賃金統計をつまみ食いした「賃上げ成果」論のまやかし ~安倍首相の自画自賛を検証する (その3)~
- 2014年 12月 26日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2014年12月26日
「賃上げ率2.07%」の出所は?
安倍首相は先の衆院選のさなか、特に後半、アベノミクスの成果のひとつとして、「賃上げ率は、過去15年間で最高(2.07%)」という数字を何度も挙げた。多くのマスコミも安倍首相のこのセリフをそのまま右から左へ伝えた。
しかし、この「2.07%賃上げ率」の出所を知っている人、この数値がどのように抽出されたかを知っている人はどれくらいいるのだろうか? 出所は、連合が発表した今年の春闘の最終回答の集計資料である。
連合「2014年春季生活闘争 第8回(最終)回答集計結果について」
http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/shuntou/2014/yokyu_kaito/kaito_no8_pressrelease20140703.pdf?07031415
この資料の2目の最上段の表を見ると、平均賃金方式で計算した集計組合数5,442、集計組合員数2,689,495人の平均賃金の引上げ率は確かに2.07%と記されている。
全体の5%を反映したに過ぎない「平均値」
しかし、この数字はよくよく注意して読む必要がある。
上の2014年春闘での賃上げ率は加入組合員674万人の連合傘下の組合員1人当たりの賃上げ率の加重平均である。この674万人は2014年10月時点の全雇用者(5,279万人)の12%に過ぎない。かつ集計されたのは連合傘下の組合のうちで回答を引き出した5,443の組合、組合員数でいうと約269万人だから、全雇用者の5.1%にすぎない。しかも、回答を引き出した組合とは連合内で中核組合とか先行組合とか呼ばれている自動車、電機・金属、情報、交通・ガス、自治労といった大手企業が多数を占めており、平均より相当高い率の賃上げ回答を得た組合が多いと考えられる。
このように、全雇用者に占める割合が5%程度にとどまり、かつ、高めの賃上げ回答を得た組合員の加重平均の賃上げ率がどこまで全雇用者の賃上げ状況を反映しているのか、慎重な検証が必要である。
そこで、厚労省「毎月勤労統計調査」平成26年10月分結果確報」に収められた「時系列第1表 賃金指数」(調査産業計)にもとづいて、平成22年平均=100とした時のこの1年間の各月の「所定内給与」の指数、および、対前年同月比の推移を示すと次のとおりである。なお、ここで「所定内給与」を採ったのは賞与や残業代など一時的な業績変動に左右される給与を除外し、持続性のある給与引き上げに限定するためである。
一般労働者の「所定内給与」の推移
――事業所規模5人以上/調査産業計――
賃金指数 実質賃金
指数 対前年同月比 対前年同月比
2010年 100.0 0.6 1.3
2011年 99.8 -0.2 0.1
2012年 99.9 0.1 -0.7
2013年 99.9 0.0 -0.5
2014年1月 99.4 0.1 -1.8
2月 99.7 -0.2 -2.0
3月 100.2 -0.1 -1.3
4月 101.0 0.1 -3.4
5月 99.0 0.4 -3.8
6月 100.4 0.5 -3.2
7月 100.2 0.6 -1.7
8月 100.1 0.5 -3.1
9月 100.7 0.8 -3.0
10月 100.7 0.6 -3.0
(出所)「毎日勤労統計調査」2014年10月分
このように5人以上の事業所規模にまで調査対象を広げると対象となる常用労働者数は2014年10月時点では4,710万人となり、全雇用者の89.2%となる。
そして、このように対象を広げると、第二次安倍政権発足後(2013年以降)の賃金水準の変化は上の表にあるとおり、ほぼ2010年の水準のままで推移している。また、前年同月比でいうと、今年の5月以降、微増傾向にあるが、プラス1%未満で安倍首相が使った2.07%とは大きく乖離している。
一国の内閣総理大臣たる安倍首相にして、全雇用者の約90%の賃金動向を集約した政府統計データがあるにもかかわらず、なぜ、わざわざ、全雇用者の5%程度をカバーしたにすぎない連合の賃上げ集計結果を使って、賃上げの成果を喧伝するのか? ごく限られた大手企業の賃上げ実績をつまみ食いして自画自賛に夢中になる安倍首相の眼中には、景気回復の実感から程遠い中小零細企業の実態は入らないのか?
約12%の企業は賃下げか、据え置き
安倍首相が使った連合の集計資料は今年の春闘における「賃上げ率」を示したデータである。しかし、厚労省大臣官房統計情報部 雇用・賃金福祉統計課賃金福祉統計室がまとめた次の資料(5ページの第1表)によると、賃金を引き下げた企業や賃金の改定をしなかった企業が少なくないことが示されている。
厚労省「平成26年賃金引上げ等の実態に関する調査の概況」
http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/jittai/14/dl/10.pdf
企業規模別に見た賃金改定の実施状況(割合)
企業規模 1人当たり賃金 1人当たり賃金 改定しない
を引き上げる を引き上げる
総計 83.6% 2.1% 9.7%
5,000人以上 95.4% 0.7% 3.9%
1,000~4,999人 94.3% 0.4% 4.3%
300~999人 89.3% 2.0% 6.4%
100~299人 80.9% 2.3% 11.2%
(行ごとのパーセントの合計が100にならないのは「未定」(計では4.6%)があるため。)
これを見ると、集計企業全体では約10%の企業が賃金引下げか据え置きを実施したか、予定している。特に、この中では最小規模の企業では約2割が賃金引き下げか、据え置きとなっている。「賃金引上げ率」を集計した資料では、こうした「賃金引下げ」、「据え置き」のケースも通算して平均値を出せば、引き上げ率は幾分なりとも下がるはずである。
また、平均値以前に全体の約1割の企業、常用労働者300人未満の企業の約2割が賃金引き下げか改定なしだった事実も注視する必要がある。この点では、「賃上げをした企業」だけに焦点を当て、「賃上げ幅の率」だけを問題にするのは一種のバイアスである。
実質賃金は下げ幅が拡大している
上の表を見ると、物価水準の変動を織り込んで名目賃金を改訂した実質賃金は2011年当時から対前年同月比でマイナスに転じていた。第2次安倍政権が発足(2012年12月)して翌2013年から今年の3月までマイナスが続いたが、4月以降は下げ幅が3%台へと上昇している。これは同月から始まった消費税率の8%への引き上げとそれに伴う物価上昇に賃上げが追いついていないことを意味していると考えられる。
日銀と連携して脱デフレをうたい文句に物価上昇を誘導する傍らで、賃金については物価水準の動向が反映しない名目賃金を使うとは、どういう経済感覚なのか?
経済政策の「起点」と「結果」を逆立ちさせたアベノミクス
「経済の好循環を生み出す」が安倍首相の常用句であるが、消費税率引き上げ後の実態はどうか?
次表は、2010年以降の企業の設備投資(有形固定資産残高)と家計の可処分所得・消費支出の推移を指数(2010年1~3月期=100)で示したものである。
「企業と家計の経済諸指標の推移」
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kigyo_to_kakei_no_keizaishoshihyo_no_suii.pdf
この表から毎年の7~9期と今年の四半期ごとの数値を抽出して示すと次のとおりである。
企業の設備投資 家 計
(有形固定資産残高) 可処分所得 消費支出
2010年1~3月 100.0 100.0 100.0
2010年7~9月 97.9 98.6 100.4
2011年7~9月 96.5 98.8 97.8
2012年7~9月 94.6 98.4 98.1
2013年7~9月 90.0 97.9 98.7
2014年1~3月 91.3 98.2 103.4
4~6月 91.2 95.7 94.0
7~9月 92.1 93.9 94.1
これを見ると、アベノミクスが経済の好循環を生み出すための起点(牽引要素)とみなした設備投資(有形固定資産残高)は増加どころか、微減となっている。そうなったのは企業の労働分配の低さ、消費税増税等による家計の可処分所得の減少から、GDPの約6割を占める個人消費が低迷したためである。
つまり、供給サイドに「稼ぐ力」を付けることを経済循環の起点においた安倍政権の経済政策は消費税増税の影響もあって需要サイド(家計)の可処分所得が縮小する状況では、消費の低迷→設備投資の低迷→雇用の低迷→家計の可処分所得の縮小→消費の低迷、という悪循環を招いているのである。
そうなったのは、本来、「結果」であるはずの「デフレからの脱却」を経済政策の目標に据え、本来、「起点」に据えるべき個人消費の底上げ、そのために必要な正規雇用の拡大、賃上げ等による家計の可処分所得の増加を、経済の好循環の「結果」であるかのように錯覚したからである。
このように目的-手段の関係をわきまえない無謀な経済政策の帰結を冷静に観察し、自省するどころか、統計数値を身勝手につまみ食いして自画自賛しているのが今の安倍首相の姿である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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