30年前のボパール化学工場事故から原発メーカーの損害賠償責任を改めて考える
- 2014年 12月 3日
- 評論・紹介・意見
- 紅林 進
30年前の1984年12月2日未明から翌3日未明にかけて、インド中部のボパールで操業する米国ユニオン・カーバイト社の現地子会社の殺虫剤製造工場からの猛毒のガスが流出し、約2000人が即死し、最終的に2万人以上が死亡し、負傷者は20万人~30万人に達したといわれる。
しかし親会社のユニオン・カーバイト社は責任を回避し、同社の最高経営責任者であったウォーレン・アンダーソン会長は、過失致死罪でインドの法廷に訴追されるも、出廷を拒み、インドは米国政府に身柄の引渡しを求めるも、米国政府はそれを行わず、現在も逃亡したままである。
損害賠償をめぐっては、ユニオン・カーバイド社はボパールの事故によって生じた被害に対し4億7000万米ドルを支払うことでインド政府との間で和解が成立したが、和解によってインド政府が受け取った賠償金のうちの一部しか遺族には渡らなかったといわれる。
インドはこの事故を受けて、外国企業の賠償責任を明確化する必要を学び、インドは世界で唯一例外的に、原発メーカーの賠償責任を限定的ではあるが認めている原子力損害賠償法を定めた。GEの最高経営責任者は、インドが(メーカーの賠償責任を認める)この原子力損害賠償法を持っている限り、インドに原発を輸出できないと言ったそうである。
しかし米国政府や日本政府は、国際的な条約の枠組みで、原発メーカーの賠償責任を国際的にも免責・軽減しようと、「原子力損害の補完的補償に関する条約」(CSC)なるものを発効させようとしており、日本は衆議院解散のドサクサにまぎれて、十分な議論も行われないまま、先月、この条約を国会を通過、批准してしまった。(日本の批准により国際条約として発効する見込み)
なお外資を呼び込もう、日本からの原発輸入に不可欠な原子力協定も結ぼうと必死になっているインド現首相ナレンドラ・モディは、この原発メーカーの損害賠償責任を認める原賠法も改悪しようとするかもしれない。
化学工場の事故でさえ、これだけの被害を出しているのだから、原発事故では、なおさらである。
30年前のボパール化学工場事故は、メーカーの製造物責任、原発メーカーの損害賠償責任の重要性を改めて気づかせてくれる。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5064:141203〕
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