教育問題の根本と大衆の問題意識について
- 2014年 10月 16日
- 交流の広場
- 武田明
安倍政権の大学入試改革 -素人談義の危うさ-
http://chikyuza.net/archives/47851
今日、8日になって、上記の様に、教育問題の根本を安倍政権が、多数派与党を背景にして私物的に改悪せんとしているのではないかとの指摘が掲載されています。
根本的に教育問題を考えるべくあるのは今日の「教育格差絶望社会」問題と符合して重要な社会階層問題とのかかわりを持っている様に感じています。
サルトルが、「唯物論と革命」だったか
ブルジョワジーの様な執行猶予である大学過程を否定して労働者として労働現状から若者たちが具体的に学び取ろうとしていると書いていたこと。
そして、現代の若者に絶大な人気を持っていまだに語りつがれている「機動戦士ガンダム」シリーズのファースト作品であるのですが、…
それは、ちきゅう座的には、知らない人が多いと思いますので、解説するなら、戦火に逃げ惑う民間人が、正規軍に反乱を起こして戦い続ける物語として開始されています。
ミライ「軍規、軍規それがなんだって言うんですか?」
ワッケイン「民間人に軍規の大切さを今語っている暇はないが…」
この問題が大きな問題の様に思えています。
学校と言う収容所に押し込められ、勉強嫌いにさせられている国民が多いことが、根本であり、憲法で保障されている「学問の自由」が、侵害されている事の問題を打開していくのでなくてはならない。
どうでも良い基礎(庭)だけで本殿たる学問の面白さに携われない大多数の「羊たちの沈黙」的国民=消費者を形成せんとするならこのままで良いでしょう。
しかし、それも、限界に来ている様に感じています。
国民は、怒る気力さえ奪われてしまっているのではないでしょうか?
否、怒るべき知識基盤、真の教育学習基盤さえ失われていると言う事です。
そのために、大衆に開けられた「現代史研究会」などの市民学習会や「ちきゅう座」が役割を私的な範囲ではありますが持続して語り掛けていたはずです。
マルクス経済学も大衆から遠ざけられ、学びたいものを学ばせない事にもなっている故に、国民は、反逆の逆反逆、左翼嫌いとなり、
動物的な悲鳴となり、ヘイト主義的差別主義的土壌に国民を置き去りに結果として置き去りにしていることが問題なのです。
少なくともインターネットを活用して呼びかけるのであるなら大衆へ呼びかけるのでなくてはならず、学者やエリートの自己満足的な閉塞としてはならないはずです。
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