こんな選挙でいいのか―不毛な論戦を嘆く
- 2014年 12月 2日
- 時代をみる
- 田畑光永選挙
暴論珍説メモ(134)
いよいよ選挙である。この選挙、「瓢箪から駒」でのことかと思ったら、そうではなくて、これから最大限の長期政権を狙うためには「今でしょ」ということで決まったらしい。政権支持率の動向、来年の国会論議の主なテーマ、衆参同日選挙の得失などを考え合わせると選挙は「今のうちにやるしかない」らしい。
政権維持のほかはどうでもいいと割り切らなくては、与党勢力が300を超える衆議院をわざわざ解散するという発想は出てこない。野党は戦う気構えもないうちに、リングに引きずり上げられた格好だ。だから与野党の論戦なるものがまるで焦点が定まらない。
衆議院を解散するにあたって安倍首相が最初に言ったことは「消費税増税を延期することについて、国民の信を問いたい」であった。この発言のとんでもなさは飛び切りだ。
第一にこれは公職選挙法違反ではないか。本人は「増税を延期してもいいですか」と国民に問いかけて、「いいよ」という声が多数なら、「信を得た」と胸を張るつもりだろうが、ちょっと待て。我が国では「団扇にも使える」選挙ビラを配っても、政治家は大臣の椅子を棒に振らなければならないのに、「増税を延期させてください」とは権力を利用しての全選挙民に対する利益誘導の買収選挙ではないのか。どこの世界にこんなことを掲げて選挙をした例があるだろう。
第二に安倍首相得意の「アベノミクス」(こんな言葉が市民権を得たかの如くであるのはなんとも業腹だが)のキモは「デフレから脱却するためには、人々にインフレ期待(予測)を持たせて、需要を喚起する」ことであったはずだ。「モノの値段が上がるとわかれば、皆さん今のうちに買っておこうと思うでしょう。それがデフレを止める第一歩です」と、何度聞かされたことか。
この議論のバカバカしさは人々の予測とそれによる行動が一律であるという荒唐無稽の前提に立っていることである。消費には将来の消費を現在に前倒しすることが出来るもの(贅沢品など)もあるが、食料を代表とする生活必需物資のようにそれが出来ないものもある。こちらのほうが圧倒的に大きい。経済的に余裕のない消費者は将来、後者が値上がりすると予測すれば、現在から(ごく目先の買いだめ行動は別にして)消費を抑制して節約する。分かり切ったことではないか。だから4月に消費税を3%上げた結果、景気は落ち込んでしまったのである。
しかし、安倍首相が自分の発言に責任を持つのなら、来年の消費税の再値上げをあくまで実行しなければならないはずだ。なにしろ安倍首相に起用された日銀の黒田総裁は消費者物価の年率2%の上昇を目標にしていて、そのために異次元緩和の第二弾を放ったりしている。なんでそんな消費者迷惑な目標を掲げているかと言えば、デフレ脱却の妙薬である「物価上昇期待」を人々に持たせるためだ。
だとすれば、来年秋の消費税再増税を延期するのはおかしいではないか。物価が上がると思わせれば景気はよくなるというのが、アベノミクスの定理なのだから、それにはすでに法律で決まっている再増税が一番手っ取り早く物価を上げる道だ。それを4月の消費税アップの結果、経済状況が落ち込んだから再増税は延期するというのは、アベノミクスの破綻を自白しているに他ならない。にもかかわらず、「この道しかない」などと平気で口走っているこの人の頭の中はどういう構造になっているのか首をかしげざるをえない。
ところがこんな安倍首相に対して、攻める野党側のだらしなさもまた格別である。安倍首相に二言目には「民主党政権時代は・・・」とやられると、グーの音も出なくなってしまう。「アベノミクスのほかに対案がありますか」と開き直られると、言葉に詰まる。
どうしてこうなのか。思うに安倍首相と同じ土俵に乗っているからだ。同じ土俵とは「経済は成長しなければならない」というドグマである。確かに経済成長はわれわれの生活を相当程度豊かにし、快適にした。だから成長が止まることを無条件に恐れる。とくに選挙で当選しなければならない人は余計そうだ。しかし、日本は人口減少国家である。同じレベルの生活をしていれば、経済活動の水準が徐々に縮小するのは当然のことなのである。
しかも日本は単純な人口減少だけでなく、生産年齢人口が急速に減少している。これについての代表的な論者である藻谷浩介氏(日本総研主席研究員)によれば、日本の生産年齢人口のピークは1995年で、そこから2010年までの15年間で7%減った。旺盛な消費者である生産年齢人口の減少で、1996年の小売販売額148兆円が10年後には13兆円、約9%減少した。さらに2010年から15年までの間にはこれまでで最高の400万人の生産年齢人口の減少が見込まれている、という。
こういう状況のなかで何本の矢とか言って、そのうちの1本が「成長戦略」だなどと囃してみても、どだい無理な話なのである。ここは割り切らなくてはいけないのだ。成長のおこぼれが国民全体にいきわたるというようなことはもはや伝説の世界なのだ、と。
しかし、だからと言ってなにも悲観するにはあたらない。日本はまだGDPでは世界第3位の大国であり、中国は日本を2010年に抜いたと言ってすっかり大国気取りだが、1人あたりにすれば、まだ日本の5分の1程度にすぎない。
大事なのはGDPの1人当たり平均に国民全体が近づくように政策を転換することだ。1人当たり平均値そのものにはほとんど意味はない。多くの若者が非正規労働者として低賃金と不安定な雇用の中で結婚もできずにその日暮らしを強いられている状態を改善することが、日本にとっての喫緊の課題だ。それは分配政策だ。
働ける人間にはそれなりの所得が得られる仕事を国策として用意することに経済政策を転換しなければならない。成長と国際競争に勝ち抜くためという名目で、企業が人間を支配する面にだけ大幅な自由を認める今の労働法制を抜本的に改めること、これが選挙の争点でなければならない。
日本共産党はしきりに日本の企業の内部留保は280兆円もあると言っている。確かな数字かどうか分からないが、日本全体が総需要不足で沈んでいくとすれば、企業も内部留保をためても将来不安はなくならないだろう。経済大国よりも住みやすい国を目指すことに国民的コンセンサスができないものか。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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