクトがぐちゃぐちゃなった。それをなんとかせんがためのプロジェクト進捗会議で人払いまでして収拾を頼まれて走り回った。今回も似たようなもんで、担当技術者と密に情報を交換してプロジェクトをまとめてもらいたいと(ただし、その類のサービスには金は出さない)。
問題はプロジェクトマネージャだった。機械系は当時製鉄業界の世界のトップメーカのプラント事業部が受注することは間違いない状況だった。プロジェクトマネージャは何年か前に、その製鉄会社をレイオフされて、電炉メーカに拾われた人だった。コンプレックスもあったろうし、嫌な思いもあったと思う、同情まで行かなくても気持ちを察するくらいの気持ちはこっちにもある。ただ、度が過ぎる、まるで「江戸の敵を長崎で」の見本のような振る舞いに終始した。まとめようとする以上にベンダーを叩いて、困らせて己の得た権力がどのくらいのものかを誇示する方に気がいってしまって、やっと合意にと思ったら、横から重箱の隅をつついて、どうでもいいことを持ちだして話を振出しに戻そうとした。それも英語がほとんどできないといっていいレベルだったので、彼が話しだすと、何を言いたいのか想像が付くまでに時間がかかった。後になって思えば、寂しい人だった。
値切られ値切られ、譲歩に譲歩を重ねて、理不尽な要求も何とかパートナーと一緒に吸収する算段をしながら半年以上に渡ってTechnical Reviewとは名ばかりの四日間程度のミーティングを繰り返した。月初に行って、返ってきたら月末の週にやるから来いと招待がくる。タイの財閥側の人たちには標準はドイツのシステムで、これに比べてどうなんだろうという質問に応えるかたちでミーティングが進む。前回、前々回話したことがまた聞かれる。何回Technical ReviewをしてもReviewの内容は変わらない。同じところをぐるぐる回っているだけに過ぎない。タイ側が聞く、米国側が応える。米国人にも日本人にもタイ側が納得しているように見える。見えるのだが、答えた内容はタイ側が期待している内容ではなく、タイ側は何も納得していない。彼らの穏やかな話し方、態度、全てから、見たところは納得しているようにしか見えない。お互いに合意事項としての議事録にサインして四日ほどのミーティングが終わる。ところがニ週間もしないうちにまたTechnical reviewの案内が届く、内容は前回、前々回とたいして変わらない。
似たような話が繰り返される。米国側は“世界標準のやり方”で、前回、双方サインしたのだから、それでプロジェクトの受注が間違いないと信じている。タイ側は納得していないし、何も決まっていないと思っている。会議をすれば、米国側のロジックで米国側が主張する、タイ側はそれを受け流す。相手の言い分を穏やかに聞く。決して相手を押し返さない。相手はそう思っているのだと理解はしましたよって感じなのだろう。ミーティングは一日に何度も暗礁に乗り上げる。続けてもしょうがないと数人が部屋を出て、廊下でタバコを吸っている。そこに関係者が集まってきて廊下のあちこちで立ち話の個別ミーティングになる。あっちの個別ミーティングの要求をこっちの個別ミーティングで話して、。。。個別ミーティングの間を行ったり来たりする羽目になった。そのうち、また個別ミーティングの合意を基に会議室で全体会議になる。そして、また分裂。。。。
タイ側は決して言葉を荒げないどころか微笑みを絶やさない。何時も相手に対して気を使う。気を使いすぎではないかと思えるほどにこっちのことを考えて、薄気味悪いくらい親切にしてくれる。変な比喩になるが、こんな感じと思って頂ければいい。
ここに、疲れきった人が二人いる。椅子は一個しかない。米国流の交渉では、相手のことには関係なく自分がいかに疲れていて椅子に座る権利と理由があるかを主張して相手を押し込んで、相手に押し込まれて、押して押されてバランスしたところが合意点。タイでは、自分が座らなければならない理由ではなく、相手が座らなければならない理由を主張する。相手も同じでこっちが座らなければならない理由を主張する。ちょうど引いて引かれてバランスしたところが合意点。
米国側は交渉で相手を説得した、勝ったと思っている。そこへ、日本の電炉メーカの担当技術者から実情のリークが入ってくる。内容を米国側の米国人と米国人に近くなってしまった日本人に伝える。交渉は“押すもの”としか考えられない彼らには実情を説明しても分かってもらえない。もらえないどころか、お前は何を言ってると叱責されるありさま。挙句の果てに、頭の乱視のせいで自分に都合のいいようにしか物事を見れない日本支社の社長はそれを真に受けて要らぬ一騒ぎが起きる。
最後は、タイのコングロマリットの人たちとほとんど話にならない状態まで関係が悪化してしまった。多分、こっちの顔は二度と見たくないと思っていたと思う。それでも、最後に別れる時にタイ側の人たちの本当にしか見えない微笑みと次のプロジェクトでは一緒に仕事をしようと、タイに来ることがあったら電話して。。。しっかり握手して。。。 米国人は狐につままれたような顔をして、こっちはそういうことだと何度も反芻して、巨大財閥を後にした。
個人的には、半年以上もかけて異文化の勉強をさせて頂いて、異文化を勉強しえない文化の人たちもいることを知って終わった。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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