本の紹介・矢吹 晋・高橋 博 著『中共政権の爛熟・腐敗――習近平「虎退治」の闇を切り裂く』:習近平の「虎退治」の深層に迫る
- 2014年 12月 19日
- 評論・紹介・意見
- 矢沢国光
*書評:矢吹 晋・高橋 博 著『中共政権の爛熟・腐敗――習近平「虎退治」の闇を切り裂く』(蒼蒼社 2014年11月20日発行 A5判並製 268頁 本体2300円+税)
習近平「虎退治」とは何か?
習近平は二人の大物――中共中央軍事委員会副主席・徐才厚と政治局常務委員・周永康を党籍剥奪・「立案審査」処分に付した。
徐才厚は、軍総後勤部の前部長・谷俊山中将の不正事件の後ろ盾となっていた。
軍は膨大な資産を持っているが、谷俊山は、総後勤部(ロジスティク担当)部長という地位を利用して、軍用地の払い下げ等で多額の賄賂をえていた。谷俊山は徐才厚による官職売買のブローカー的役割を担った。官職売買の値段は、大佐から少将への昇格が約3000万元(約5億円)で、下級士官への昇格も数十万元という暗黙の了解があり、谷俊山が関与した軍の官職売買は数百件に上ると見られている。
その谷俊山がかくも大胆な汚職活動を続けられたのは、軍事委員会副主席の徐才厚の「保護傘」があったからだ。谷俊山は徐才厚に対して高額の賄賂(3600万元)を差し出すことによって、その汚職活動の保護傘を得ていた。
周永康は、中国最大の石油ガス企業のトップから四川省書記を経て政治局入りし、江沢民のひきで政治局常務委員・公安部長になった。
周永康は「常務委員」であり、周永康の立件には、「刑は常務委員に上らず」という「潜規律」を、習近平は乗り越ねばならなかった。
それだけではない。周永康は公安のトップである。「周永康のような大泥棒を治安・司法機関のトップに据えて、みずからの悪事を露見しないように」したのは、ほかでもない江沢民であった。
習近平が退治した究極の「虎」は、徐才厚・周永康ではなく、江沢民だった。
胡錦濤・温家宝体制の10年は、じつは、江沢民の「院政」下にあった。胡・温政権の掲げた「和諧社会」が実績を上げられなかったのは、そのゆえである。
江沢民は、党主席を下りたあとも軍事委員会主席は譲らず、2年後に軍事委員会主席を下りたあとも、軍中枢に自分の事務室を存続させた。胡錦濤が習近平に主席を譲るとき軍事委員会主席も同時に下りたが、このとき、江沢民に軍事務室の撤去を約束させたと言われる。習近平の「虎退治」は、胡・温政権時代の「院政」10年を含む20年間の江沢民体制に、ついに終止符を打ったのだ。
2008年、胡錦濤の推す李克強ではなく習近平が副主席[つまり次期主席]になったことから、「胡錦濤は江沢民・習近平派に敗れた」という観測もあったが、それはまちがいだった。胡錦濤と習近平は、「江沢民の院政を排除する」点で一致していたのだ。
習近平の「虎退治」が成功した経過にも、注目すべき事実がある。
「勝者は『紅二代』の習近平、王岐山、劉源の三人組」と、矢吹氏は言う。どういうことか。
徐才厚の摘発に先立って、まず摘発されたのは、総後勤部副部長・谷俊山の汚職事件であった。
劉源は総後勤部政治委員になり,谷俊山の汚職について大量の証拠をつかんだ後、総後勤部部長・廖錫龍と連名で2012年2月初めに軍委紀律検査部門に報告した。ところが軍委紀律検査部門は谷俊山の汚職の証拠を受け取るや、その書類を調査して、3日後に「調査の結果、谷俊山に問題なし」(「没事」)と結論した。
なぜ「問題なし」なのか? 軍の紀律検査委員会を担当するのは軍委副主席・徐才厚である。そこで劉源と廖錫龍は、「越級」して直接、谷俊山の罪証を中央軍事委員会主席・胡錦濤に伝えた。中央軍委主席・胡錦濤と軍委副主席・習近平は「谷俊山の案件を断固として調査処分せよ」と「批示」した。
軍委紀律検査部門をにぎる徐才厚を飛び越して直接政治局常務委員会の胡錦濤・習近平に問題を持ち上げた劉源のはたらきによって、谷俊山を処分することができた。谷俊山の処分を突破口にその後ろ盾である徐才厚の処分にまで突き進むことができた。これは劉源の功績だ。
公安トップの周永康の処分は、中央規律審査委員会書記・王岐山によって実現した。
そして、習近平は、「このような利害構造の調整・隠蔽機構が江沢民の作り上げた中国腐敗構造の核心であることに気づき、その対策として提起したのが「小組モデル」だった、と矢吹氏は言う。
習近平は以下のような「小組」を作った:
①中央全面深化改革領導小組(2014年1月)、②中央国家安全委員会(2013年11月)、③中央網絡〔ネット〕安全・信息化領導小組(2014年2月)、④中央軍委深化国防・軍隊改革領導小組(2014年3月)。党・軍・政のあらゆる部門のトップの座にいる習近平がなぜ、四つの「小組」を屋上屋を架すように設けたのか?
重要事項の最終決定は「小組」のみが行う習近平独裁それは胡錦濤時代の10年間(2002〜2012年)、彼が江沢民の院政下で、まるで何もできなかったことを考えればよく分かる。胡錦濤は2期10年間トップの座にあったが、これはほとんど「雇われマダム」同然であった。中央政治局にしても、中央軍事委員会にしても、江沢民の腹心たちが多数派を占めており、胡錦濤は「和諧社会」のスローガンは提起したが、それを実現するための手足は、胡錦濤の意図通りには動かなかった。習近平は「胡温時代」の「10年の空転」という轍を踏まないために、「小組治国モデル」を考えたように思われる。
劉源の地位は、軍総後勤部政治委員であり、中国共産党の中央委員にもなっていない。だが、劉源は文化大革命で最も悲惨な最期を遂げた劉少奇国家主席の息子である。
王岐山は、政治局常務委員で、中央紀律審査委員会書記である。2008二〇〇八リーマン金融危機のあと「4兆元財政出動」で中国経済の落ち込みを救った金融の専門家であり、北京オリンピックの組織委員長も務めた実務能力に長けた逸材と言われる。姚依林の娘を妻とする「紅二代」という点で、習近平・劉源と同じである。
思えば、あの文化大革命を主導したのは、正規の党組織を超越し、毛沢東の権威に支えられた「文革小祖」であった。文革は習近平、劉源らにとって地獄であったが、彼らはこの地獄をとおして、政治的に鍛えられたのだ。
それだけではない。習近平も劉源も王岐山も文革時代に農村での「下放」を経験している。下放の中で農村・農民の生活をつぶさに体験したことの意味は大きい。文革は中国人民にとって「災難の10年」と言われるが、「紅二代」の青年たちの下放体験が底辺大衆との感情の共有に預かっているとすれば、せめてもの救いである。
今回の軍中枢における権力闘争がらみの反腐敗闘争において、勝者が習近平、王岐山、劉源の三人組である事実をどう見るか? そこに中国政治を読むカギが隠されている。
では、習近平の「虎退治」は、中国のいかなる問題を解決するだろうか?
徐才厚や周永康の汚職追及で明らかになったことは、中国の党・国家・企業エリートたちのすさまじい汚職・腐敗である。
中国共産党は、もともと「共産主義・社会主義」の実現をめざしていた。しかし、「文革10年の災難」が「共産主義・社会主義」という理念を吹き飛ばしてしまった。
いま中国共産党の国家としての統治の正統性は、「帝国主義支配からの解放」と「全人民の経済的解放」しかない。
鄧小平の推し進めた「改革開放」は、めざましい経済発展をもたらしたが、その反面、経済格差を拡大した。格差の拡大だけでなく、共産党幹部が、政府・企業幹部になり、政府・企業幹部が党幹部になるという「回転ドア」構造が確立した。
国家主席胡錦濤の年俸は12万元で、これに対し、金融機関たとえば中国銀行のトップの年俸は167万元。深圳発展銀行の董事長はフランク・ニューマンというアメリカ人で、彼の年俸は1600万元。「アメリカ並みの年俸」を、こういう迂回手段で実践するわけですね。平安保険集団の総経理である馬明哲の年俸は6000万元(約9億円)という破格値です。
主要国有企業のトップは中央が任命権限を握っています。つまり、企業の行政幹部となれば、所得が一挙に1000倍になるということです。…株式会社にしたということで、「経営自主権」と称して報酬を勝手にお手盛りしているからです。その基準はアメリカです。産軍複合体、Military Industry Complex というものが戦後のアメリカについて言われたわけですが、今の中国はもうそうなっていると見ていいんじゃないでしょうか。なぜかと言いますと、石油、石油化学、電力、国防、通信、運輸といった業種は、全て国有企業、中央企業が牛耳っているわけです。これはみな、国防と関係があるわけです。
幹部エリートは政治的利権と人脈を駆使して距離を確保し、子弟親類縁者にその利権構造を拡散し、国外にカネを預け、追究されると国外逃亡する。インタネット時代の今日、こうした不正・腐敗を国民の目から隠しおおせることは、ますます困難になっている。
こうした状況が続けば、中国共産党の統治の正統性は、早晩揺らぐことは避けられないであろう。
習近平の「虎退治」は、こうした中国共産党の国家統治への危機感のしからしむるところであった。
では、「虎退治」でどこまで中国の抱えるこうした問題が解決されるのか。
矢吹氏は、「はしがき」に言う。
開発独裁の経済的成功のカゲには、政治権力の腐敗という大きな失敗が隠されていた。その部分的切除に習近平はひとまず成功したが、それが部分的勝利とどまることは容易に予想しうる。習近平が開発独裁を堅持するかぎり、第二の徐才厚、第三の周永康が現れるのは必然的である。
では、習近平は開発独裁をやめて、政治的民主化に踏み出すであろうか?
筆者の見るところ、その気配は少ない。改革・開放による既得権益の享受層がすでに階級として固まり始めているため、この既得権益層を打倒するのは容易なことではないからだ。
中国共産党が政治的安定を何よりも重視する保守的な態度に転換したのは、天安門事件以後である。今年は天安門事件25周年である。習近平がいま挑戦している「虎退治」は、せいぜいこれからの年、中国共産党が権力を維持するための大掃除程度になろう。その過程で中国共産党が政治的民主化に踏み出すならば、生き長らえることができようが、それに失敗するならば、中国共産党の統治は終焉を迎えるであろう。
以上、「虎退治」の記述を紹介してきたが、最後に書評子の感想。
鄧小平は「先富論」で経済成長を優先したが、もし生きていたら、ある時点で「経済成長」から「格差是正」に舵を切り、幹部の不正・腐敗の一掃に立ち向かったはずだ、と矢吹氏は言う。
だが、今日の中国共産党政権の「爛熟・腐敗」は、矢吹氏も指摘するように、個々人の幹部の資質・道徳の問題ではない。では、どのような問題か。もっと知りたいところである。
たとえば、こんな問題はないのか。資本主義市場経済に特有の原理――企業の価値増殖に社員の生活・待遇が依存していたり、有望な資産への投資が集団の経済的向上をもたらすとか――に深く根ざすものになってしまっているのではないか。
「小組」を作って闘う習近平の知恵は、文革から学んだものかもしれない。「小組」は、既存の権力組織を越えた権力の行使を可能にする。だから、「小組」政治は、文革がそうであったように、理念や政策と無関係な「権力闘争」に陥りやすい。「小組」政治の限界をのりこえるには、人民大衆の幸せの実現という「人民の大義」が必要である。だがいまの中国のように、政権批判の言論を権力で弾圧しているかぎり、「人民の大義」が政治の表舞台に出てくる余地はない。
いま述べた感想と正反対のことを言うようだが、中国共産党は「西洋のデモクラシー」と異なる「民主主義」を主張している。中国共産党は、軍、政府・国有企業の人事を握っている。かたちは民間企業でも実際にはその多くは、共産党の支配下にある。中国共産党のきわめて集権化された政治体制――七人の政治局常務委員――の決定で経済も政治も動いている。オバマ大統領が議会の反対で身動きができない、というようなことはないのだ。こうした「党の独裁」政治体制であればこそできることもある。習近平の今回の「虎退治」はそうであった。習近平の「独裁」による汚職・腐敗の徹底した撲滅に期待する、というのはまちがっているだろうか。
矢吹氏の中国共産党に対する厳しい見方の底流には、矢吹氏が学生時代からずっと見守り続けた中国革命への熱い共感があると感じた。
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矢吹 晋・高橋 博 著『中共政権の爛熟・腐敗――習近平「虎退治」の闇を切り裂く』 目次
習近平の「虎退治」の意味するもの――はしがきに代えて 矢吹 晋
第Ⅰ部 周永康・徐才厚スキャンダル 矢吹 晋
序章 構造汚職の原型を描いた映画と小説
第一章 習近平の「虎退治」――「刑は常委に上らず」と居直る「大虎」を如何に包囲したか?
第二章 中国人民解放軍の腐敗・堕落
第三章 石油派の栄光と没落
第四章 周永康の敗北――立案審査
第五章 習近平の権力固め作戦
第Ⅱ部 摘発を免れた「大虎」の群 矢吹 晋
第一章 腐敗の根源としての江沢民・曽慶紅人脈
第二章 電力を牛耳る李鵬一族
第三章 温家宝ファミリーの隠された資産
第四章 馬明哲という男の蓄財物語
第Ⅲ部 泣く子も黙る中央紀委・監察部 高橋 博
第一章 特権高級党員幹部をいかに取り締まるか?
第二章 中央紀委・監察部と「五人小組」の設立
第三章 中央紀律検査委が強大な権力を振るう悪夢
第Ⅳ部 共産党独裁の不可避の産物としての腐敗 矢吹 晋
第一章 省・部級高官腐敗の現状
第二章 中国の特権階級の所得について
第三章 「経済犯罪容疑者」の海外逃亡の実態
「虎退治」始末――あとがきに代えて 高橋 博
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5077:141219〕
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