テント日誌11月11日…少し遅れての鹿児島、および川内からの報告
- 2014年 11月 13日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1158日 商業用原発停止421日
少し遅れての鹿児島、および川内からの報告
11月5日からはじまった川内原発再稼動の同意をとりつけようとしたが実際は11月7日になってしまった。11月7日には鹿児島県議会が同意を経て知事が「国民生活のレベルを守り、我が国の産業活動を維持する上で再稼動はやむを得ない。政府の再稼動を理解する」と声明した。伊藤知事はこの理由として、「①原発の必要性と事故発生時の国の責任が明瞭になった。②原子力規制委員会の審査で安全性が確認された。③薩摩川内市や県議会の同意を得た。」などを上げている。これらについてそれぞれ反論するのは馬鹿らしいほど無内容なものだ。例えば、原子力規制委員会に対して日本火山学会が異議申し立てをし、申し入れをしていることをどう考えるか。これ一つでも事は明白である。やはり、「やむを得ない」ということで原発再稼動することがおかしいのである。この間の福島第一原発事故と現状一つをみても、原発がこうしたことで稼動させることの愚かさをすぐに気がつくであろう。
どたばたの内に就任しなにかと話題の多い宮沢経産大臣が県議会前に駆けつけて「万一の事故の際は、国が関係法令に基づき責任を持って対処する」と語ったことを県議会や知事は拠りどころとするが、福島第一原発の事故に対する政府の対応をどう見てきたのかとおいいたい。国の対応の出鱈目さをいまさらあげるまでもないが、こういう発言に飛びつき、自己の責任をあらかじめ回避し、自己の原発に対する明瞭な判断を欠いているのは許しがたところだ。責任のある地域の首長としての判断の片鱗も見えないではないか。現地では伊藤知事は「県民の命を売った」という批判が渦巻いていたが、当然のことである。原発の重みに対する認識も、また、それを受け止めることもできないで、電力会社や官僚の代弁者にすぎない姿にがっかりした人も多いのではないか。鹿児島には明治維新の元勲などの銅像も多いが、彼らの気概や反骨の一片すら受け継いでいない。県庁前に建てられた脱原発テントは10日には久見崎海岸に移転した。県議会や知事の同意声明で再稼動が決まったわけではない。闘いはこれからだし、地元の人たちの決意として語られたように、やはり事はこれからだ。
再稼動反対旗はためく久見崎海岸にて
「浜の茶屋」を超えて砂浜に向かうと色とりどりの旗が強い風に舞っていた。おお、これは『7人の侍』だなと思った。旗の向こうにはテントがあるが、一カ月余を経ての訪問だ。あれから、台風を凌いでどっしりと根を下ろした感のするテントだ。段々と寒くなり、雨風も半端ではないこの地でテントを維持する面々にあらためて敬意を表す。そして、百行の言葉より、一行の行動のほうが大事であることを思う。この行動は多くの人々に波紋として広がることを願う。
対岸ともいうべき甑島列島に日も落ち浜辺が暮れなずむころに波際を歩いた。あまり波立たない海であった。以前から見れば流木などが片付けられて綺麗になってきていた。本当に綺麗な砂浜になるには今一歩であるが、赤亀が産卵に上がるためにはまだ時間はある。地元の人の話ではこの砂浜はかつて有数の海水浴場であったそうだ。昭和のはじめには与謝野鉄幹・晶子夫妻も訪れたそうだ。今は海亀、クジラ、イルカなどの死亡漂着が見られる。となりの寄田海岸は原発の排水口のあるところだが、サメ、エツ、ダツなどの死亡漂着が見られ。その数は他の海岸では見られないおびただしい数だと言われている。かつての美しいそして海の生き物の豊富な海は、死亡漂着する海に変わっている。その因果関係は証明されてはいないにしても、これが原発のもたらす現在と未来の問題を暗示していることは推察される。水俣で猫の狂い死にが水俣病を表現していたことが思い起こされる。自然の原発に対するこうした反応は僕らの内部や存在にもあるはずだ。これらは人間が自然から離れることで見えなくなってきたこと、あるいは忘れていきたことや隠してきたことである。文明の名の下に人間が自然を克服してきた歩みの中で起こってきたことだ。自然界にある者たちのこの反応は我々の存在の見えないところで起こっていることを示しているのだ。僕らが自然と離反して行くことで失ってきたものを暗示しているのであり、僕らの未来を暗示しているのだ。
夕食の後に再び月明かりに白く光る波打ち際にきた。「月は東に日は西に」と言われる通り、甑島列島の方に日が沈んだ後には満月に近い赤い月が日が東から昇り、砂浜を照らしていた。暗闇の砂浜は薄明になっている。波打ち際を歩いていると自然に「青い月夜の浜辺には 親を探して鳴く鳥が 波の国から生まれ出る」という歌を口ずさんでいた。浜千鳥だが親を探してではなく、僕は何を探しているのか、そんな思いに駆られた。砂浜の今を地元の人に聞いて、僕は産業社会が行きついた現在に深い危機を持ちながら、それを超えて行くみちを探しているのだと思った。死亡漂着する海の生き物の反応は人類が産業として生み出したものの矛盾と危機を表現している。僕らはこれに加えて不可視の内に精神の危機にも直面している。これは空虚で荒涼たる精神の現状である。まだ、自然界の生き物たちが反応してくれている間はどこかに救いの道はあると言えるのかもしれない。そういうべきであろう。
濡れた銀の翼をした浜千鳥のように親を探すというわけにはいかない。親や原点を僕らは殺して生きてきたのだからだ。ただ、死亡漂着して反応してくれた海の生き物のたちの声、この砂浜にも記憶されているだろう死者たちの声を聞くことはできる。もはや成熟の極みにある産業社会を超えて行く道は一気には行かないだろう。その登り道も見えず麓でうろうろしているのが現実だろう。どこに道はあるろうか。考え続けることが、一つの道なら、行動も一つの道だ。何の可能性もなく、無駄な世界に生きさせられているように思わされるのが現在である。これを超えるのは蛮勇に似た行動も必要であり、それは可能性である。白く光る波打ち際を歩きながらそんな思いに耽っていた。(三上治)
これから寒くなります。カンパや激励などを願いします。
<連絡先> 脱原発川内テント 鹿児島県薩摩川内市久見崎町久見崎海岸(郵便物は久見崎簡易郵便局留)Tel 090-3919-0604(渕上)090ー3202-7897(小川)090-7276-9035(福田)090-5339-2243(江田)
e-mail sendai.tent@gmail.com ブログ http://sendai-tent.tumblr.com
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<テントからお知らせ>
◆12月3日(水)第9回口頭弁論 15時東京地裁《103号法廷》
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